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モデュールの現在 | 難波和彦
The Module Today | Namba Kazuhiko
掲載『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築, 2007年09月30日発行) pp.226-233

先頃、東京で開催された展覧会「ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡」において、ル・コルビュジエの《パリのアトリエ》、《小さな休暇小屋(カップ・マルタン)》、マルセイユの《ユニテ・ダビタシオン》の住戸単位の三つの空間の現寸大模型が展示された。それぞれ内部に入ることが可能であり、実際の空間のスケールを把握できたのは貴重な体験だった。彼のアトリエの寸法については不明だが、《カップ・マルタン》と《ユニテ》の住戸単位は、ル・コルビュジエが考案した寸法体系「モデュロール」に基づいてデザインされている。実際に現寸模型を体験してみてわかったのは、どちらも通常のヨーロッパの建築に比べると、かなり小さな空間であるにもかかわらず、きわめて機能的に組織化されていることである。住まいの多様な機能を、これほどコンパクトな空間の中にキッチリと納めるには、合理的な寸法システムがなければ不可能だろう。あらためてモデュロールの可能性を再確認させられた。しかし多くの建築家や歴史家がル・コルビュジエの建築についてさまざまな角度から論じているにもかかわらず、モデュロールを再評価しようとする動きはあまり見られない。僕の知る限りでは、展覧会カタログに掲載された加藤道夫の論文「モデュロール=モデュールと黄金比の統一」と『DETAIL JAPAN』二〇〇七年七月号に掲載された藤本壮介の論文「曖昧さの建築をめざして──ドミノ、モデュロールから、整理されえない秩序へ」くらいである。前者はモデュロールの合理的・数列的側面と比例に関する感覚的・幾何学的側面との乖離を明らかにし、マルセイユの《ユニテ》においてもル・コルビュジエは両者の統合には至っていないと主張している。後者はモデュロールの数列それ自体よりも数列の比例的関係に注目し、身体寸法と局所的な比例の関係が曖昧な建築の可能性をもたらすと主張している。いずれも興味深い視点ではあるが、僕の見るところモデュロールの可能性を十分に引き出して論じているようには思えない。むしろル・コルビュジエがモデュロールにおいて統合しようとした黄金比と身体寸法との関係を分離し、それ以前に遡って検討しようとしているように思える。それでは、現代の建築家にとってモデュロールはもはや積極的な意味を持っていないのだろうか。今回はモデュロールに関連して、現代建築における寸法の問題について考えてみたい。

寸法とモデュール

建築には寸法(ディメンション)という用語に関連して、大きさ(サイズ)、尺度(スケール)、比例(プロポーション)といった用語がある。同じような使い方をするが、ややニュアンスの違う用語にモデュールがある。これはコンピュータ用語としてもよく使われているが、対応する適当な日本語は見あたらない。コンピュータだけでなく航空機、ロケットなどのジャンルでは、特定の機能を備えた部品のことをモジュールと呼んでいる。この意味で、モジュールは機械系の機能単位として、モデュールは建築の寸法単位として使い分けられているようである。ただ建築においては、モデュールは単位寸法といった意味から、一連の寸法を組み合わせた寸法体系という意味まで、さまざまな意味で使われている。建築に関する寸法の問題は、むしろ後者の意味のモデュールとの関連で論じられることが多いように思う。
一般に建築には物理的・実体的な尺度があり、それを正確に捉えることが建築家の能力だと考えられている。「スケール感がいい」というのは、空間のサイズが適切で、プロポーション(比例)がよいという意味である。サイズが適当でもプロポーションが悪いと、あるいはプロポーションはよくてもサイズが不適当だと、そうは言わない。しかし最近そのような古典的意味のスケール感は大きく揺らぎ始めているように思う。僕の事務所ではすべてパソコンを使って図面を描いている。二一インチの液晶画面はA3版の図面とほぼ同じ大きさである。しかし画面上で見る図面はいくら努力してもA3版の大きさには見えない。液晶画面上に映るものには具体的なサイズが読み取れないのである。これは慣れの問題とも考えられる。しかしかなり長い間パソコンで図面を描いているスタッフに聞いても、同じような答えが返ってくる。なぜだろうか。僕たちは毎日テレビのニュース画面を眺めている。そこに映し出される光景は具体的なサイズを捨象しスケールを縮められた(時には拡大された)現実の像である。僕たちは一方でリアルな現実に生きながら、もう一方では液晶画面上のスケール変換されたアンリアルな現実の像に触れている。そうした経験のなかで、僕たちは液晶画面上のスケール感を絶えず修正し続けているに違いない。僕たちの頭のなかの修正回路がパソコン上の図面に対しても自動的に働くのではないか。たとえば録音された自分の声を初めて聞いた時の、あるいは初めてマイクを使いスピーカーを通して自分の声を聞いた時の違和感を憶えている人も多いだろう。僕はその時の気味悪さを今でも忘れることはできない。しかし現在ではすっかり慣れてしまい違和感を抱かなくなった。同じようなことは液晶画面上でも生じているのではないだろうか。スピーカーを通した自分の声に慣れたとしても、自分の声を正確に聞けるようになったわけではない。つまり液晶画面上の図面に慣れたとしても、正確なサイズが把握できるようになるわけではないのだ。要するに僕が言いたいのは、テレビに限らず電話やインターネットといった新しいメディアは、確実に僕たちのスケール感を変容させているに違いないということである。そしてそうしたスケール感の変容は、当然のことながら建築空間に反映されるに違いないということである。最近、建築家がスケールとかプロポーションといった言葉をあまり口にしなくなったのは、そういったところに遠因があるのかも知れない。

