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Regulation | 池上高志
Regulation | Ikegam Takashi
掲載『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?, 2006年12月発行) pp.44-46

1 オートポイエシス

生命は、内側と外側を仕切る「膜」あるいは「インターフェイス」を自律的につくり続けるシステムである。境界なき生命をわれわれは生命とは認識できないし、内側をつくることによって、勝手なことを内部で繰り広げることができる。膜を通して好きなものだけを内側に取り込んで、精密な構造物をつくり上げることができる。例えば細胞はそうした例だが、生命現象の所与の性質、個体、個別性、なわばり、所有概念、そういうものはすべて内側と外側をわけたところに派生する。
生命理論において中心的な役割をなす、オートポイエシスという理論がある。これは生命の本質を、自己複製や進化ではなくて、境界条件の自己算出という形で捉え直すものである。化学反応を使った例では、代謝物質が触媒作用で膜の分子をつくる。その分子がつながって膜をつくり出す。その膜に囲われていることで触媒分子が局在化させられ、恒常的に触媒分子により膜分子が生成されることで、膜=境界が維持される。実際、原始細胞(proto cel)をつくる場合に、このように自己算出的に膜がつくられ、維持される。
しかしオートポイエシスで言われることは、物質的な境界の生成にはとどまらない。むしろオペレーショナル(操作可能性)な境界のことである。たとえば、キッチンにおかれた冷蔵庫について考えよう。その冷蔵庫にビールを入れておいて飲む。ウニのびんづめを入れる、アイスノンを入れておく。冷蔵庫の表面にいろいろなマグネットをつける。そうした諸々の行為の集積点、行為がつくり出す全体として、冷蔵庫という「意味」が立ち上がる。冷蔵庫というものが自分の中にsituateする。冷蔵庫というラベルは、ある客観的な物質的対象に対して与えられる名称ではなく、行為の網という境界の中で算出するものなのである。オートポイエシスとはこのこと(enaction)である。
生命は膜を介して、意味を立ち上げる。膜は、外を見るセンサーであり、外に働きかけるモーターでもある。センサーとモーターは膜によって絡み合う。単細胞生物ならばそのひとつの膜を介して、進化した多細胞生物であれば視覚や触覚など様々な知覚システムを介して外とつながり、身体により外に働きかける。例えばゾウリムシを考えてみよう。微小な温度勾配をセンサーが捉えて、好きな温度のところに動いていく。しかし好きな温度のところにいってみたらば、別の化学物質の勾配が知覚されて、それが今度はセンサー情報を占有する。そのようにセンサーとモーターが繰り返し影響を与えて回っていく様、それをセンサー・モーターの組み合わせ方(カップリング)という。このセンサーとモーターのカップリングが意味の形を与える。様々なセンサーとモーターの組み合わせの集積点として、環境の意味をゾウリムシは獲得している。それはゾウリムシだけではない。すべての生命はこのセンサーとモーターのペアを回すことにより、その外延として世界の意味を見出している。
センサー・モーターカップリングは、進化ロボットの研究において重要な考えとなっている。進化ロボットは、センサーとモーターの媒介のさせ方(多くの場合神経回路網をまねいている)を、遺伝的なアルゴリズムで進化させ、環境に対して「意味のある行動」を生成するように進化させられるロボットのことである。ロボットは環境を探索し、それにつれてセンサー情報が移り変わり、それがロボットの行動パターンを随時つくり出す。この連鎖の中でロボットは、初めて環境の意味を把握することができる。例えば、この赤い箱の右側には出口がある、など。そのようにして獲得される環境の知識を、視覚的、あるいは固まった表象/知識に比して、ダイナミックな認知的地図という。

化学実験的につくり出した、 膜をつくりながら自走する油滴。 油滴のまわりのビラビラが 膜分子のつくり出した構造 撮影=Martin Hanczyc (ProtoLife s.r.l. )

化学実験的につくり出した、
膜をつくりながら自走する油滴。
油滴のまわりのビラビラが
膜分子のつくり出した構造
撮影=Martin Hanczyc (ProtoLife s.r.l. )

2 建築におけるオートポイエシス

建築デザインとは、空間のフォーマットのことである。われわれが歩き回り、触り、感じる空間を設計する。空間を区切り、そこに意味の契機を与える。意味をつくり出すのは、人間の持つ知覚にはたらきかけるフォーマットされた空間の持つアフォーダンスである。Bad affordanceという言い方があるように、人の知覚に素直にフィットしてしまう建築とそうでないものがあるが、それはすでに進化してきた人間のセンサー・モーターカップリングの構造を素直に反映しているかどうかである。例えば、瀟酒なホテルの壁に、“Restaurant this way!”という張り紙を廊下に貼り出さないとレストランが見つからないようなBad affordanceは、残念ではあるが、日本ではよく見る光景だ。似た例がドナルド・ノーマンが挙げるコクピットの例だ。高性能のジャンボジェットの表示板と操作板だらけのコクピットを想像してもらいたい。パイロットはどうしてもこのコクピットをうまく使えないのだ。苦労した末、パイロットが発見したのが紙コップだった。スロットルに紙コップをかぶせるといったことでうまく操縦できるようになった。この紙コップのようなものが、コクピットを使う側の人間が、そのコクピットのアフォーダンスを自分のセンサー・モーターにすりあわせるために必要だった「デザイン」である。
しかし、もちろんアフォーダンスにあったものがよいデザインというわけではない。建築デザインは、このアフォーダンスをあえて歪(ひず)ませてしまうことで、そのデザインを魅力的なものに見せていることが多い。ある種の錯覚や倒置を利用してデザインされた建築空間、例えば荒川修作の《養老天命反転地》、あるいは《三鷹天命反転地》は、その極端な例であろう。荒川の建築が目をひくのは、それが通常のアフォーダンスを、われわれの持つセンサー・モーターカップリングの仕方を裏切っているからだ。荒川の三鷹のアパートではお風呂に入る、トイレに入る、といった日常的な行為がうまくできない。まったく別なセンサー・モーターカップリングを発達させて、まるで一歳の幼児のように、つくり直さないといけない。そのことが、その建築のデザインを魅力的なものにする。
実はここに、オートポイエシスから一歩進んだ、革新的なアイディアがある。生命の本質は、定まったセンサーとモーターのカップリングをつくることではなくて、むしろそれを歪ませるところにある。アフォーダンスをひっくり返すところに、生命の適応性、知性、進化可能性があるといえる。アフォーダンスをひっくり返すとは、つまりは「遊び」のことである。イスを潜水艦に見たてたり、マットレスを巨大な馬にするような、子供の遊びこそ、オートポイエシスを一歩進めたデザインのプリンシプルになる。

