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ストックとフローのあいだに、 あるいは非同期の情報伝達テクノロジー | 菊池誠
Between Stock and Flow, or Technology for Non-Realtime Communication | Kikuchi Makoto
掲載『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間, 2005年06月発行) pp.39-41

四回連載の本コラムも最終回である。毎回、遊歩者のようにとりとめのないことを書き付けてきたが、結論へと線形に展開するテクストを書くことは最初から想定していない。
前回触れた「メディアとしての建築」展の図録に、ル・コルビュジエの絶筆「思考のほかに伝えうる何ものもない」を翻訳掲載した。その後、伝達可能であるというのはどういうことかを考えていて、レジス・ドブレの『メディオロジー入門──「伝達作用」の諸相』(NTT出版、二〇〇〇)を、遅まきながら読んだ。ドブレは、彼の言う伝達作用をコミュニケーションとは対比的なものとして記述する。ちょっと長いが、私があれこれ解説するより、同書から該当部分を引用しよう。
「コミュニケーションが基本的に空間内の輸送のことだとすれば、伝達作用は基本的に時間を通じての輸送である。前者は一時的で同時発生的であり、いわば横糸である。すなわちコミュニケーションのネットワークはとりわけ同時代人を結びつけるのだ。回線の両端には、送り手と受け手が同時に存在する。後者は通時的で発展的であり、横糸プラス劇的変化である。すなわち多くの場合、送り手が物理的に不在の状態で、死者と生者とを結びつけるのである。現在を輝かしい過去へと秩序づける場合だろうと、神話的か否かにかかわらず未来の救済へと秩序づける場合だろうと、いずれにしても伝達作用は、現実態を仮想態へと秩序づける。時間はコミュニケーションにとっては外部のパラメータだが……伝達作用では時間こそが評価の内的な基準となる。コミュニケーションは短縮することに秀で、伝達作用は延長することに秀でる」。
ドブレの言うコミュニケーションは同期型の通信、伝達作用は非同期型の通信だと言い換えてもよさそうだ。
かつて、コンピュータが急速に広まる時期に、新しい技術が可能にするリアルタイム処理というのが、ずいぶんと喧伝されたように思う。処理要求が発生したら、そのメッセージがただちにコンピュータに送られ、現実世界の時間の進行のなかで処理が間に合うように結果を返す即時処理の技術である。が、コンピュータだけがつながるオンライン・システムのなかに話を限るならばともかく、人と人との間のリアルタイム情報伝達は、別に便利なものでも望ましいものでもない。一九九六年、NTTインターコミュニケーション・センター主催国際シンポジウム「マルチメディア社会と変容する文化──科学と芸術の対話に向けて」にMITのAIラボ所長だったマーヴィン・ミンスキーが出席した。そこでミンスキーはたしか電話はテクノロジーとして遅れている、電話にくらべればファックスのほうがまだしも進んでいるという話をしていたように記憶する。つまり情報伝達するにあたって送受者が同じ時間に電話口の一方と他方にいることを強いられる、というのは情報伝達のテクノロジーとしてけっして進んだあり方ではない。それは、送受者の自由を制約するし、その分コミュニケーションにかかる費用が大きい。技術開発であろうと、デザインの仕事だろうと、原稿書きであろうと、たいがいの作業において、作業時間が分断されるのが一番困る。同期を要求するコミュニケーションの割り込み処理が入ってくることは、生産効率を著しく下げる場合がある。
この場合ファックスは(手紙も)一対一の非同期通信で、電話は一対一の同期通信である。書籍や新聞、雑誌は一対多の非同期通信、TV、ラジオの場合は一対多の同期通信である。そこでTV、ラジオは情報伝達テクノロジーとして書籍・新聞・雑誌より退化したと言えるのかもしれない。
が、それは退化した現代人に見合っているとも言えるのだろう。私たちは恒常的に即時処理や同時性を要求され、苛まれている。シャツのポケットにも収まる大容量ポータブル・ハードディスクが出現してからは、研究室でも、家でも、CADの仕事もグラフィックの仕事もできてしまう。コンピュータ間のデータの持ち運びが記憶容量の小さなフロッピー・ディスクでしかできなかったころは、CADの仕事はもっぱらオフィスで、家にデータを持ち帰ってやるのは文字原稿とプログラムのソースコードを書くことだけだった。そういうモーダルなあり方というのは、いまとなっては逆に羨ましい過去になってしまった。モードレスな仕事の仕方は決して望ましいわけではない。モードレス、リアルタイム、インタラクティヴ。ひたすら右にあるものを左に流し、生産と消費を同時並行的に行ない、いつでも、どこでもコミュニケーションし……。