近代建築とモデュール

近代建築初期において、寸法の問題は建築家にとってきわめて重要なテーマだった。それは三つの意味を持っていたように思われる。第一は建築の生産寸法の問題である。それまでレンガや木材によって作られていた建築に代わり、近代的な工業技術によって建設される建築の部材寸法の問題は、新しい表現の可能性を追求するうえで重要なテーマとなった。第二は建築の機能寸法の問題である。近代建築は空間を人間の生活が展開する場所として組織化しようとした。たとえば生活の容器として必要最小限の規模を追求する最小限住居の問題は、近代建築家にとって大きなテーマとなった。第三は建築空間の視覚寸法の問題である。近代建築は近代国家の建設に貢献したが、国家を象徴するモニュメンタルな建築は相応しいスケールと比例を持つ必要があった。この三つの問題を統合するのがモデュールすなわち寸法のシステムの問題なのである。
一九五〇年代後半から六〇年代にかけて、日本の建築家たちはモデュールとモデュラー・コーディネーション(MC)の研究に集中的にとり組んだ。一九五三年にル・コルビュジエの『モデュロールI』(美術出版社[原著=一九四 八])が吉阪隆正の翻訳で出版されたことが、直接の引き金となった。しかしそれ以上に重要な要因は、日本が戦後の復興期を終えて高度成長期にさしかかり、建設産業の早急な近代化が要請されるようになったことである。一九五五年には日本住宅公団が設立され、公営住宅の建設が本格化し始めていた。さらに六〇年頃には日本で初めてのプレファブ住宅が発売され、戸建住宅を対象とする銀行の住宅ローンがスタートしている。このように急激に増大する住宅需要に応えるには、住宅の工業生産化が急務であり、そのための基礎的な条件としてモデュールの標準化が必要だと考えられたのである。このような意味で、モデュールの研究は戦後モダニズムのひとつの局面を形成していたといっても過言ではない。建築学会にも一九五五年にMC特別委員会が設置され、六四年にその研究結果が『モデュール割りと建築生産の工業化』(日本建築学会)としてまとめられている。ISO(国際標準化機構)が提唱するモデュラー・コーディネーションに関する一般原則によれば、MCとはモデュールを使用して建築構成材や建築および建築の部分の寸法調整を達成する方法であり、建築生産を合理化し、建築費を引下げることを目的としている。つまりMCは一般的に使用される建築構成材の寸法標準化の合理的基礎を構成し、それによって構成材を工業的に生産し、さらに他の構成材と組み合わせる際に、もっとも少ない調整と材料の無駄を最小に抑えることを目指しているわけである。
このようにモデュールはもっぱら建築の工業生産化の問題と結びつけてとらえられていた。これに対してル・コルビュジエは『モデュロールI』において、モデュールを建築の視覚的側面、機能的な側面、工業生産的な側面の三つの条件を統合するスケールの問題として捉え、近代建築の基本的な問題として国際化しようとした。この点に建築の寸法の問題に対するル・コルビュジエの先見性があった。

