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チマタのエロティシズム──映画による夕占(ゆうけ) | 田中純
Eroticism on the Street: YUKE in the Cinema | Tanaka Jun
掲載『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間, 2005年06月発行) pp.2-11

1 闇の官能化

女優杉村春子を偲んだ文章のなかで、映画監督ダニエル・シュミットは、「映画館とは姿を消すひとつの技法である」と語っている。
「暗闇のなかにまぎれ込んでしまえば、目に見えなくなる。独りで映画館に行き、その映画をわがものにする──見終わったあと、それについて話す必要さえなければ。この神秘は決して長くは続かないが、ひょっとしたらうまくバランスをとりながらさらに街路を横断し、つい先ほど起こったこの変身のことなど何も知らない人々のあいだをすり抜けてゆくことはできるかもしれない」★一。
そして、杉村が主演した成瀬巳喜男監督の『晩菊』は、多くの街路を横断したのちにも、闇にまぎれ込んだ変身という神秘の余韻を残す映画のひとつである、とシュミットは言う。
このように、映画そのものよりも映画館という空間の魔力から語り始めているシュミットは、「映画館から出る」ことこそが好きであると告白するロラン・バルトのテクストを記憶にとどめていたのだろうか。「映画館から出て」と題されたエッセイでバルトは、いつもウィークデーの夜に映画館を訪れたのち、街灯のともった、ひとのまばらな通りに出てカフェへと向かう経験の心地よさを反芻している。そのとき彼もまた、今見たばかりの映画について話す必要などなく、黙ったままでいられることを条件にあげている。バルトがそこで観察・描写している自分自身の身体とはこんな具合だ。

いくらかぼんやりと、首をすくめ、寒そうに、要するに、眠そうに。眠い、と、今、彼は考えている。彼の身体は、何かしら、眠たげな、静かな、和らいだものになっている。彼は自分が、眠っている猫のように柔らかで、いくらか関節が外れたような、あるいは、(精神組織にとって、休息はそこまでしか達し得ないから)無責任になったように感じている★二。


それはちょうど、催眠術から覚めかけているような状態である。映画館から出るとき、バルトは自分が催眠術のもつ最も古い力、すなわち病気を癒やす力を身のうちに感じていることに気づく。単に暇だからという理由でひとが映画館にゆくとき、その意識の虚ろさと無為、無聊ゆえに、映画館に入る前からすでに、催眠術にかかる諸条件は整っているのだ、とバルトは言う。その意味で、映画が人びとに夢を見させるのではない。観客になる以前に、気づかないまま、ひとはすでに夢見ている。この前催眠状態における夢想(ブロイアーおよびフロイトの『ヒステリー研究』にならって、それは「薄明の夢想」と呼ばれている)が、映画館の闇を先取りしている。

この夢想は映画館の闇に先立って、主体を、街から街へ、広告から広告へと導き、ついに、暗く、匿名で、無関心の立方体の中に沈める。その中で、映画と呼ばれるあのもろもろの感情の祭典が催されるのだ★三。


