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究極のワンルームとコーポラティヴハウス | 西川祐子
The Ultimate One-Room and the Cooperative-House | Nishikawa Yuko
掲載『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) pp.34-36

この連載は連想ゲームのようにして続く。主題は最初の回の終わりに書いたように、個々人の空間である「部屋と部屋が助け合わなければならないとき、どんな新しい仕掛けが発明され」るかである。新しい試みがあると聞くと見学にゆき、問答をさせてもらい、その取材のなかから次回のヒントが浮かび上がるというようにして続けるつもりである。京都の宇治市コーポラティヴハウス「花の木坂」に前山道代さんを訪ねたのは、この連載の話がまだなかった時であり、連載を引き受けたのは、前山さんの家の見学から受けた衝撃が記憶にあったからかもしれない。究極のワンルームを見たと思った。建築も印象的であったが、それ以上に自己の思想を空間に表現することを計画的に考え、実現し、住むことの行為主体として実践をつづけている前山さんの気迫にうたれた。この取材が記憶に大切にとってあるという安心をよりどころに連載を引き受けたのかもしれない。
とっておきの素材を最終回ではなく、真ん中にもってきてしまったら後がどうなるか、不安を感じるのだが、連想ゲーム的論理展開でゆくと、前回カンガルーハウスとのつながりは、子ども中心という生きた仕掛けだろうか。カンガルーハウスの場合はシングルマザーのための母子室であった。前山さんの住宅の場合は、続き庭でつながった隣家の子どもたちである。
花の木坂コーポラティヴ住宅は京都福祉生協設立発起人会が事業主となって最初のコンセプトと敷地を用意して発足した。応募した将来の住民が計画の段階から積極的に参加、やがて住むという行為の行為主体となった例である。住むことについてはっきりとした志をもっている住民たちは内部会報において、また新聞雑誌など外部からの取材に応じてしばしば発言し、それが活字化されている。それらの資料によると、一九八八─九〇年が準備期間、九一年に第一次入居者募集、九二年に第二次募集。見学会、交流会、設計作業を繰り返した後に一九九三年に竣工式、九四年一月から順次完成であった。事業主がたてた福祉型コープ住宅のコンセプトは「高齢者・障害者に対応する三世代住宅」であった。計画再検討を繰り返した後に、二戸連棟住宅が三組、三戸連棟が一組、計九戸が連続裏庭でつながるコーポラティヴ住宅となった。住民はゼロ歳から八〇歳代まで、多世代三〇数名だそうである。当初の計画にあった診療所はなくなり、その代わりに敷地には在宅介護支援センターと地域住民に対するデイサービスと配食サービスのセンターが入っている。
花の木坂の人々は今のところ、このサービスを受けるのではなく、それぞれの住宅に床暖房、段差の解消ほか障害への対応策を盛り込んだ設計を活用し、自力と住民間の助け合いで生活することを原則としているようだ。そこに事業主のたてたコンセプトの組み替え、成長があるように見受けられた。住民自身はのちにこの住宅群のコンセプトを「現代版木造長屋形式の福祉対応住宅」と言い換えている。「長屋」は互助の自治意識を表現した空間であり、他力本願ではない。
ただし近世長屋あるいは大阪、京都に今も多く残る近代長屋にはもともと経済原則によって住民が集まった。つまりは吹き溜まりであった。現代版長屋は吹き溜まりではなく、はっきりとした選択の意志によって集まっているところが違う。花の木坂憲章には「1.私たちにはそれぞれの歴史と生活があります。私たちはこれを大切にし、個人の自主性を尊重するとともに、世代の違いを越えて相互の理解と信頼を深めあうよう努力します」とある。自主性と協同性を両立させる仕掛けを知りたい。