1──身長を175センチとした初期のモデュロール 引用出典=『モデュロール I 』

1──身長を175センチとした初期のモデュロール
引用出典=『モデュロール I 』

2──モデュロールの幾何学 引用出典=『モデュロール II 』

2──モデュロールの幾何学
引用出典=『モデュロール II 』

3──最終的なモデュロール 引用出典=『モデュロール II 』

3──最終的なモデュロール
引用出典=『モデュロール II 』

ル・コルビュジエのモデュロール

モデュロールは、ル・コルビュジエが第二次世界大戦中に、数学者の協力をえて考案した建築の寸法体系である。黄金モデュール(モデュール・ド・オール)という名称の由来は、ギリシャ時代から神秘的な比率として広く知られてきた黄金比を用いている点にある。黄金比を成す数列は等比数列でありながら加減によって前後の数列を導き出すことができる。前の二つの数を足した数が次の数になっているような数列をフィボナッチ数列と呼ぶ。フ ィボナッチ数列は最終的に黄金比に収斂する。黄金比を成す数列は建築の尺度として、きわめて好都合であることがわかっている。なぜなら均質なグリッドではなく、等比級数的な寸法体系によって空間を隙間なく埋め尽くすことができるからである。この黄金比を人体寸法に結びつけることによって考案された寸法体系がモデュロールである。
ル・コルビュジエは人間の身長と臍の高さの二つの寸法に注目し、両者が黄金比になることを発見した。さらに人間が手を上に延ばした高さを臍高の二倍に一致させ、両者を黄金比によって分割・展開させることによって、青と赤の二つの寸法列をつくった。これを大小両方向に展開させ、身体に関連するさまざまな寸法に結びつけたのがモデュロールである。しかしながら以上の説明は結果から逆に辿った遡行的な説明にすぎない。実際にはモデュロールの開発は紆余曲折を経て進行した。ル・コルビュジエはすでに『建築をめざして』の頃から黄金比による建物の比例分析であるトラセ・レギュラトゥールを展開している。二辺が黄金比をなす長方形から短辺を一辺とする正方形を切り取ると、残りの長方形の二辺も黄金比を成している。ル・コルビュジエはこの比例を古典建築のなかに見出し、自らの作品にも適用していた。『モデュロールI』の冒頭では、正方形を使って黄金比の幾何学的比例の検証が行なわれているが、これは間違いであることが後に判明する。しかしル・コルビュジエはそれを間違いとは認めず、徐々に幾何学を改良していき、『モデュロールII』(吉阪隆正訳、一九六〇、美術出版社、[原著=一九五五])において正確な幾何学を提示してみせる。いずれにしても黄金比を身体寸法に結びつけたことが決定的な一歩であったことは間違いない。これによって比例に基づく抽象的な寸法が、具体的なサイズとしての寸法になった。つまり視覚的(比例)寸法が機能的(身体)寸法に結びつけられたのである。黄金比はギリシア時代から視覚的比例を統御していた。ル・コルビュジエはこれを具体的な寸法に結びつけることによって機能的な意味を与え、さらにこれを生産寸法にまで展開させて近代的な工業生産に結びつけようとした。ル・コルビュジエにとってモデュロールは「すべてのものを結びつけ秩序立てる法則」であり、吉阪隆正のことばを借りるなら「建物を建築にする道具」だった。ル・コルビュジエは、モデュロールの目的についてこう述べている。

家庭の品であろうと工業的ないしは商業的な品であろうと、世界のどこの地点においても製造し、移動させ、購買できるものをつくるに当たって、現代の社会は共通の尺度をそれによって内容と外包との寸法を調整し、安心して注文し提供できるような尺度を欠いている。ここに私たちの努力が払われる。それが秩序を与えるという存在理由である。そしてもしその努力の上に調和が君臨してくれるものなら。
『モデュロールI』(美術出版社、一九五三/鹿島出版会、一九七六)