映画における映像(および音)は「だまし餌」だ、とバルトは断言する(援用されているのは、ジャック・ラカンの鏡像段階理論である)★四。スクリーン上の映像とは、想像的な他者であり、主体はこの他者にナルシス的に自己同一化し、固着する。この特徴ゆえに、映像は本質からして「イデオロギー的なもの」に似かよっている。映画の映像が観客の固着を通して「自然」なものと見なされるように、イデオロギー的なものもまた、イデオロギー的言説に対する主体の固着によって、その自然らしさやそれが「真実」であるという感覚を「だまし餌」のようにして与えるからである。イデオロギー的なものとはひとつの社会の「映画」にほかならない。
しかし、映画を見るという経験にはこれとは別の側面・方法がある。それをバルトは「他の場所にいること」★五の必要性と呼ぶ。この別の方法とは、映画館が誘うもうひとつの催眠術にあえておのずから落ちてゆくことにほかならない。それが固着の対象である映像という「鏡」から身を引き離す術なのだ。映画が催眠術であるという認識だけであればありふれている。バルトが唱えるのは、それを逆手に取った倒錯的な戦略である。催眠術に陥らないために映画のイデオロギー的作用に警戒心を研ぎ澄ますのではなく、映画のもうひとつの魅惑に身を委ねること。
その魅惑は映画館の闇のなかにこそある。匿名で、多人数からなる、この多様な闇は、「拡散するエロティシズムの色彩」★六に満たされている。ベッドにもぐり込むように座席に腰を掛け、足を前の座席に置いたりした、観客たちの弛緩した姿勢が示す、映画館での身体の気ままさや無聊さに、バルトは「現代のエロティシズム」、それも「広告やストリップのエロティシズムではなく、大都市のエロティシズム」を見ている。映画を見る身体の自由がかたちづくられるのはこの「都会的な闇」の内部においてである。それは観客がそのなかに閉じこもることによって、みずからの身体を「官  能  化エロテイザシオン」させるための「映画の繭」なのだ。
映画経験の魅惑は二重化されている。ひとつは映像によるもの、もうひとつは映像を取り巻くものの魅惑である。それはあたかも自分が二つの身体をもっているかのようだ、とバルトは言う。その二つの身体とは、「間近にある鏡に没入し、見つめているナルシス的身体」と、「映像をではなく、まさに、それを超えるものを、つまり、音のきめ、館内、闇、他の身体の暗い集団、光の筋、入口、出口をフェティッシュ化しようとしている倒錯的身体」★七である。映像に対して距離を置くために利用される「映画の繭」が、意識的で分別のある「気むずかしいフェティシスト」★八バルトを魅惑する。けっして批評的でも知的でもない──なぜならそれは別に「反イデオロギー的」であることなど意図していないのだから──この距離を、彼は「恋する距離」★九と呼ぶ。
映画を見るという行為の関係性をこのように錯綜させることが、その経験を官能化する。こうした関係の錯綜化は映画館内部に限られてはいない。「薄明の夢想」は映画館の闇に先立って観客をとらえてしまっているのだから。あるいは、映画館から出たあと、眠たげにカフェへとぶらぶら歩いてゆくことこそが快楽になりうるのだから。そしてまた、映画館の入口、出口ばかりがフェティッシュになるのではない。映画館の「都会的な闇」は、都市それ自体の闇を官能的なものにする触媒となり、大都市に固有のエロティシズムをそこに発生させるのだ。社会の「イデオロギー的なもの」が「映画」であるとすれば、このような大都市の官能化とは、イデオロギー的なものという「映像」への固着から身を引き剥がし、都市空間をフェティッシュ化する倒錯的な戦略にほかなるまい。
バルトの「気むずかしい」フェティシズムは、映画の自然らしさが解体されたところに催眠的な魅力を求める。たとえば、劇場のスピーカーから流れる、場違いに拡大された声によって音と映像との自然な同期はかき乱されてしまうし、スクリーン上の映像に対する固着は、映写機からやって来て闇のなかで蠢く光線によって妨害される。しかし、映画の官能的な魅力は、そのような障害にもかかわらず変容せずにとどまる映像とこうした「他の場所」の存在との共存状態にこそ宿っている。
映像をかき乱しにやって来るこうした諸々の要素を、バルトは「人為構造アルテフアクト」★一〇と呼ぶ。これは医学実験において、試薬の使用などにより生命体に生み出される人為的状態をさす言葉である。映画を見ることは一種の実験の場なのだ。映像への固着からの距離を確保するために、人工的な「試薬」にあたるさまざまな、いわば「雑音」がフェティッシュ化されて、「自然」な経験が絶えず異化されるのである──ただし、ブレヒトのように知的・批判的な距離としてではなく、あくまでも「恋する距離」として。映画館の闇がそのとき帯びるのは、この実験によってつかの間生じたエロティシズムである。バルトが「官能化」という言葉をよりふさわしいものとして選ぶのは、その軽さや未完成な性格ゆえだ。しかし、それはまさしく、軽くて未完成であるがゆえに魅惑的なものなのだ、と言うべきだろう。
異なる文脈(論文「第三の意味」)でバルトは、映画に対する「人為構造」として「フォトグラム」(スティル写真とほぼ同義)に言及している。「逆説的であるが」と前置きしたうえで彼は、映画的なものは「シチュエーションの中」、「動きの中」、「ありのまま」の映画ではとらえられず、フォトグラムという「人為構造の最たるもの」のなかでしかとらえられない、と書いている★一一。そこでバルトが指摘するのは彼自身のこんな体験である。

ずい分前から、私は次のような現象に興味を唆られてきた。それは、(映画館の入口や『カイエ・デュ・シネマ』誌の)映画の写真に関心を持ち、釘づけにされることさえあり、しかも、映画館に入ると、これらの写真のすべてを(写真の中に捉えたものだけでなく、写真そのものの記憶さえも)失うという現象である。それは価値の全面的倒に到達し得る変化である★一二。


映画のなかにあって記述されえないもの、表象されえない表象こそが、言語的なものには還元されない「映画的なもの」(それをバルトは「第三の意味」あるいは「鈍い意味」と呼ぶ)であるとすれば、この本来の「映画的なもの」にはむしろ、映画的な時間の束縛を逃れたフォトグラムの理論を通じて接近できるのではないか、とバルトは推理する。晩年のソシュールが詩のなかに探し求めたアナグラムのように、フォトグラムは映画というテクストのなかに散りばめられた、もうひとつのテクストを織りなす文字なのである。
このテクストの末尾でバルトは、映画にせよテクストにせよ、「読み」そのものと読みの対象とを改変することが重要な課題であると指摘している。そうした読みの改変はやがて彼を、映画館の闇という「人為構造」による官能化へと向かわせることになるだろう。だが、フォトグラムへの注目がすでに、映像における自然な運動への固着から距離を取り、映画を見る経験が孕んでいる、軽く未完成なエロティシズムの次元への接近だったと言ってよい。

