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森の気配─白昼夢としてのイノデータブノキ群集 | 石川初
Sense of the Forest: Polysticho-Machiletum Thunbergii as Daydream | Ishikawa Hajime
掲載『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体, 2006年03月発行) pp.78-81

ある土地に生えている植物群を総称して「植生」という。植生を構成している植物群落は、その土地の環境に応じて、それぞれ特有の出現比率や組み合わせのパターンを作ることが知られている。似たような立地条件のもとではほぼ同じようなパターンが発現するし、何らかの条件が大きく変化すればそれにつれて植生も変化を見せる。植生は環境条件を強く反映する一方で、その条件に働きかけ、それ自体が環境を作りもする。生態学は、植物の単体ではなく、こうした「群」の組成や振る舞いに注目し、「系」を記述しようとする。
群落の特徴と立地環境条件との間に、ある特定の対応関係を見出して、より上位の植生単位に分類、体系化して把握する方法論があり、これは「植物社会学」と呼ばれている。植物社会学的な類型概念によって整理分類された群落の空間的分布を、地図にマッピングしたものを「植生図」という。現在、観察される植生を記したものを特に「現況植生図」と呼ぶ。日本全国の植生調査が環境省によって行なわれ、現況植生図に整理されている。一部の植生図はオンラインで閲覧することもできる。

1──東京近郊の現況植生図 引用出典=宮脇昭『日本植生誌  関東』至文堂、1986

1──東京近郊の現況植生図 引用出典=宮脇昭『日本植生誌  関東』至文堂、1986

2──東京近郊の人工衛星写真による鳥瞰 引用出典=デジタルアーステクノロジー「スカイビュースケープ  世界衛星画像(地球)」

2──東京近郊の人工衛星写真による鳥瞰 引用出典=デジタルアーステクノロジー「スカイビュースケープ  世界衛星画像(地球)」

灰色の地図

現況植生図には、複雑で急峻な地形や、南北に長いために地域による気候の差が大きい日本列島の自然の特徴がよく表われているが、何よりも眼を引くのは人為による影響の大きさである。都市域はおおむね、植生記号的にごそっと空白になっている。東京の場合、都心部では、皇居や明治神宮内苑、赤坂離宮、白金自然教育園などが、点々と島状に「緑色」に塗られているのが目立つ(というか、そのくらいしか「緑色」がない)。都市の周囲では、山間部へ向かって植生が大きくグラデーションを描いている。
現況植生図の「凡例」には、記載されている植生単位の分類が並んでいる。前述のように、これはその土地の植物一つひとつを記述したものではなく、分類された群落に類型した、いわば「メタデータ」である。つまり、ここには分類者の思想、ある「自然観」が反映されている。自然観はえてして、都市に向かうときに顕著に表明される。植生図の「凡例」も、人為の影響の大きい植生の分類と記述において、その「姿勢」が浮かび上がっていて興味深い。
例えば、都市近郊に広がっている農地は、確かにその範囲はある植生として分布が描かれているが、分類は「畑地雑草群落」「水田雑草群落」である。群落の解説には「畑地に成立する雑草群落。シロザ、ツユクサ、スベリヒユ等の一年生の植物を主構成種とする」とある。つまり、農作物は植生とは見なされず、農地は、「農地のコンディションに生える雑草の群落がある場所」という観察がされているのである。このこだわりというか、徹底ぶりがむしろ壮快である。もっとも、「果樹園」は無視できなかったようであって、いわく「高さ二メ ートル以上の果樹(林檎、梨、葡萄、桃、蜜柑)が栽培される樹園地、または茶畑。桑畑や苗木畑も含める。畑地雑草や路傍雑草が生育する」とある。あるいは、ゴルフ場は「ゴルフ場・芝地:頻繁な刈り取りにより維持されている植生高一〇センチ以下のゴルフ場や公園のシバ地」である。植生図的には、公園の芝生とゴルフ場のフェアウェイは同じものである。「市街地」については、「緑被率三〇パーセント未満の市街地等で、住宅地、ビル、道路、人工構造物が卓越する区域」と、なんだか冷淡である。
これら、人為的な干渉下で成立している植生は「代償植生」と呼ばれている。本来、そこに成立するはずだった自然植生が、人為の影響によっていわば押さえつけられ、別なタイプの植生に「代償」されている、というわけだ。代償植生は一般に不安定で、放 っておけばその環境に固有な安定相、その土地におけるいわば「終極的」なステージへ向かって変化してゆく傾向がある。そこで、ある土地において、人為的な干渉がまったく停止されたときに、究極的にどのような「自然植生」になるかを、気候、土壌、現在の植生の断片などから推測することができる、という主張が成り立つ。これを、「潜在自然植生(Potential Natural Vegetation)」という。
これを分布図に描いたものが「潜在自然植生図」である。日本列島を網羅した縮尺のものは環境省のウェブサイトでも閲覧することができるが、より詳細なものは、宮脇昭編著『日本植生誌』一–一〇(至文堂、一九八〇–八九)が有名である★一。