モデュロールが単に建築空間の秩序の問題や機能の問題としてだけでなく、生産の問題として捉えられていたことがわかる。ル・コルビュジエは工業製品だけでなくあらゆる生産物の国際的な物流についても注目していた。彼は野菜や果物を運搬するパッケージをモデュロールに基づいて標準化することを提案している。国際的な標準サイズに統一された現代のコンテナ輸送を先取りしていたといえるだろう。さらにモデュロールは政治的・経済的な問題をはらんでいた。それはヨーロッパを二分する二つの寸法システム、すなわちアングロサクソン系のフィート・インチ法とヨーロッパ大陸のメートル法とを調整し、両者を調整し包含するという具体的な目標を持っていた。ル・コルビュジエはモデュロールの開発当初は基準となる身体寸法として、フランス人の平均身長一七五センチを用いていたが、後に英国人の平均身長である一八三センチに変更したのはそうした配慮からである。全ヨーロッパひいては全世界に共通な標準尺度をつくり出すことは、インターナショナルな普遍性を追求するモダニストとしてのル・コルビュジエが目指した必然的な方向だった。ちなみにフィート・インチ法は人体寸法を基礎とし、メートル法は地球の寸法を基礎としている。つまり前者は機能的な寸法であり、後者は合理的な寸法である。この意味でル・コルビュジエはモデュロールを通じて、イギリス的な経験主義と大陸的な合理主義の統合を目指したのだといってもよい。
ル・コルビュジエがモデュロールを初めて建築に全面的に適用したのはマルセイユの《ユニテ・ダビタシオン》(一九四五─五二)においてである。この集合住宅で、彼はモデュロールの有効性を徹底的に検証してみせた。『モデュロールI』には、この建築にモデュロールが、どのように適用されているかが、詳細に報告されている。その適用範囲は、全体配置計画、断面とファサードの計画、住戸計画といった大きなスケールから、ピロティ、屋上庭園、家具造作といった細部にいたるまで一貫している。さらにル・コルビュジエは、インテリアや展覧会のパネルのデザインから、ニューヨークの国連ビル計画、パリ、サンディエ、アルジェの都市計画にいたるまで広い範囲での適用を報告している。こうした徹底した合理性は全世界の建築家に大きな衝撃を与えた。その反響は『モデュロールII』にまとめられている。そのなかでも指摘されていることだが、モデュロールにはいくつかの欠点があった。ひとつは黄金比が無理数であるために小数点を含む複雑な数列になっていることである。寸法システムが標準尺度として広く共有されるためには単純でわかりやすいことが第一の条件である。もうひとつの欠点は、等比数列だけでは建築の工業化に必要な同一サイズの構成材の反復に対応しきれないことである。フィボナッチ数列は寸法の加減にはふさわしいが、単一寸法の反復にはふさわしくない。これらの欠点を克服するためにル・コルビュジエはモデュロールに赤と青の二つの数列を用意したが、マルセイユの《ユニテ》においてもこの点は克服されていない。こうした欠点やさまざまな政治的条件から、モデュロールは標準尺度として受け入れられるには至らなかった。

戦後モダニズムとモデュール

ル・コルビュジエのモデュロールは日本の建築界にも大きな影響を与えた。先にも述べたように、一九五〇年代から六〇年代にかけて、日本の建築家たちはこぞってモデュールの研究に携わっている。その動機は視覚的なプロポーションの追求、機能寸法のシステム化、建築の工業生産化の追求までさまざまだった。そのなかでもっとも集中的にモデュールの研究を展開したのは、建築家の池辺陽(一九二〇─七九)である。池辺は戦後すぐに東京大学生産技術研究所の助教授に就任し一九四〇年代末から住宅設計において、さまざまな寸法システムの適用を試みている。池辺が出発点としたのは、かつて所属した坂倉準三の事務所で用いていた三メートルモデュールだった。『モデュロールI』が翻訳出版される前から、日本ではすでに建築雑誌などでモデュロールについては広く紹介されていた。池辺はこれを詳細に研究し、上に述べたようなモデュロールの欠点を克服するような寸法システムを研究した。この研究は五〇年代末までにひとつの寸法体系へと到達し、池辺は一九六一年にその結果をまとめた博士論文を提出し学位を得ている。池辺は博士論文の緒言において、日本における寸法システムの探究について次のように述べている。

日本においてこの問題のアプローチは比較的おくれていた。このことはこれら外国の寸法体系確立発展の基礎に、古典的な日本建築の伝統が影響していることを考えると実に皮肉な現象である。しかし又一方において、この伝統的な寸法体系の存在が、今日までの日本建築の近代的発展に又役立っていたために、新たな寸法体系の必要が、外国ほど切実でなかったといってもよいであろう。
池辺陽「空間の寸法体系:GMモデュールの構成と適用」(池辺陽博士論文、一九六一、未刊)