2 連鎖的イメージという内言

バルトを惹きつけているのは、写真一般の性格にも還元できず、映画を見ているあいだは失われてしまうという、フォトグラムの特異性である。それは写真でもなければ映画でもない、両者の狭間に位置するイメージだ。そんな中間的なイメージが、映画を見る以前の観客をとらえる。
では、映画館を出た観客に残る映画のイメージについてはどうだろうか。美術作家・批評家のヴィクター・バーギンは、映画の記憶がしばしば、フォトグラム同様の中間的な断片性をもっていることを指摘し、それを「イメージ」や「イメージ連鎖(image sequence)」とは区別して、「連鎖的イメージ(sequence-image)」と名づけている。その特徴は、映画のナラティヴから切り離されて、ほとんどスティル写真に近いほどまで断片化している点だ。たとえば次はバーギン自身の最も古い映画の記憶である。

暗い夜、誰かが細い川の流れを歩いて下ってくる。わたしに見えるのは水をはね飛ばす足に、どこか上のほうから来る途切れ途切れの反射光だけだ。その方向には謎めいて恐ろしい何かが待っている★一三。


「誰か」、「どこか」、「何か」という曖昧きわまりない要素からなり、背景となる状況もはっきりしないにもかかわらず、その記憶は鮮明で、それだけで自足しており、執拗に持続している、とバーギンは言う。
そんな映画の記憶はふとしたことがきっかけで、意図しない連想のかたちをとって呼び覚まされる。一三年のアメリカ滞在を終えた二〇〇一年、九・一一事件の余波のなかにある母国の英国に戻ったバーギンは、ブリストルのアート・センターでビデオ作品を上映するため、ロンドンから列車に乗った。田園風景を眺めながら、彼の脳裏には、ドイツ軍侵攻の脅威に英国が脅かされていた一九四二年に製作された映画『英国に聞け』(ハンフリー・ジェニングス、スチュワート・マカリスター監督)の冒頭に映し出される、同じようにのどかな情景が甦る。そのイメージは一九四四年の映画『カンタベリー物語』(マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー監督)に登場する、丘陵のうえを歩く女性の姿の記憶を連鎖的に引き出してくる★一四。
こうした無意志的なイメージの連鎖はリニアに連続するかたちでは起こっていない。バーギンはそれを「高速のアルペッジオで演奏された和音」に譬えている★一五。こうした和音において、個々の音は継起的に聞こえるものの、実際にはそろって同時に振動している。バーギンの最も古い映画の記憶も同じような特徴をもっていた。この点でそれは、「イメージ連鎖」ではなく、「連鎖的イメージ」なのだ。
その独特な断片性を考察するための手がかりとなる一節を、バーギンはバルトの『テクストの快楽』から引用している。それはある晩、バーの椅子でうつらうつらしながら、耳に入ってくる言語活動をすべて数え上げようと試みた折りのことだ。そこに聞こえてきたのは「音楽、会話、椅子の音、グラスの音、要するに立体音響のすべて」だった。それはモロッコの広場に満ちた音声に似ていた。

私の内部でも、声が聞こえていた(よくあるように)。《内的》といわれるこの言葉パロールは、広場の物音に、外部からやって来る小さな声の連続にとてもよく似ていた。私自身が広場であり、市場スークであった。私の中を単語や小さな連  辞サンタグムや常套句の切れ端が通り過ぎた。そして、いかなる文も形成されなかった。あたかもそれがこの言語活動の法則であるかのように。極めて文化的であると同時に、極めて野蕃なこの言葉パロールは、とりわけ、語彙的であり、散発的であった。それは、私の中で、一見流れているようにみえながら、完全に不連続であった。この非文は、文に到達する力のないもの、文以前にあるものではなくて、永遠に、堂々と、文の外にあるものであった★一六。


