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本物の教会/フェイクの教会 | 五十嵐太郎
Real Churches/ Fake Churches | Igarashi Taro
掲載『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) pp.59-60

キリスト教と日本の結婚式

以前、この連載において結婚式教会を通じて、神社の問題を考察したように、今回は本物の教会と比較しつつ、その関係を論じよう★一。
最初にキリスト教が日本にもたらされたのは、一五四九年、ザビエルが来日したときである。一時は数十万まで信者が増えたものの、厳しい弾圧のもと、やがて地下に潜っていく。一九世紀の後半にキリスト教が解禁されたあと、熱心な活動にもかかわらず、現在でも信者は日本人の一パーセント程度にとどまっている。アフリカや韓国などに比べると、日本は布教の失敗例とみなされているようだ。しかし、結婚式におけるキリスト教は大人気であり、九〇年代にはキリスト教式のシェアがそれまでの定番だった神道式を超えている。その結果、結婚式のためだけにつくられる教会も増加した。マーク・R・マリンズは、こう述べている★二。

今日キリスト教会は、日本における宗教間の分業の中で、結婚式という役どころを奪いあう手ごわい競争相手になっている。(…中略…)細分化された区割に押し込められてはいても人気の高いこの役割を演じることによって、キリスト教は日本の民俗宗教複合体のなかに足場を築きつつあるようである。この「キリスト教式」結婚式の風潮には、現代社会の通過儀礼に別の宗教伝統を自然に流用する日本的な手法が表われている。


そもそも日本において結婚式を定着させたのはキリスト教だった。神道や仏教では、特殊な儀式をもたなかったが、外来のキリスト教に刺激され、新しい伝統を創造している。もっとも明治時代の『風俗画報』を見ると、教会において女性は和服を着て、挙式を行なっていた。だが、いまや日本人の女性にとってウエディングドレスは必須のアイテムであり、教会はそれを着用するのにもっともふさわしい場として認識されている。ちなみに明治二二年、教会は布教の窓口として幼稚園を併設したが、この動向も仏教が追いかけた。
日本は、世界的に見ても宗教的に特殊な状況にある。カトリックでは、信者以外による結婚式がヴァチカンから許されているのは、日本だけのようだ。実際、日本人の海外教会での挙式では、こうした宗教観の相違によるトラブルが報告されている。また日本では、一九八四年にブライダル宣教団が登場した。布教の一環として、ホテルや式場と提携し、非信者の挙式を積極的に引き受ける団体である。カトリック中央協議会の教勢調査によれば、一九九九年は七二五七組の結婚のうち信者以外は四三四五組、二〇〇四年は四一八九組のうち二一四一組だった★三。非信者同士の結婚がいかに多いかがよくわかるだろう。全体の数が減っているのも、非信者が激減しているからだ。しかし、これはキリスト教式が流行らなくなったからではなく、ホテルや式場に次々と建設された結婚式教会に奪われたからである。つまり、カップルの嗜好は、講習を受けるなどの手続きが面倒な本物の教会からお手軽なフェイクの教会に移行しているのだ。

なぜキリスト教式が増えているのか

鈴木範久によれば、日本においてキリスト教は「イエ」からの個人の解放のシンボル、あるいは社会の近代化をリードする宗教として受容された(『日本宗教事典』弘文堂、一九九四)。なるほど、仏教は江戸時代に幕府の庇護を受けながら檀家制度を通じて「イエ」と結びつき、神道はとりわけ戦争時に国家という枠組を強化している。とすれば、国や地域の共同体とは関係なく、個人が信仰するキリスト教は、「イエ」が解体しつつある現代日本の結婚式にふさわしい。確かに現在のカップルは、親や仲人などに頼らず、結婚情報誌や関連のウェブサイトなどを参考にして、自分たちで式場を選んでいる。そうしたやり方自体が、個人の優先を表わしているだろう。クリスマスやバレンタインなどの記念日も、家族とはつながらず、カップル向けの商業的なイヴェントに変化している。
宗教学の石井研士は、神殿はどれも共通した雰囲気をもつが、キリスト教式の空間のほうが多様性があるという★四。つまり、二人の結婚式の個性を発揮することが可能なのだ。キリスト教式はカタログから選ぶ楽しみがある。おそらく神道式は、戦後に浸透しているために、すでに日本全国の式場やホテルでそろえている。その先駆けとなった帝国ホテルは、昭和になって多賀大社を分祠した。だが、ホテル内のインテリアとしてつくられる神殿は、デザインの差がほとんどわからない。保守的な性格もブレーキをかけている。一方、外観をともなう独立した結婚式教会は、記号的な操作とはいえ、多様性を演出しやすい。ガーデン・チャペルはあっても、ガーデン神殿というのは考えにくいだろう。石井は、以下のように述べている。

なぜこうした多様性が許されるかといえば、そうした施設が教会ではなくチャペルであるからである。十字架とヴァージンロードと、牧師らしい人と、そして教会らしい雰囲気があれば十分である。日本人が、どこまで「教会らしさ」を理解しているかは、かなり曖昧である。極端ないい方をすれば、すてきな洋館もしくは洋室であれば施設としては要件を満たしているということではないだろうか。


だが、念のために確認しておくと、結婚式のための教会は、なんでもいいわけではない。異国であっても、さすがにエジプト風だったり、タイ風のデザインではダメだろう。やはり、教会らしさが求められている。だが、教会らしいことと、本当の教会であるかどうかは別問題だ。前述したように、カトリックの教会における非信者の挙式が減っているのも、そのためだと思われる。オウム真理教のサティアンが話題になったとき、これは宗教建築ではないという反応が起きたように、教会と言えば、サンピエトロ大聖堂やパリのノートルダム大聖堂などがすぐに連想されるだろう。だが、それは特殊な事例である。ふだん街を歩くとき、たまに目に入る教会は、必ずしも教会らしい外観をもっているわけではない。住宅や集会所とさほど変わらないものだったり、ビルのフロアに入っていることもあるだろう。例えば、一九〇一年に設立された内村鑑三の無教会運動は、日本におけるキリスト教の草分け的な存在だが、借りた施設や自宅において会合を行なう。教会のない人々のための教会である。だが、こうした場での挙式を望む非信者はいないだろう。

