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Computation | 池上高志
Computation | Ikegam Takashi
掲載『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える, 2007年03月発行) pp.39-41

1 計算

Computation(計算)が自然科学やアートのテーマではないのは、計算は物理量(質量とか電荷とか)とは無関係であり、つくられた人工の自然であって自然そのものではないからである。例えばコンピュータをつくる、ロボットをつくる、インターネットをつくる、ということは自然科学ではない。計算には明白なアルゴリズムがあり、入力と出力が決まっている。また、よいアートにおいては、明示的な意味を多くの場合否定し、複数のコンテキストのうえに成立させていることが多い。その意味において計算というような構造は、それをイコン的に用いることはあっても本質的な意味では計算をテーマにはしないだろう。
計算は、Turing machineという抽象的な機械で議論される。Turing machineは、一次元のテープとそのテープの上の記号、およびその記号を読むヘッド部分からなる。ヘッドはテープを右へ左へ読んで、いろいろテープを読み直す。最後にそのテープでやることがなくなったら、停止(halt)する。このきわめて形式的でかつ簡単な仕組みが今のコンピュータで実現している。だから計算とは、入力テープにしかるべき動作をして、出力テープをつくり停止するまでのプロセスだ。
一方、砂場にいって白い紙を広げて砂をまき散らし、その下に棒磁石を置いてみる。すると、砂鉄が磁力線に沿って奇麗なパターンをつくり出す。磁石の位置を変えなければ、そのパターンは落ち着く。これは砂鉄が磁場という入力を受けて出力するパターンだが、これははたして計算と呼べるだろうか? うまくすればある種の関数を計算するようにつくれるかもしれない。しかしほとんどの場合それは不可能で、自然はこちらが思っているような計算をしてくれない。川の上流から、例えば墨絵のような形で入力パターンを流して下流で待っていても答が流れてくることはない(静かな川ならば、同じパターンが流れてくる。これはy=x 等号関数か)。川の流れの持つエネルギーは水力発電という形で取り出せても、計算という形ではうまく取り出せない。乱流コンピュータはまだないのである。
しかし実はTuring machineと同じことを自然にやらせても仕方がない。例えば最近は量子計算機が話題にのぼり、自然の摂理と計算の関係はぐっと深くなった。しかしそれは、高速並列計算としての自然という意味合いである。考えたいのはその先にある、脳の理解の仕方も含めた広い意味の計算である。

2 「わかる」ということを表わす自然現象

数学の定理と証明を追ったことがある人は少なからず経験していると思うが、証明が書いてあってもそれが何故証明になっているのかわからないことは多々ある。しかし何度かその証明を追っているうちに、おぉ、と納得する。つまり証明がすんだということは、証明が理解できたこととは違う。この当たり前のことが、Turing machineの計算の定義には表われない。
「わかる」とはどういうことか。人間の脳もまた自然現象の一部であるのだから、われわれがわかったと思う時には、脳のなかにはあるパターンが生まれている。このわかるに相当するパターンを取り出して、それを「科学」することも可能かもしれない。F・ヴァレラのやったAha現象に対応する脳の研究はそれである。
白黒の写真を見せて、その絵のなかに白黒ぶちのダルメシアンが隠されていることに被験者が「はっ!」("Aha!")と気がつく瞬間が来る。F・ヴァレラはその気づきに対応する脳の神経活動を調べた。そうすると、気づきはグローバルな活動部位の同期現象を示し、そのあとでそれが大きく抑制されることを示していた。このグローバルな同期とその抑制が、気づくという状態に対応している。ダルメシアンが隠された白黒の写真は、もちろん変化しない。変化するのは脳内プロセスである。
これは数学の証明に対するAhaと同じで、このとき脳は特に記憶の探索をし、その記憶とマッチングをしているわけではないだろう。わかる、というのはもっとsomaticなもの、身体的なものである。Turing machineにはそれはない。そのAhaの了解の手続きこそ、われわれが外に取り出したがっているものである。