3 E線とM線

ここで、進化ロボットに話を戻そう。センサーからの信号をもとに車輪を回して進む想像上のロボットを考える。見かけ上複雑に見える生物の振る舞いも、適当な電気回路を用意することで模倣できる、ということをかつてブライテンベルクが『Vehicles』(邦題『模型は心を持ちうるか』)で著した。その電気回路のデザインで、ブライテンベルクは、二つの特別なモジュール回路、M(メモトリクス)線とE(エルゴトリクス)線を提案する。M線の両端にある素子に何度か同時に電流が流れると、M線の電気抵抗は下降する。一方、E線は、その両端にある素子に時間差をもって電気が流れたときに抵抗が下降する。このM線はしたがって連想などの空間相関(例えばコーヒーの湯気とその香り)を計算し、同様にE線は因果関係の認識のような時間相関(雲行きが怪しくなると雨が降る)を計算する。ヴィークルがあくまで主観的に映し出すヴィークルの認知世界のベースには、この二つのE線とM線が必要だ、と主張する。
進化ロボットがうまく環境の中で振るまうとは、センサー・モーターカップリングの構造に、環境のアフォーダンスを写し取ることである。自然のなかの構造を写し取るためにどのような仕掛けが必要なのか。ブライテンベルクはそのためにM線とE線が必要だと考えた。しかし、実はこれだけではロボットは生き物らしくは見えない。ブライテンベルクもそのことを気にして、最後にランダムネスをつけ加える。それは、それまでのE線とM線の構造からずれるダイナミクス、飽きるとか、好奇心とか、遊び一般、そういったものがより認知的、あるいは生命的特徴であると彼も考えていたことになる。
多くの人工知能の研究においては、例えばチェスの強いプログラム、ジャンボジェット機の運転システム、銀行のアカウントの管理プログラム、その他多くの人工的なものがいかに効率よく最適なシステムをつくるかに心を砕いてきた。しかし実際の生命は、先に書いたような「遊び」(=適応性)を持つために、いかにその最適なところからずれるか、ということに心を砕いているように見える。この、アフォーダンスを歪ませることと、逆に自分のセンサーとモーターのカップリングにあわせようという二つの軸が生命の本質であり、それが、われわれの空間のフォーマット、建築にも必要なことであるように思われる。

4 Regulation

二〇世紀の中頃にサイバネティクスという運動が新しい生命の理論として注目を集めた。サイバネティクスは、物理学者、数学者、生物学者、心理学者を巻き込んだ最初の学際的な研究で、サイバネティクスは、自己維持、ホメオスタシス(恒常性)を生命の基底として考えた。現在このサイバネティクスとオートポイエシスをあわせたとき、その思想の中心に「regulation」という考えを見てとることができる。regulationとは、あるものを一定に保つことだけではなくて、その揺らぎを保つことである。例えば、センサーとモーターのつながりを揺らがす。アフォーダンスをひっくり返す。そうすることでシステムは適応性を獲得する。別な言い方をするならば、regulationとは、あるべき行為の準備、行為のレパートリーを蓄えておくことである。センサーモーターカップリングは実際に起きた行為とセンサーの関係をつくり上げることだけではない。むしろ、実際におきていない行為についても対処できるものである。 われわれは、世界は何か、ということがわれわれにわかる形でそうなっていると思いたがる傾向がある。アフォーダンスとはそういうものだ。しかし知覚というのは本質的にランダムだ、と考えたくなる多くの証拠がある。それは解釈不能/予測不能のランダムネスではない。同時に多数の解釈を内包するランダムネスである。このランダムネスが、regulationということである。だからregulationとは、可能性の総体である。あるひとつの因果関係(センサーモーターの連なり)はそのなかから紡ぎ出されるひとつにすぎない。
渋谷慶一郎+池上高志による《Filmachine》(前回参照)が示したものは、普通の意味での音楽コードの進行ではなくて、その母体となる時間的進行をもたない背景である。その母体の中からリズムや音色が生成する、というものであった。母体そのものは知覚的な不定性(何がどこへ向かっているかを一意的に把握できない)の全体である、行為の束である。それが音響空間の構成と非常になじんでいた。それはひと種類の聞こえ方をゆるさない。音による空間のフォーマットという新しい試みにおいて、regulationという考え方が、そのためのガイディング・プリンシプル(指針)になると期待している。

>池上高志(イケガミ・タカシ)

1961年生
東京大学大学院総合文化研究科&情報学環教授。

>『10+1』 No.45

特集=都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?

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1936年 -
美術家、建築家。