マルクスはどこかで、生産と消費が同じ平面上で透明に一致している、ロビンソン・クルーソーの生活は、経済と呼ぶには値しないといっていた。現代の私たちの生活は、それが孤立し断片化されているとともに、情報の生産と消費の同時性に苛まれているという点で、逆説的にもロビンソン・クルーソーの生活に似てきているのではないか。他方、アメリカ先住民の文化では、人に何かを贈られたら、すぐには返礼しない、相手が忘れかけるくらいに時間がたってから返礼する。すぐに返礼することは相手の贈り物を軽く見ているようで失礼にあたる、というような伝統的慣習があったとか。このような、時間をおいて伝達するという文化のあり方から、私たちはどんどん離れつつある。
ここに書き連ねたことは、ありがちなテクノロジー批判ではない。むしろ、テクノロジーが不十分ではないか、別種のテクノロジーが足りないのではないかと言っているのである。私が考えているのは疎結合で非同期な情報伝達テクノロジーのなにか良いモデルはないか、あるいはストック=蓄積することと、フロー=交流すること、の中間に位置する概念のキーワードがないか、ということである。
そして、それは情報化時代のミュージアムの役割に通じていくのではないか。ミュージアムは本稿の文脈で言うと極限的な非同期メディアである。ミュージアムのコレクションはそれを介して文明もしくは文化の情報を伝える媒体であるが、それらが作られた過去の時間と、展示される現在の時間との間には、きわめて疎な結びつきしかない。というか、そのモノだけで結びついている。モノはそれが作られたときのコンテクストをひきずっているが、その情報伝達に際して送り手の側と受け手の側で同期をとることはない。その非同期性には現代のコミュニケーション・テクノロジーに本質的に欠けているなにか、時間の隔たりを超えて情報が再生産される創造的なプロセスに関わるところがないだろうか。ちょうど、重ね書きされた羊皮紙の表面にわずかに透けて見える消された文字から、ギリシア、ラテンの古文書が発掘されて、古代の文化に関する新たな知見がもたらされることがあったように、である。
ところで、「メディアとしての建築」展では、展示パネル、ポスター、図録表紙などにピラネージの「カンプス・マルティウスの大地図」[図1]を繰り返し使った。この図を言わば〈伝達作用の機械〉のイコンのように見立てた。来館した私の知人は、この古代ローマの想像的復元の図を見て、SFにでも出てきそうな秘密の宇宙基地の図のように、あるいは、なにかタイムマシンの設計図のように見える、と言っていた。この感想はこの図の「メディアとして」の性格を言い当てていなくもない。一方に古代の考古学的・想像的復元ということ、他方にその後のヨーロッパの建築思潮に与えた影響ということを考えると、これは確かに過去と未来と現在の三様の時間にかかわるある種の作戦地域=操作の場(オペレーション・フィールド)の図面なのである。
また、同展では、新聞見出しのように都市名と年号が大書されたグラフィック・パネルを展示室壁面に配して、展示コーナーを作っている。「ローマ一七六〇」から「大阪一九七〇」にいたる、それぞれのコーナーにあたかも別々の時間が流れているかのように、そうした場の並置と重合によって展示を構成しようと試みた[図2]。そのシークエンスの最初に、拡大されたカンプス・マルティウスの大地図が掲げられているのだが、これがイコンだというのは、この展覧会にとってだけのことではなく、すべからくミュージアムなるもののありかたについてのイコンとなりうるのではないか、と考えたからである。ミュージアム・テクノロジーとは、結局ある種の〈タイム・マシン〉の設計技術のことではないか、などと考えつつ、このコラムを終えることにしよう。[了]

1──「メディアとしての建築」展(東京大学総合研究博物館) 「ROMA 1760  イマジネーションの遺構」コーナーでの 「カンプス・マルティウス」展示パネル

1──「メディアとしての建築」展(東京大学総合研究博物館)
「ROMA 1760  イマジネーションの遺構」コーナーでの
「カンプス・マルティウス」展示パネル

2──同、展示風景 筆者撮影

2──同、展示風景
筆者撮影


「メディアとしての建築──ピラネージからEXPO'70まで」展。会場=東京大学総合研究博物館。会期=平成一七年二月五日─五月八日。

>菊池誠(キクチ・マコト)

1953年生
芝浦工業大学システム理工学部環境システム学科教授。建築家。

>『10+1』 No.39

特集=生きられる東京 都市の経験、都市の時間

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。