そこではうつらうつらした、いわば前催眠状態で、内因性、外因性それぞれの音声が呼応しあいながら、けっして文を形成しない言語の断片を散発的に浮かび上がらせている。レフ・ヴィゴツィキーの言う「内言」のように★一七、そうした断片は文をかたちづくらないのだから、何も物語ることはない。これと同じく、連鎖的イメージも、流れているようにみえながら、散発的で、いわば語彙的である。かといって、それはイメージ連鎖としての映像に到達しえない無力なイメージではなく、あるいはそうした映像の前段階にあるものでもなくて、それとは異質な、映像の「外」に位置する何かなのである。
では、なぜ特定の連鎖的イメージだけが殊更記憶に残るのか。それがその心理的な強度を、無意識との関係に負っているであろうことは推測できる。バーギンが見た最初の映画の記憶が示すように、連鎖的イメージはその簡潔さゆえにごく短い語句に要約可能な点で、フロイトが分析した「子供が叩かれる」といった病理的幻想の表象と相似た性質を帯びている★一八。
より具体的な例として、ヒッチコックの映画『めまい』を記憶から呼び覚まそうとするとき、バーギンがまず最初に思い浮かべるというイメージを見てみよう★一九。そこには二つの異なるイメージが重なり合っている。そのうちのひとつはサンフランシスコ湾に身を投げた女マデリンの身体と水面に浮かぶ彼女の顔のイメージであり、もうひとつは死んだその女に瓜二つの姿に装って、暗いホテルの部屋のなかを緑色の光に包まれ漂うように歩く別の女ジュディ(実は同一人物)の顔である。この重ね焼きされたイメージは、愛する女を水のなかから救い出したいという幻想に取り憑かれる男性のタイプをめぐるフロイトの分析(この幻想は、羊水のなかから取り上げられて生命を贈られたことに対する返礼として、母親の恩に報いようとする男性のオイディプス的な欲望を反映しているとされる)を連想させ、さらにボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》からジョン・エバレット・ミレイの《オフィーリア》にいたる、西洋美術史における水に関係した無数の女性イメージへと開かれてゆく。すると今度は、ミレイの《オフィーリア》で川面に漂っている花のイメージが、「めまい」で身を投げる前にマデリンが海に向かって投げ捨てた花束を想起させる。「こうして私は、『めまい』のテクストを再び横断し、別の出口を通って別のテクストへと出て行き、そこから再び舞い戻って、また別の……と繰り返すことになる」★二〇。
そこにたどり着かれうる終点、ないし、遡りうる明確な始点はない。バーギンがここで指摘しているのは、ひと言で言ってしまえば、イメージの間テクスト性である。映画の複雑な構造のなかに形象化されたオイディプス的欲望のシナリオは、「女が溺れている、わたしがその女を救う」という簡潔な物語に要約される連鎖的イメージを通して、生命誕生にまつわる男性の幻想を表わすイメージ記憶の集合へと推移してゆく。「めまい」の場合にはオイディプス的幻想が前景にせり出してくるものの、必ずしもそれがイメージ連想の始点であるわけではない。連想の描く軌道は、何かほかの幻想の軌道に漂流してゆきかねない、あてにならぬもので、それはむしろ、連続的な「軌道」というよりも、不連続で散発的な内言の、語りにならない語りに似ている。
むしろ改めて注目すべきは、バーギンの映像分析(であると同時に自己分析)のなかで、映画のナラティヴは解体されて、水のなかの女と甦った死者としての女との二重化した連鎖的イメージだけが特権的に、強い情動を備えたものとして孤立化している点である。それは始点や終点ではないにしても、イメージ連想の臍のような要であることに間違いはない。バーギンはそれを「ヒエログリフ的情動をもつイメージ」と呼んでいる★二一。この場合のヒエログリフとは、ディドロの絵画論に由来する、言説に翻訳しえない情動的な意味(バルトの言う「鈍い意味」)の表象である。バーギンはこの概念を同じくディドロの言う「タブロー」と対立させる★二二。タブローは、ロココ的な形式化された装飾性と意味の曖昧化に対抗して生み出された、単純な常識人がひと目で理解できるように統一され一点に集中された構成をもつイメージである。それは多くの言葉を弄さずして、出来事の本質を伝えることができる。
タブローの概念が乗り越えようとしたロココ的な意味の曖昧性とは、たとえば歴史画のジャンルが必要としたアレゴリー形式が複雑化して、極度に難解になった結果の産物だった。図像表現におけるアレゴリーであるエンブレムは、アンドレア・アルチャーティの『エンブレム集』やチェザーレ・リパの『イコノロギア』のような一種の辞典を必要とした。そして、バーギンは触れていないが、このエンブレムの表現に大きな影響を与えたのがヒエログリフだったのである。解読の鍵が失われてもなお謎めいた魅力を放ち続けるエンブレムにはヒエログリフ的情動が宿る。