今日の状況から振り返ると、池辺のこうした指摘は歴史的皮肉にも読める。日本では戦後の近代化の一環としてメートル法へ法的に一元化され、尺間法の使用が一時禁止されたが、その後ふたたび解除されたという歴史的経緯がある。それほど尺間法は日本の建築生産体制に根を下ろしているのである。現在でも木材の部材寸法はいぜんとして尺間法の寸・分で呼ばれているし、パネルの標準サイズにも三×六尺が残っている点にもそれは表われている。さらにアメリカやカナダから輸入された2×4(ツーバイフォー)構法では、主構造に二×四インチの木材を用いるが、四インチ=二・五四センチ×四=一〇・一六センチであり、これは日本の伝統的な三寸とも、現在の国際標準寸法である一〇センチとも、微妙に異なる寸法である。この微妙な寸法の類似が共通モデュールの設定を妨げてきたともいえる。
寸法の問題は歴史や伝統を抜きにしては語れない。しかも寸法は必ず「誰か」が決めるものだから、それを統一するときには必然的に政治・経済の問題が絡んでくる。これは言語の問題に似ている。どの国の言語を共通語にするかも、まさに政治・経済の問題だからである。このように考えると、寸法の問題には不思議な構図が潜んでいることがわかる。単純にいえば過去に誰かが決めた寸法体系が、時を経るといつの間にか伝統になるのである。一般的には、伝統は自然発生的に生まれたものだと考えられている。しかしこと寸法に関する限り、伝統は明らかにつくられるものである。実を言えば、尺貫法も明治政府によって制定されたものである。江戸時代まではさまざまな寸法体系が共存していた。尺という用語は古代から使われているが、同じ尺といっても、それぞれの時代で大きさはまちまちだったらしい。つまり寸法というものは明らかに人工的な生産物でありながら、歴史を経て社会に浸透し共有されることを通じて一種の自然的存在に変容する。それは人々の意識の底に沈潜した無意識のような存在なのである。

モデュールと自由

かつてのモデュールやMCの研究は、戦後モダニズムの一時的な潮流にすぎなかったのだろうか。たしかにそうした面がなかったとはいえない。しかしモデュールとMCの考え方は、以前とは異なる次元ではあるが、現在でも有効であるように思える。一九七六年に、ル・コルビュジエの『モデュロールI』『モデュロールII』(吉阪隆正訳、鹿島出版会)が再版されたが、それに対する書評の中で、池辺はこう言っている。

ぼくから見ると、ちょうど『モデュロール』の中でル・コルビュジエがいっている問題がそのまま現在の日本での問題としていまだに存在しているという意味で、たいへんタイムリーな再版であると思う。はっきり言えば、モデュラー・コオーディネーションを考える人には、政府関係報告の『モデュラー・コオーディネーション』(一九七六)はむしろ害があり、まず三〇年前に出されたル・コルビュジエの『モデュロール』を読むことから始めるべきであるといってよい。
池辺陽「『モデュロールI』『モデュロールII』書評」(『SD』一九七七年九月号、鹿島出版会)


先年ある建築技術誌が、日本の建築家に対して、最近の建築技術の潮流に関するアンケート調査を行ない、モデュールやMCが顧みられなくなった理由を問うた(『建築技術』一九九七年一月号)。その回答を見ると、アトリエ、組織事務所、ゼネコンを問わず、ほとんどの建築家がモデュールやMCは過去の遺物であり、現代には通用しないと答えている。逆に言えば、ほとんどの建築家が特定の寸法システムを持つ必要性を感じていないのである。しかしながらそこで述べられている根拠には、モデュールやMCは空間を均質化したとか、多様化・個性化の要請に対応できなかったとか、デザインの自由度を阻害したといったような、『モデュロール』以前の時代錯誤的な回答が数多く見られる。かつて池辺が心配していた事態が、現在も続いているわけである。そうした幼稚な認識をもたらした根本的な要因はなんだろうか。それは建築家がイメージの世界を重視するあまり、現実の建築生産技術から完全に疎外されてしまったことに大きな要因があるように思われる。現実にはあらゆる部品が一定の寸法システムに基づいて生産されている。建築家は与えられた寸法システムの中から部品を選択し、それを組み合わせているにすぎない。そこには設計から生産システムへのフィードバック回路が存在しない。モデュールとは、本来は、両者の相互交流のために存在するものなのである。
モデュールが顧みられなくなったのは、都市の高密度化にともなって敷地条件が複雑化し、グリッド・モデュールの適用が難しくなったことが一因だとよく言われる。ここにもモデュールに関する誤解がある。単純なグリッド・システムはモデュールの一種にすぎない。たとえばル・コルビュジエのモデュロールは黄金比に基づく数列である。つまりそれは寸法の比例=プロポーションであり、均質なグリッドではない。この点について、池辺はこう言っている。