3──東京近郊の潜在自然植生図 引用出典=宮脇昭『日本植生誌  関東』

3──東京近郊の潜在自然植生図 引用出典=宮脇昭『日本植生誌  関東』

4──東京近郊の潜在自然植生の鳥瞰「カシミール3D」利用、「奥秩父の森」風景設定

4──東京近郊の潜在自然植生の鳥瞰「カシミール3D」利用、「奥秩父の森」風景設定

緑色の地図

潜在自然植生図はちょっとした見物である。ことに、現況植生図と見比べると、その落差に目眩がする。都市域はまったく無視され、全面的に緑に塗られている(人為による影響がないと仮定した条件であるから当然ではある)。これによれば、日本列島はほとんど、数カ所の例外的な地域を除いては、森林が潜在している。図上、東京はタブノキやシラカシなど、常緑の広葉樹林に覆われている。鬱蒼とした森林が広がる東京というのは、それはそれで見てみたい風景ではある。
ただ、この緑色の地図は、いささか扱いにくい面も持っている。それが描くイメージがあまりに鮮烈で、かつ明解なため、それ自体が「あるべき自然」というモデルに容易に転化するのである。一旦そうしたモデルが想定されると、すべての植生は「市街地」と「潜在自然植生」の間に序列化され、「自然度」、すなわちその植生が「どのくらい原始自然に近いか(どのくらい人間から遠いか)」という一元的な基準で価値を計られてしまう。実際、開発行為にあたって実施される環境アセスメントなどではしばしばこうした尺度による自然環境の評価が行なわれている。また、当の宮脇らの提唱と指導により、その土地の潜在自然植生を推測したのちに、それを構成する樹種のポット苗を集中的に植樹するという「ふるさとの森づくり」という運動があり、現在も広く実践されている。「ふるさとの森」は、人間の活動を排除することによって成立している「自然」である。
近年の保全生態学や景観生態学は、人為を排した自然ばかりに必ずしも価値を置いてはいない★二、三。むしろ、農地や薪炭林、いわゆる里山の植生のような、適度な人為的攪乱の持続によって成立している生態系が、生物多様性を支えているという報告が多くある。自然はそんなに単純ではないのである。
しかしなお、私たちがこの「緑色の地図」に惹かれるのは、それが「地表の可能性」に思いを馳せる補助線になるからである。私たちがそこに見るべきなのは、あるべき理想の自然像ではなく、地面が秘めている「豊かさ」とでも言うべきものである。タブノキの森のイメージを、一種の補助線として置いてみることで、現況植生図は静的な「分類の分布」ではなく、ダイナミックな自然のプロセスとして浮かんでくる。都市のちょっとした空き地にいつの間にか生えてくるアカメガシワに森を予感するような、「厚み」をもった視点を、この緑色の地図はもたらしてくれる。人工的に造成された土地には参照する文脈も依って頼む自然もない、などという賢しげな議論を一顧だにせず、埋め立て地まであっさり「イノデ─タブノキ群集」に塗りつぶしている、この地図のラディカルさが、私はけっこう好きである。

5–11──都市の植生に見る「遷移」 草原から森林まで 筆者撮影

5–11──都市の植生に見る「遷移」 草原から森林まで 筆者撮影


★一──宮脇昭『植物と人間│生物社会のバランス』(NHKブックス、一九七〇)。
★二──鷲谷いづみ+矢原徹一『保全生態学入門│遺伝子から景観まで』(文一総合出版、一九九六)。
★三──モニカ・G・ターナーほか『景観生態学│生態学からの新しい景観理論とその応用』(中越信和ほか訳、文一総合出版、二〇〇四)。

>石川初(イシカワ・ハジメ)

1964年生
株式会社ランドスケープデザイン勤務、登録ランドスケープアーキテクト(RLA)、関東学院非常勤講師。ランドスケープデザイナー。

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特集=グラウンディング──地図を描く身体