したがって、言説化しえないヒエログリフ的情動を孕んだ連鎖的イメージとは、いわば読み取りえないエンブレムなのである。映画の物語は記憶のなかでひとつのエンブレムにまで圧縮されてしまう。あるいはより適切には、エンブレムとなってナラティヴの外部に逸脱してしまう。しかし、情動をともなって身体に深く刻み込まれるのは、映画の物語よりも、この断片化され圧縮された連鎖的イメージのほうなのだ。
冒頭に引用したテクストでシュミットは、成瀬の『晩菊』中のこんな場面を自分はけっして忘れることがなかったと述べている★二三。昔の愛人の訪問を受けた元芸者の杉村春子が、金の無心を始めた男(上原謙)を置いて隣室へ移り、そこに大事にしまってあった男の写真を燃やしてしまう。酔って間仕切りに現われた男は「臭いね」と尋ね、杉村は「煙草の吸い殻よ」と応える。愛人の代理であった、情動の込められた映像を燃やして消し去ってしまうという映像が、ここではシュミット自身にとっておそらくヒエログリフ的情動をもつ連鎖的イメージになっているのである。
このようなイメージが無意識的に形成されることによってはじめて、映画は、というよりも、映画と観客との関係は情動を孕んで官能化される。バルトとシュミットが口を揃えて語っていた映画館という闇の経験とはそのための条件である。とくに、映画を見終わったあと、それを言語化することは慎重に避けられなければならない。なぜならそれは、文ではありえないものを文にすることにほかならないのだから。そしてまた、映画館のなかで半ば催眠状態に入りながら、映像を取り巻くさまざまなもの──「音のきめ、館内、闇、他の身体の暗い集団、光の筋、入口、出口」──に注意を拡散させることは、バーで耳に入ってくる言語活動を取捨選択せずに受容することにとても近い。
映像に固着した映画経験ではなく、散漫で稀薄な、よそ見がちの鑑賞にこそ、エロティシズムが宿りうる。そして、そんな鑑賞は映画館を訪れる前にすでに始まり、映画館を出たのちにもなおつづいている。薄明の夢想は「映画館の闇に先立って、主体を、街から街へ、広告から広告へと導」いてゆく。ここに広告が取り上げられているように、あるいは映画を見る以前にフォトグラムがバルトを魅惑したように、われわれはその全編を目にしたわけでもない映画に惹きつけられ、ときにはそれを断片のパッチワークのようにして、すでに見ているかのように思いなすことすらある。いまや映画の受容は、予告編やホームページの情報、ポスターや新聞・雑誌・テレビの宣伝あるいはレヴュー、スチル写真を使った映画評論などといった種々雑多な情報を含んでいる★二四。その一方で記憶された映画は、さまざまな状況に応じて意図しないかたちで断片的に想起されたり、美術作品に始まるイメージ記憶の連想を紡ぎ出してくる。
映画作品の周辺・前後に揺曳しているこうした諸現象は、映画研究の付随的なテーマではあっても、主たる対象にはなりえないかもしれない。しかし、映画との関係を官能化するのはむしろこれらの断片化された要素であるのかもしれず、そのことは、決まったシークエンスだけを繰り返しビデオで再生する映画研究者の身ぶりが、意図することなく示しているのではないだろうか。それ自体が膨大な連鎖的イメージの集積からなる、映画の記憶をめぐる映画として、ここでゴダールの『映画史』を想起することもできるだろう。一九七〇年代のバルトが「共用の鍋が置かれた暖炉」と同じ「一家団欒の道具」★二五と唾棄したテレビで見る映画は、映画館にはあった闇を消去し、匿名性を抑圧していたのかもしれない。しかし、ビデオ技術によって映像の流れを自由気ままに操り断片化して反復することが可能になった現在では、映像の一部分をフェティッシュ化することがきわめてたやすくなっている。
しかし、そうした鑑賞形態の普及が、映画館における映像への固着との距離関係のなかでこそ生み出されえた、場所の官能化を失わせたことも確かだろう。バルトが映画とのあいだにもたらそうとする「恋する距離」とは、バーのざわめきに身を開くように、現前する映像の周縁にたゆたうさまざまなイメージ群を受け入れるための、一種の身の構えにほかならない。それに呼応して、無数の音声が散発的に行き過ぎる内言と同じく、無意識的な連想もまた活性化する。そしてそのためには、市場や広場、バーや映画館といった、不特定多数が匿名のまま群れ集う都市空間がいまだに必要不可欠だ。