寸法を体系的に組織しておくことは、個々の住宅内部にだけ意味があるのではなく、敷地のとり方、道路の幅、さらには都市計画の場合の寸法基礎としても使われることに意味があり、ここに今後の都市形成の重要なよりどころが見いだされる。京都の町並みは統一された伝統的な美しさで知られているが、この京都敷地割が京間の寸法をもとにして行なわれていることを知っている人は少ない。
「57──尺度」(池辺陽『デザインの鍵』丸善、一九七九)


ル・コルビュジエが《ロンシャン教会》の有機的形態をモデュロールに基づいてデザインしたことはよく知られている。さらに《ラ・トゥーレット修道院》の波動式(オンジュラトワール)と呼ばれる一見ランダムな窓割りは、モデュロールを展開させたデザインである。このように寸法システムとしてのモデュロールはデザインを制約するどころか、逆に自由にする。
空間は無限の寸法を持っている。そこにできるだけ多数の寸法の選択肢を見出すことが表現の自由を確保する。これに対して無限に存在する寸法を特定のシステムに限定することは、自由を制約し阻害することになるのではないか。一見するとこの主張は正しいように思える。しかしこれに対して二つの疑問が生じる。ひとつは、大きな寸法の周辺にも無数の小さな寸法が存在するが、そのような細かな寸法を自由に選択することが果たして本当の自由といえるかという疑問である。大きな寸法にとって、小さな差異はほとんど問題にならない。むしろあるサイズの寸法に対しては、それに相応しい有意な差異をもたらす寸法が存在し、その差異を選択することのほうが真の自由ではないかと考えられる。有意な差異とは要するに比例である。であるならば級数的な比例を成す不連続な寸法システムのほうが、連続的な寸法よりも自由をもたらすのではないだろうか。
もうひとつは、もっと根本的な疑問である。認知科学の知見によれば、人間の知覚は絶えず変化する外界からの刺激を取捨選択し、脳の内部で再構成された一種の図式である。たとえば視覚は、絶えず振動する眼球によって捉えられる外界の刺激を再構成した像である。変化する刺激や振動する眼球は差異をもたらし、その差異が知覚を生み出す。差異がなければ知覚は生まれない。差異とは複数の対象を切り分ける境界だといってもよい。カントは空間と時間のカテゴリーは人間の生得的能力であり、そのカテゴリーを当てはめることによって外界を認識していることを明らかにした。さらに文化人類学は、外界が文化の図式によって切り分けられることを明らかにしている。いずれも人間の側にある図式が外界に差異をもたらすのである。たとえば言葉は対象を直接指示すると考えられているが、じつはそうではない。言語学が明らかにしたところによれば、言語は差異の体系であり、外界を境界によって切り分け差異をもたらすことによって対象を指示し意味を生み出す。したがって言語が異なれば外界の認識も異なるわけである。空間についても同じである。無限に続く連続的空間はニュートンとデカルトの思想によって生み出された抽象的な創造物である。したがって空間が無限の寸法を保障しているという考え方は幻想に過ぎない。あらかじめ連続的な空間が先在しているわけではないのだ。そうではなく生物的文化的図式(境界)によって切り分けられた差異が、結果的に連続的な空間を生み出すのである。無限に連続する空間は、遡行的に生み出されているにすぎない。建築家はなんらかの寸法システムを無意識的に使用しながら空間を切り分けているに違いないのである。そのもっとも単純な図式がグリッドであり、より高度な図式がモデュロールだとはいえないだろうか。

