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意識と無意識のあいだをゆれている対象──「猫に時間の流れる」と「ハウスK」 | 乾久美子
The Object Swinging Between Conscious and Unconscious: 'Neko ni Jikan no Nagareru' and 'House K' | Inui Kumiko
掲載『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) pp.43-44

デザイナーふたりのための計画をしている。敷地は大きな公園に面していてとても眺めがよいが、間口が狭く、細長い。ふたりはどちらも男性で、それぞれにキッチンやバスルームなどの水周りを占有することを希望しており、一世帯の共同生活というよりは二世帯住宅の暮らしのイメージに近い。各階平面はさほど大きくできないので、縦に積み上げたフロアを二層ずつふたりに配分して二つの世帯をつくることにした。二世帯住宅的とはいえ階段を二カ所計画する余裕はないので、ひとつの階段を共用してもらうことになる。すると、上の住民は下の世帯の中を貫通する階段を行き来するわけだから、二世帯住宅的に分けてみたものの、プライバシーはほとんどない。なにやら中途半端なスキームなのだが、ふたりはすんなり受け入れている。実はこの案にたどりつくまでにふたりの関係を明快にするような図式的な案をいくつも見せてみたのだが、それらはことごとく嫌われてしまった。ふたりの距離のとり方は非常に微妙で、他者である私が言葉に置き換えたり、形式に当てはめたりしようとしたとたんに彼らの感じているものと違うものに変質してしまうようだ。なかなか決まらないスタディを繰り返しながら半年ほどすぎたあたりでようやくそのことに気づき、彼らが無意識に判断しているなにかを捕らえないとうまくいかない、と考えを改めるようになった。

各階の平面は細長い。それを輪切りにするように間仕切壁をたて、間口方向の水平力を確保するための門型の鉄骨を内蔵させる。そして間仕切壁にいろいろなサイズの開口部をあけることで輪切りにした小部屋をつなぎなおすのだが、開口部が小さい場合は、そのまわりの壁の量もたっぷりと残るので、きちんと壁/開口部の関係性が保たれる。しかし大きな場合はまわりの壁をほとんど残さないぐらいにまであけるから、間仕切壁の残りの部分は壁というよりは梁+柱型に見えるようなものになる。これにしたがって開口部も開口部としての印象が限りなく薄くなっていくので、間仕切壁で分割されていたはずの空間も一体化してしまう。そもそも壁と柱型や梁型というものは、形状だけを取り出してみれば、その概念の境界線は実にあいまいである。出っ張りが大きければ壁のようであり、小さければ構造の一部にみえる。壁に見えれば空間を仕切るし、構造の一部であれば空間を仕切っているように見えない。ちょっとした違いで建築の部位は、無視できるものにも、無視できないものにもなる。そのことを利用して、プライバシーをそっと確保したり、オープンな場所をつくったりして、ふたりの微妙な距離感をそのまま家に与えてみる、「ハウスK」ではそのようなことを考えている。

建築の部位に対するわたしたちの認識などとても適当なものだ。というより、そんなものに意識を向けてなどいない。面白そう、気持ちよさそう、楽しそう、そうした気持ちは意識をともなわずに醸成され、わたしたちは半ば無意識のうちに、計画された空間にうまく誘導されていたり、すっかり無視したりしている。こうした無意識の行動原理を直截に利用しようとすると計画手法が専門化された物販店舗のような計画になる。反対に受け入れないでつくってしまうと、計画動線が人々の行動とマッチしないまま使われて、けものみちのようなものや、何にも使われないデッドスペースみたいなものができたりする。前者は人の感情をあやつるマシーンのようで気持ち悪いし、後者のような鈍さもいたたまれない。わたしたちは意識的な行動もするし、無意識で動いているときもあるのだから、どちらか一方だけに照準をあわせると、単純すぎる計画になり、建築空間はまずしくなる。意識と無意識はめまぐるしく入れ替わる、もしくはオーバーラップしているはずで、だから建築というものはどちらにも対応できるような「幅」が必要なのだろう。そして、「ハウスK」のふたりが求めているのもそうした幅のはずだ。

無意識と意識の関係をあらためて考えたのは、保坂和志の「猫に時間の流れる」をふと思い当たって読み直していたからかもしれない。そこでは、世田谷区の住宅街にある古いマンションを中心にくりひろげられる猫と人間の生活が書かれている。保坂和志の小説だけあって特に何かが起きるわけではない。主人公と、隣人ふたりのフロアの共用廊下に「クロシロ」と呼ばれる野良猫があがりこんでは、おしっこをあちこちにひっかける、マーキングと呼ばれる行為をして帰っていく。何度おいはらっても「クロシロ」はマーキングを繰り返すのだが、主人公はその様子を観察しながら、「クロシロ」 の行動は半ば無意識のうちにプログラミングに拘束されたようなものだと感じ、そして人間の行動だって部分的にはそうしたものだとも思ったりする。そうした考えにいたることのできた主人公は「クロシロ」にすこしずつではあるが情を感じるようになるけれども、その一方でマーキングは意識的なものだと信じて疑わない近所の住民は、「クロシロ」にてんぷら油をかけてこらしめようとする(!)。奇遇にも私には、実家で家中にマーキングする猫を激怒する父からかばった経験もあって、こうした主人公の観察にリアリティを感じる。よくわからない行動をとっているのだ、猫も、人も。そして、いつのまにか意識のある世界に戻っていたりする。

柱形なのか、梁形なのか、やっぱり壁なのか、どうとでもとることのできる間仕切り。部屋は仕切られているのか、つながれているのかはっきりしないままだ。部屋数を数えることも困難。距離の取り方の非常に微妙なふたりと会話をしながら、空間を一体化してひとつの部屋として使うことを決めてみたり、ある空間が他の空間から間仕切られていると感じる開口部の大きさを確認してみたり、模型と共にすこしずつ開口部の位置やサイズを調整しつつ、なんとなくこれでいいのではないかと「思える」ところで手を止めている。あいまいな仕切りにプライバシーを感じるか、感じないか、距離感は適当か、などというものは「仕切る」ことに象徴されるような意識で決定することはできない。模型をながめてみて、その中を想像上で歩き回ってみて、無意識のうちにさまざまな感じ方をする自分を意識的に掘り起こすぐらいしかないのだ。こうした作業を共同でお願いできるクライアントなどまれで、ふたりのデザイナーとしての想像力に助けられながら設計を進めているわけなのだが、果たして箱庭療法的にすすめているこの計画はふたりの感情をうまく引き出しているのだろうか。いまのところ大丈夫そうではある。しかしもちろん油断は禁物だ。なぜなら間仕切壁の形式を超える気分のありようを、ふたりがもっている可能性だってあるのだから。

「ハウスK」模型 提供=乾久美子建築設計事務所

「ハウスK」模型
提供=乾久美子建築設計事務所

保坂和志『猫に時間の流れる』 (新潮社、1994)

保坂和志『猫に時間の流れる』
(新潮社、1994)

>乾久美子(イヌイ・クミコ)

1969年生
乾久美子建築設計事務所主宰。建築家。

>『10+1』 No.46

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