1──マイケル・パウエル+エメリック・プレスバーガー 『カンタベリー物語』(1944)より

1──マイケル・パウエル+エメリック・プレスバーガー
『カンタベリー物語』(1944)より

2──アルフレッド・ヒッチコック『めまい』(1958)より

2──アルフレッド・ヒッチコック『めまい』(1958)より


3──アルフレッド・ヒッチコック『めまい』(1958)より

3──アルフレッド・ヒッチコック『めまい』(1958)より

4──アルフレッド・ヒッチコック『めまい』(1958)より

4──アルフレッド・ヒッチコック『めまい』(1958)より

5──ジョン・エバレット・ミレイ《オフィーリア》(1852) 引用図版=http://www.tate.org.uk/

5──ジョン・エバレット・ミレイ《オフィーリア》(1852)
引用図版=http://www.tate.org.uk/

3 黄昏の交通空間で

ブロイアーとフロイトは半催眠状態や類催眠状態を「朦朧状態(Dämmerzustand)」とも呼んでいるが★二六、これは文字通りには「薄明の状態」を意味する。「恋する距離」によって確保されるのは、映像という夢あるいは催眠状態への完全な埋没ではなく、夢かうつつかが定かでない臨界状況である。そしてそこで求められているのは、完全な覚醒へと向けて意識を鮮明にしてゆくことではなく、むしろ逆に、闇の魅惑に進んでとらわれてゆくことなのだから、この「薄明」は黄昏の光であることがふさわしい。
とすれば、坂東玉三郎をめぐる映画を製作したシュミットがその作品に、バルトの日本論『記号の帝国』から借りた「書かれた顔」というタイトルを与え、さらにそのなかに、「Twilight Geisha Story(黄昏芸者情話)」と題する、玉三郎を主人公の年増芸者にした劇を組み込んだことは、もはや偶然とは思えない。この映画には、玉三郎の偶像として、杉村春子のほか、武原はん、そして大野一雄が登場する。『晩菊』のあの連鎖的イメージもまた引用されている。
シュミットはこの映画自体が黄昏、トワイライトについての映画であると言う★二七。何の黄昏か。女形の、歌舞伎の、そして、映画の黄昏だ。杉村たちもまた大きな黄昏のなかにある。シュミットにとって玉三郎は、そんな黄昏のなかの最後の伝説である。彼はこの映画の主題なのだが、同時に虚構の人物でもある。その人物は、さまざまな歌舞伎の亡霊に出会う。たとえば山鹿の八千代座にやってきた歌舞伎の亡霊、坂東玉三郎という女形に。それゆえに、シュミットによれば、この映画はドキュメンタリーではなく、あくまで黄昏についての虚構的な物語なのだ。黄昏の薄明のなかで、玉三郎とその亡霊、フィクションとドキュメンタリー、夢とうつつの境界は定かでなくなっている。そこに映画そのものの黄昏が重ね合わされてゆく。
黄昏が「誰そ彼」であることが示すように、夕暮れにはひとの姿が見分けにくくなり、表情や輪郭はぼやけてしまう。人間と亡霊の区別もつけがたい。世界が薄明のなかに沈んでしまうことで、自分の存在までもが夕闇に紛れて、自他の境界が溶暗してゆく。この寄る辺なさゆえか、黄昏はかつて逢魔が時(大禍時)と呼ばれて恐れられた。
古来から日本でこの夕方におこなわれた占いが夕占ゆうけである。のちに辻占つじうらと呼ばれたものだ。万葉集にはこんな歌が収められている。

言霊ことだま八十やそちまた夕占ゆうけ問ふうらまさにいもは相寄らむ(巻一一─二五〇六)
(言霊のはたらく八十の巷で夕占をした。占はまさしく出た、妹は私に寄るだろうと)★二八

玉桙の道行きうらに占なへば妹は逢はむとわれにりつる(巻一一─二五〇七)
([玉桙の]道行き占で占ったところ、妹は逢うであろうと私に告げたよ)

「チマタ(衢・巷・岐)」は「」の「また」に由来して分岐点を意味する。「八十の衢」は「八衢やちまた」に同じく、複数の道路が交差する巷ないし辻のことで、そこには市が立った。おのずから人でにぎわう場所である。夕暮れ時、帳が降りると、チマタの雑踏の人びとひとりひとりの顔は判別できなくなる。夕占とはこの「誰そ彼」の状態で道行く人の言葉をもとにした占いであった。
そのやり方はこんな具合だという。夕食時に「フナドサヘ 夕占の神物問はば 道行く人よ 占まさにせよ」と三度唱え、その後、チマタで一定の土地を区切って米を撒き、櫛の歯を鳴らす。そのうえで、そこに通りかかるひとの言葉で吉凶を占うのである★二九。「フナド」(「クナド」とも呼ばれる)や「サヘ」はいずれも境界の精霊ないし神である。
赤坂憲雄によれば、チマタは異質な他者や共同体へと開かれた「交通」の場所にほかならなかった★三〇。そこは市の立つ交易の場であるとともに、共同体をはみ出ておこなわれる歌垣という性的交歓の場でもあった(西郷信綱「市と歌垣」参照)。また、虹の立つところに市を立てる慣習が古代に存在したことが示すように、チマタは天界の雷神との「交通」の場所でもあったし、異なる共同体同士が争い合う戦争の舞台にもなった。チマタの市には橘をはじめとする聖なる樹木が植えられ、神事・儀礼や刑罰がおこなわれて、罪や穢れを祓い清める場という役割も果たしていた。さらに、古代から中世にかけて、市の立つ場所はしばしば埋葬地と重なっており、葬送儀礼のおこなわれる土地でもあった。柿本人麻呂が亡き妻を偲んだ歌にもそんな性格が表わされている。

我妹子わぎもこが やまず出で見し 軽  市かるのいちに 我が立ち聞けば 玉だすき 畝傍うねびの山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉桙たまほこの 道行きびとも ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ いもが名呼びて そでそ振りつる(巻二─二〇七)
(妻が始終出て見ていた軽の市に、私が立って耳を傾けると、[玉だすき]畝傍の山に、鳴く鳥の声も聞こえず、[玉桙の]道を行く人も、ただの一人も妻に似ている人が通らないので、何ともしようがなく、妻の名を呼んで袖を振ったよ)