モデュールの未来

歴史的に見ると、七〇年代初頭にモデュールやMC研究における転機があった。その最大の要因は七〇年代の一連のオイルショックを通じて、日本の中心的な産業が重化学工業からコンピュータ技術を中核とする情報産業へと構造転換したことにある。これにともなって生産中心主義的な社会から消費指向的な社会への転換が生じた。消費社会においてはリアルなモノだけでなく、フィクショナルなイメージ(記号)が商品価値を持つようになる。建築は物理的な存在であると同時に意味を帯びた記号となるのである。記号には物理的なサイズがない。記号においては、比例的関係だけが保存され、具体的な寸法は失われる。ならば記号に対して果たしてモデュールを適用することが可能だろうか。この問題がモデュールに対する視点の変化をもたらしたことは間違いない。それにともなって池辺が述べたような空間的秩序のヴィジョンが変質したのである。
とはいえ建築は依然として物理的な存在であり、具体的な機能を持っている。記号性は建築のはたらきに新しい次元を加えはしたが、それによって建築の物理性や機能性が消えたわけではない。物理性と機能性を結びつけるのが建築の形であり寸法である。だとするなら寸法のシステムが記号性によってどのように変容するかを問うべきだろう。
一方では、建設産業の国際化によって、共通の寸法システムの必要性はますます急務となっている。建材の輸出国は、原材料をそのまま輸出するのではなく、自国である程度まで加工し、付加価値を加えて輸出するようになってきた。その場合に日本のような建材輸入国にとって、材料加工の寸法システムはきわめて重大な問題となる。たとえば2×4構法住宅の場合は、輸入木材がカナダやアメリカのモデュールで加工されるために、木造住宅の構法システムまで輸入することになった例である。これほどドラスティックではないが、同じようなケースは数多く見られる。もはや建築家がモデュールやMCの問題をリードすることはないにせよ、その基本にある考え方は認識しておくべきだろう。コンピュータによる制御技術の高度化は複雑な部品加工を可能にし、規格寸法の意味を解消させた。近代建築初期の時代とは異なり、現在では同じ機械によって多様な寸法の製品を製造加工することが可能になっている。したがって現代の建築家や研究者に求められているのは、ITがもたらすグローバル・スタンダードに対して、モデュールの問題を性能(パフォーマンス)のネットワークの問題へと拡大することではないだろうか。つまりモデュールの考え方を具体的な寸法の問題ではなく、より抽象的な性能の問題へ適用することである。言い換えればモデュール(寸法システム)をモジュール(性能システム)へと展開させることである。そしてこれは建築の機能と生産を結びつける寸法システムという、ル・コルビュジエが唱えたモデュロールの当初のヴィジョンに立ち戻ることでもある。近年、建築の設計条件として、具体的な仕様ではなく性能の仕様を提示する性能発注方式が見られるようになったのは、そのような傾向のひとつの表われだといってよい。この点について、池辺陽は先の書評の中でこういっている。

パフォーマンスの問題は、コルビュジエは、そのような言葉では言っていないが、初めからの彼のモデュロールに対する概念であった。彼にとっての寸法とは、個々のものに与える寸法の問題ではなく、人間の空間全体を組織化する方法としてのモデュロールを提案したわけである。彼は序文で、寸法とは百科事典的なものであってはならないということを明白に述べている。だが現在まだ寸法と建築空間について百科事典的な受け取り方は一般的に強く行われている。『資料集成』はいまだにベストセラーであるらしいが、この百科事典的なものの代表であろう。コルビュジエがモデュロールで求めたものは、結果として寸法のシリーズであるが、その目的は寸法の有機的体系化にあった。そして彼がその原点として見出したものは、黄金比と人間の寸法であった。
池辺陽「『モデュロールI』『モデュロールII』」書評(前掲書)


新しいメディアによって変容するスケール感をリアルなスケールに結びつけ、物質化すること。そして物質化されたスケールを、再びイメージの中に投げ込むこと。さらにスケールを、建築の機能的、生産的な性能を結びつける性能の一種としてとらえ、空間の組織化へと展開させること。そうした絶え間ない相互作用を繰り返すことが、現代の建築家が果たすべき社会的役割ではないだろうか。

*この原稿は加筆訂正を施し、『建築の四層構造──サステイナブル・デザインをめぐる思考』として単行本化されています。

>難波和彦(ナンバ・カズヒコ)

1947年生
東京大学名誉教授。(株)難波和彦・界工作舍主宰。建築家。

>『10+1』 No.48

特集=アルゴリズム的思考と建築

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。

>加藤道夫(カトウ・ミチオ)

1954年 -
建築設計論、建築図学。東京大学総合文化研究科教授。

>藤本壮介(フジモト・ソウスケ)

1971年 -
建築家。京都大学非常勤講師、東京理科大学非常勤講師、昭和女子大学非常勤講師。

>池辺陽(イケベ・キヨシ)

1920年 - 1979年
建築家。

>デザインの鍵

1979年5月1日