名古屋におけるケース・スタディ

先日、名古屋において本物の教会を集中的に見学した。電話帳をベースにして、キリスト教の宗教施設として登録されている物件を調べたのである。当然のことだが、そこには各宗派を網羅しつつも、いわゆる結婚式教会は除外されていた。つまり、電話帳では、本物の教会とフェイクの教会が厳密に分けられている。いつも興味深いデザインの建築を選ぶのだが、今回は本物の教会をできるだけ多く訪れることを心がけた。しかし、実際に探したところ、そのいくつかは見つけることができなかった。仮に電話帳に記載後に教会が廃止されていたとしても、解体されない限り、建築は残っているはずだ。とすれば、住宅とはほとんど変わらないような目立たない外観の教会だからなのかもしれない。
本物の教会を見よう。日本キリスト教団の金城教会は、モダンなビル風である。十字架がなければ、教会だとわからないだろう。縦長のプロポーションの窓が、かろうじて内部にホールがあることを想起させるくらいだ。日本キリスト教団の中京教会は、聖職者の家と同じ敷地にある[図1]。けっして大きくない建物だが、アーチの窓やアプスなどがつく。とはいえ、全体の印象としては、ちょっとした街の集会所という雰囲気である。日曜の礼拝後、教会の前は信者の井戸端会議が行なわれ、コミニティの拠点になっていた。言うまでもなく、信者なき結婚式教会に、そうした生活感はない。ところで、宗教建築ではない結婚式教会は、「集会所」として確認申請が出されている。本物の教会が集会所としても機能するのに対し、集会所である結婚式教会が宗教色を強調しているのは、なんとも皮肉な現象といえよう。日本キリスト教団の名古屋中央教会は、栄の中心にあり、かなり洗練されたモダンなデザインだった。もっとも、一八八九年につくられた初代の教会は、はっきりとゴシック様式と認識できる。つまり、建て替えによって、良質のモダニズムに変化した。
廃娼運動などで知られる救世軍の教会も、アーチの窓があるものの、十字架がなければ、普通のビルに見えるだろう。同盟福音名古屋の金山キリスト教会は、ただの三階建てのビルである[図2]。名古屋山上教会は、今池つばめビルに間借りしたものだ。フルゴスペル名古屋教会は、教会風のフレームを前面に置く、ポストモダン的なデザインである。そして日本福音ルーテル名古屋教会と日本バプテスト名古屋教会は、いずれも尖塔をもつほか伝統的な形式も残し、教会らしい外観になっている。後者は一九五三年に献堂式が行なわれており、前者もやはり古い物件と思われる。本物の教会は、近代において様式を求めたが、現代はさほどこだわっていないようだ。
もっとも立派なのは、カトリック布池教会(一九六二)である[図3]。大聖堂のスケール感とゴシック様式をもつからなのだが、失礼ながら、結婚式教会に見えてしまう。むろん、それは事後的な錯覚なのだが、やはり多くの非信者の結婚式も手がけているようだ。ここはカトリックながら、初婚のみではなく、再婚も許可があれば挙式ができるという。そして右隣の聖ヨゼフ館では、結婚式の業務をリゾートトラスト社に委託し、二階と三階に「聖なる晩餐会」をテーマとしたミカエル、ラファエル、ガブリエルという名のの宴会場を設けている。すなわち、ホテルに教会の機能がついたのではなく、逆に教会にホテルの宴会場が付加されたのだ。考えてみると、明治神宮や乃木神社でも、結婚のための施設を後からつくっている。ともあれ、非信者はビルのような教会を選ばないが、カトリック布池教会は、教会らしさを感じられるがゆえに、人気なのだろう。
明治村の聖ザビエル天主堂や大明寺聖パウロ教会堂でも結婚式ができる。これらはかつて現役だったが、移築され、宗教的な機能を失った教会だ。しかし、人々は本物であるという物語を求めるのだろう。同様に、マリエール豊橋のサンパトリス大聖堂などのように、イギリスの捨てられた教会から素材やステンドグラスを輸入し、活用する結婚式教会も増えている。関係者によると、こうした材料の買い付けの値段が高騰しているらしい。たとえごく一部でも(しかし、すべてオリジナルだと信じる人も多いはずだ)、本物を組み込んだというだけで、ありがたさが増すのだろう。しかし、そこが本当の信仰の場であることよりも、マテリアルの物語のほうが重視されているのだ。

1──中京協会 筆者撮影

1──中京協会
筆者撮影


2──金山キリスト教会 筆者撮影

2──金山キリスト教会
筆者撮影

3──カトリック布池教会 筆者撮影

3──カトリック布池教会
筆者撮影


★一──拙稿「デジタル・コピーされる結婚式神社」(『10+1』No.39、INAX出版、二〇〇五)。
★二──マーク・R・マリンズ 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(トランスビュー、二〇〇五)。
★三──カトリック教会現勢二〇〇四。URL=http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/data/index.htm
★四──石井研士『結婚式──幸せを創る儀式』(日本放送出版協会、二〇〇五)。

*この原稿は加筆訂正を施し、『「結婚式教会」の誕生』として単行本化されています。

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年生
東北大学大学院工学研究科教授。建築史。

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