「軽の市」は藤原京の西南にあった、軽の衢に発展した市のことである。ここでは死者の声を雑踏のなかに聞き、死者のおもかげを道行くひとに認めるといった異界との「交通」が、市のチマタに探し求められているのだ。
異なる共同体、異なる世界間における物資の、男女の、天地の、生死の「交通」の場がチマタであるとすれば、そこは「都市」なるものの発生の場と呼んで差し支えあるまい。そしてそこは同時に、歌垣に始まり辻芸から大道芸につながる、芸能誕生の舞台でもあった。さらに注目すべきは、チマタが言霊の群れ蠢く特異な空間でもあったということだ。その空間の境界性に夕方という境界的な時間が重ね合わされたところに、夕占のような言霊占いが生まれたのである。
異なる共同体の見知らぬ人びとが蝟集する場所で、自他の区別が定かでない薄明のなか、匿名化した者たちの言葉や気配を感じとること──こうした夕占は、バーでいろいろな物音に耳を澄ませたり、映画館の闇のなかで他者の身体の暗い集団をフェティッシュ化しているバルトの営みに似かよってはいないだろうか。彼が言う「大都市のエロティシズム」とはいわば「チマタのエロティシズム」なのだ。スクリーン上の映像に没入して一体化してしまうのではなく、あくまで半ば催眠状態になり、その中途半端な距離においてこそ、身体を官能化させる空間が映画館であるとすれば、そこは漆黒の闇に包まれた夜と言うよりも、むしろ黄昏のチマタである。ひとはそこで亡霊たちの声を聴く。
映画とはこの黄昏の光にほかならない。シュミットの言う「黄昏についての映画」とはだから、真に映画的な光をめぐる映画であることになろう。踊る玉三郎や武原はんは、歌舞伎や舞踊の黄昏に位置している点で、きわめて映画的な存在なのである。彼らがこの夕闇のなかに浮かび上がらせるのはおそらく、チマタにおける芸能発生の原光景のような何かであるに違いない。
映画館から出たバルトを待ち受けている街灯のともった通りもまた、引き延ばされた逢魔が時のうちにあった。古代におけるチマタの夕暮れが限定された区域に訪れるひとときの非日常性だったのに対して、近代においては、チマタの輪郭や、黄昏と夜の区別そのものが黄昏れてゆく。チマタが都市になる。姿を人工光の夕闇にまぎらせて、いくつもの街路を横断し、つまり、チマタを経巡った身体は、そこに群れ蠢く言霊とすれ違いながら官能化されてゆく。「午後仕事をするのは相変わらずむずかしい。六時半頃、目的もなく外出した」とバルトは日記形式のロマネスクなテクスト「パリの夜」に書いている★三一。男娼とのまなざしや言葉の交歓が語られる「ソドムの市」、そんなチマタとしてのパリ★三二。
夕占が自他の境をまぎらせ、道行くひとの言葉を聞くことで、実はおのれの内言に耳を澄ませる営みだったとすれば、映画館で、バーで、あるいは薄暗い路上で、大都市のエロティシズムに身を委ねる人びともまた、それと知ることなく夕占をおこなっているのかもしれない。そのとき散発的に記憶に残され、あるいは記憶から引き出されてくるのは、内言めいた言葉ばかりではなく、連鎖的イメージのように断片化された映像の連なりである。ヒエログリフ的情動を孕んだ幻想の表象、あるいは、道行く人びとの顔と重なり合って、高速のアルペッジオで振動する和音のようなイマーゴ──それは人麻呂が雑踏のなかに探し求めた亡き妻の面影にどこか似ている。

6──成瀬巳喜男『晩菊』(1953)より

6──成瀬巳喜男『晩菊』(1953)より

7──成瀬巳喜男『晩菊』(1953)より

7──成瀬巳喜男『晩菊』(1953)より

8──ダニエル・シュミット『書かれた顔』(1995)チラシ

8──ダニエル・シュミット『書かれた顔』(1995)チラシ

9──古代飛鳥の道とチマタ 引用図版=和田萃『日本古代の儀礼と祭祀・信仰  中』 (塙書房、1995)

9──古代飛鳥の道とチマタ
引用図版=和田萃『日本古代の儀礼と祭祀・信仰  中』
(塙書房、1995)