3 アフォーダンス

Ahaの了解の手続きは、例えば、海へ行って泳いだり、散歩をする、コーヒーを飲む、ドアを開ける、そうしたことで引き起こされるものだ。それは多くの場合、身体的なプロセスを伴っている。わかりのプロセスを外に取り出すには、しかし個人の来歴によらない、なにかわかりや気づきの計算プロセスのなかに普遍構造が見えないといけない。そのことを可能にしてくれるひとつの候補が、知覚の理論、 アフォーダンスであるかもしれない。アフォーダンスは、自然環境のなかには不変項がいっぱい隠れているという。そして人間の知覚とは、そうした不変項を発見するという手続きにほかならないという。
鳥が壁などに衝突するのを防ぐために、鳥から見た壁の表面までの光学角の時間変化が用いられているという報告がある。光学角の時間変化の逆数(τ)がちょうど衝突時間を与えており、例えばハチドリなどは、飛ぶ速度や加速度はいろいろふらつかせるが、このτを一定に保ちながら飛翔している。例えばこのτが不変項である。
アフォーダンスは、もともとアメリカの心理学者、J・J・ギブソンによって提案された新しい心理学研究の基礎概念である。特に、視覚におけるオプティクスフローの理論(画像のなかの各点の速度ベクトルを使って、時間の幅をもった画像処理をする)は近年、再び見直されている。知覚と感覚は異なる。感覚というのは単なる入力だが、知覚とは自分の内臓感覚として理解するということである。それはすなわち不変項をつかまえることだ、というのがギブソンの理解の仕方である。
しかし、今までにそうした不変項を発見するメカニズムがきちんとわかっているわけではない。われわれのいくつかのシミュレーション研究では、自律的な運動によって初めて環境の知識がもたらされることが示唆されている。しかし残念ながらそれも普遍的な理論体系には至っていない。

4 建築

しかし意外なことにわかることの形式化は、建築や庭園に見ることができる。例えばヨーロッパの造園の多くが自然への回帰を印象づけることが多いのに対し、日本の造園はきわめて抽象的である。竜安寺の石庭などはその顕著な例だ。この石庭は、自然への回帰でも自然の象徴でもない。それは見る側の心の形式化なのである。石庭を訪れる人は、その庭に能動的に対することによって日常的には意識的ではない知覚を獲得する。日本の庭園は、身体性によってその人に気づきを引き起こす、まさにわかりの計算システムとみなすことができるのではないか。そうした計算を保つために庭園は、高い精度で設計されている。このことをさらに意識的に展開したのが、荒川修作の建築である。
荒川は、建築という構造物を用いて、日本庭園の持つような計算システムをつくりだそうとしている。もともとは、画家であり彫刻家であった荒川は、鑑賞としての絵画にとどまらず、生命という自然現象を捉え直し、意識をあるいは知覚を正しく環境の中に遍在させていく。
実際に荒川がつくった《養老天命反転地》あるいは《三鷹天命反転住宅》は、さまざまな気づきに満ち溢れている。荒川は、不変項を「降り立つ場」(landing sites)として表現しているが、それを気づかせるために、身体を常にアンバランスな状態に置いている。結果として彼がつくり出したのは、環境と人とのインターフェイスの再構築であり、そうすることによって、気づきの計算回路がデザインされる。

5 プログラムとしての建築

荒川は、単に自然に存在しているアフォーダンスを使うのではなく、新奇なアフォーダンスを発明し、人間の「わかる」プロセスのために用いようとしている。この作業は、既存の計算のパラダイムで言うところの「プログラムを書く」ことにあたる。すなわち、建築もプログラムを書くと同等であるという立場から、空間をフォーマットして、わかるという状態に導く「プログラム」をデザインしようというのである。
人間の主観的な感覚、クオリア、エピソード記憶、そういったものは考えれば考えるほど、物質世界には投射されない心的世界があるかのように議論される。二元論者(心と物質としての脳の二つ)はその極端な立場である。しかし、心も畢竟自然現象と考え、心を揺らがすパターン、言葉、風景といった外在化しているものを制御することで、わかるというパターンを心のなかに立ち上げようとする試み、それはもっとラディカルに押し進めるべきだろう。コンピュータのように(つまりTuring machineの意味で)脳を見るのではなく、建築家やアーティストの側から見る脳は新しい計算の構築であることはもっと認識されるべきである。そのための音と建築の話は次回に。

荒川修作《三鷹天命反転住宅》 出典=http://www.architectural-body.com

荒川修作《三鷹天命反転住宅》
出典=http://www.architectural-body.com

>池上高志(イケガミ・タカシ)

1961年生
東京大学大学院総合文化研究科&情報学環教授。

>『10+1』 No.46

特集=特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える

>アルゴリズム

コンピュータによって問題を解くための計算の手順・算法。建築の分野でも、伊東豊雄な...

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アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンが創出した造語で生態心理学の基底的...

>荒川修作(アラカワ シュウサク)

1936年 -
美術家、建築家。