Walking on a thin line
これから約三年にわたって、志を同じくする人々と、日本国内をまわり歩くことにした。すくなくとも現在の日本のさまざまな場所の姿をなるべく網羅的に見ておきたいと思ったからである。そこから何か新しい派生的なことが考えられればと望んでいるのだ。ただ、そのガイドとなる本はあらかじめ決めている。初版が刊行されてからもうすぐ九〇年に届きつつある今和次郎の処女作『日本の民家』★一である。
今和次郎(一八八八─一九七三)は大正一一(一九二二)年、彼が三四歳の時に同書を上梓した。農務省役人・石黒忠篤のバックアップのもと、五年をフィールドワークに費やしたこの本は、日本近代初の「民家」(この名称もこの本によって広められた)紹介の書である。民家を中心とした日本の生活文化のありようが多層的に語られている。そして今によるスケッチが、現在ではかけがえのない資料となっている[図1]。
ページをめくるたびに思う。この民家、そしてそこに含まれる、この総合的な感覚に満ちた人々やモノたちは、今どうなってしまったのだろう。そんな単純な想いがこの計画を考えたおおもとである。今が紹介した民家、あるいはその民家跡をいちいち探り当てたい。移築されているかもしれない、建て売り街区に代わっているかもしれない、あるいはダムで埋没したか、とっくに計画道路の下敷きとなっているのかもしれない。いずれにせよこの一世紀で、日本の住まいそしてそれを取り巻く環境や景観は大きく変わった。いたるところアスファルト舗装の道路が完備され、小川までコンクリートののり面で舗装された。子供の頃よく遊びに行った母方の故郷を、高校生の頃久しぶりに訪れた時のその風景の変わりようは未だに鮮烈な記憶として残っている。未舗装だった小さな駅前はロータリーとなり、立ち並ぶ建物も一新されていた。あげくの果てに、ケーキ屋の売るケーキの味さえ建物とともに変わってしまっていたのだった。このようなドラスティックな改造は有史以来初めてのことではないかとさえ思われた。だから今が訪れた後の「民家」の経緯をまとめて、およそ九〇年ぶりの再訪版『日本の民家』をつくりたいと思ったのだった。