★一──ダニエル・シュミット「偉大な女優・杉村春子を偲んで」(『成瀬巳喜男の世界へ』[田中純訳、蓮實重彦+山根貞男編、筑摩書房、近刊]二四四頁)。
★二──ロラン・バルト「映画館から出て」(ロラン・バルト『第三の意味──映像と演劇と音楽と』[沢崎浩平訳、みすず書房、一九八四]九九頁)。
★三──同、一〇〇─一〇一頁。
★四──同、一〇四─一〇五頁参照。
★五──同、一〇四頁。
★六──以下、この段落の引用は同、一〇一─一〇二頁。なお、引用に際して訳文中の「エロティスム」を「エロティシズム」に変えた。
★七──同、一〇六頁。
★八──同、一〇四頁。
★九──同、一〇六頁。
★一〇──同、一〇三頁。
★一一──ロラン・バルト「第三の意味」(バルト『第三の意味』九四─九五頁)参照。
★一二──同、九五頁。
★一三──Victor Burgin, The Remembered Film, London, Reaktion Books, 2004, p.16.
★一四──Ibid., pp.18-20.
★一五──Ibid., p.21.
★一六──ロラン・バルト『テクストの快楽』(沢崎浩平訳、みすず書房、一九七七)九三─九四頁。
★一七──この関連についてはバーギンが指摘している。Burgin, op.cit., p.11. 参照。
★一八──ヴィクター・バーギン「ディドロ、バルト、〈めまい〉」(ヴィクター・バーギン『現代美術の迷路』[室井尚+酒井信雄訳、勁草書房、一九九四]一八五頁)参照。
★一九──同、一九〇─一九三頁参照。
★二〇──同、一九三頁。
★二一──同、一九八頁。
★二二──同、一六五─一六八頁参照。
★二三──シュミット、前掲テクスト、二四四頁参照。
★二四──この状況をバーギンは「映画のヘテロトピア」と呼ぶ。Burgin,  op.cit., pp.8-10. 参照。
★二五──バルト「映画館から出て」一〇二頁。
★二六──ヨーゼフ・ブロイアー+ジークムント・フロイト「ヒステリー研究」(『フロイト著作集7  ヒステリー研究他』[懸田克躬訳、人文書院、一九七四]一六頁)。
★二七──『書かれた顔』チラシに掲載されたシュミットの言葉より。
★二八──以下、万葉集の口語訳は佐竹昭広ほか校注『新日本古典文学大系  萬葉集 一』(岩波書店、一九九九)、および、同『萬葉集  三』(岩波書店、二〇〇二)による。
★二九──和田萃「夕占と道饗祭」(和田萃『日本古代の儀礼と祭祀・信仰  中』[塙書房、一九九五]、三四二頁)参照。これは『二中暦』に述べられている方法であるという。なお、こうした夕占の習俗のみならず、市が開かれた時間も正午から夕方までであったことから、和田はチマタを、日時を限って臨時的に非日常的空間になる場所、ととらえている。同、三四〇頁参照。
★三〇──以下、チマタにおける「交通」の諸相については、赤坂憲雄「交通の古代──チマタをめぐる幾つかの考察」(赤坂憲雄『境界の発生』[講談社学術文庫、二〇〇二]、六二─八一頁)参照。なお、和田がチマタを「日本固有のアニミズムの世界」(和田、前掲書、三四二頁)と見るのに対して、赤坂は世界中の諸民族がある位相で共有する普遍的な「境界の風景」に連なるものではないか、としている(赤坂、前掲論文、九一頁、補註一)。その表われはたとえば中世ドイツにおける十字路に宿る道の霊への信仰などに認められる。そこにはさらに、古代ギリシアの三叉路の守護神にして、地獄の犬を従えた冥界の女王ヘカテを数え入れてもよいだろう。
★三一──「パリの夜」(ロラン・バルト『偶景』[沢崎浩平+萩原芳子訳、みすず書房、一九八九、一〇一頁])。一九七九年八月二八日の日付がある。
★三二──多くが夏から初秋にかけてのパリの夜を記述するこのテクストのなかで、唯一一九七九年八月三一日の書き込みだけは、バルトの故郷であるフランス南西部の村ユールトで書かれている。そこに描かれたのは、パリの都会的な闇と対照をなすような、こんな黄昏、逢魔が時の情景だ。
「すでにかなり暮れかかった薄暮の光景は例のない美しさだ。完璧のあまり、ほとんど異様といってもいい。綿のような、軽やかな、むしろ明るい灰色の雲、アドゥール河の対岸のはるか彼方に層をなして立ち込める霧、花に溢れた静かな家々に縁どられる道、金色の半月、まさしく、こおろぎの声、かつてと同じように。荘厳、静寂。私の心は、悲しみで、ほとんど絶望で一杯になった。マムのこと、マムのいる、ほど近い墓地のこと、《人生》のことを考えていた」(同、一〇四頁)。

*この原稿は加筆訂正を施し、『都市の詩学──場所の記憶と徴候』として単行本化されています。

>田中純(タナカ・ジュン)

1960年生
東京大学大学院総合文化研究科教授。表象文化論、思想史。

>『10+1』 No.39

特集=生きられる東京 都市の経験、都市の時間