府道からのエントランスと住宅群の間にデイサービスセンターの建物と駐車場の空間がはさまれている。小さなコミュニティは塀や高い壁に囲まれているわけではないが、全体として独立と安全を感じさせるまとまりがある。二戸連棟、三戸連棟はなぜなのだろう。建設途中でバブルがはじけ、当初は一戸六〇〇〇万円と見積もった費用を四〇〇〇万円に縮小しなければならなかったと記録されているから、そのためかもしれない。物音や気配がかすかに伝わる連棟式住宅は、互いに我慢が必要であると同時に連帯感を深める積極的な仕掛けともなる。それ以上に自由に行き来できる裏の続き庭が大きな役割を果たす。続き庭の向こうが川、そして小山という風景を共有している効果は大きい。一戸に対する入居条件が二人以上で住むとなっているところに、自立には協同性が不可欠というメッセージが最初から出されているようだ。
前山さんの家は二階が前山さんのお母さんの空間、階下が足が不自由な前山さんの空間として設計されている。高齢者が階下という常識をやぶる設計である。平面図を見ると階上、階下とも身体の不自由を補佐するための知恵と工夫に満ちている。階段に昇降機がつけられている。室内に段差がない。室内をキャスターつき椅子で移動する前山さんのためにキッチンの諸装置はすべて椅子に座ったまま作業をする高さに設計されている。便所、洗面所、浴室は椅子が回転できる空間をとってあり、座った姿勢で向きを変え移動できるように設計されている。机、通信機器の置き場、物入れはつくりつけである。建築家には大きな箱のような家と注文したのだそうだ。約二〇畳の空間の真ん中にベッド。つまり生活に必要な行為のほとんどすべてを、キャスターつき椅子で軽快に移動できるこの部屋で行なう。二階にもキッチンがあり、便所がある。つまり二つの部屋は不自由を克服してとことん自立をめざす二人の人間が助けあって暮らす原則でできあがっている。その二人がかならずしも親子であったり、夫婦でなければならないわけではない。
前山さんは「住宅は住むための機械」と言ったル・コルビュジエばりに「住まいは住むための道具」と言い切る。徹底した機能性の追求という点では同じだが、非人間的なほど巨大になる機械とくらべて、道具は人の手のうちにあって使いこなせなければならないということであろうか。世の人が家を世襲財産ととらえることに対する批判でもある。したがって住宅から地位財産の表象となるような装飾はそぎ落とされる。生活用具から住民の人柄だけがにじみ出るというぐあいである。
話のあいだに私のほかにいろいろ訪問者があった。裏からはベランダ伝いに隣家の小さな男の子がかけこんできて、前山さんと一緒に冷蔵庫を開けて中をのぞきこんでいた。子どもに対する信頼と目配りが感じられる一瞬であった。お隣とは子どもを預かり、買い物を頼む関係だということであった。町中とちがってショッピングセンターまでの坂道と距離をどうするのか心配であったが疑問が解けた。続き庭をほんとうにつないでいるのは子どもたちだったのである。三世代同居とは花の木坂の場合は他人の子どもたちとコミュニティに同居するということなのだ。この子たちが成長するにつれて友人を連れてきたり、外の世界からのニュースや出来事を持ち込むのであろう。表からかけこんできた大人は、電話が通じない誰それの家に行って様子を見てくるからと言っている。前山さんの家は地域の独り暮らしの人々をサポートするネットワークの連絡場所になっているようだ。「地域と自分を耕す」という前山さんのなかで練り上げられた言葉の実践場面を垣間見た。
私には、帰り際にふりかえって見た花の木坂発電所と小さな看板の上がった自家発電器と内から開閉するドアとがとくに印象的であった。自助のためにエネルギーを一戸の平均消費以上に使うから、ソーラー発電は社会へお返しのつもりがあるとのことであった。内側から招き入れ、送り出しをするドアには住民の連帯と独立の強い意志を感じた。

前川さんの家の設計 出典=『京都新聞』1993年6月11日号

前川さんの家の設計
出典=『京都新聞』1993年6月11日号

「花の木坂」配置図 出典=『アルパックニュースレター』No.89、地域計画建築研究所

「花の木坂」配置図
出典=『アルパックニュースレター』No.89、地域計画建築研究所

>西川祐子(ニシカワ・ユウコ)

1937年生
ジェンダー研究、日本とフランスの近・現代文学の研究、伝記作家。

>『10+1』 No.21

特集=トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。