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否定からひろがっていくこと── 「奥村さんのお茄子」と「広尾アパートメント」 | 乾久美子
Expansion from Negation: 'OKUMURA-SAN NO ONASU' and 'Hiro-o Apartment' | Inui Kumiko
掲載『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) pp.31-32

最近「広尾アパートメント」というプロジェクトが着工した。場所は六本木通りを広尾側にすこし入ったところで、周辺は暮らしぶりが想像つかないほど巨大な住宅と、裕福そうなマンションがぱらぱらと散在していて、のこりは敷地めいっぱいに建つ小さな住宅でうまっている。敷地はものすごく小さい(幅八メートル×奥行き六メートル)。その中に専有面積二〇平方メートル以上のワンルーム住戸を最低五戸以上つめこんでほしいという施主の希望を実現しようとすると、各階一戸かメゾネット型の住戸を二─三戸ずつかのいずれかの選択肢になるのだが、二〇平方メートルをメゾネットにすることがあまりにも非現実的であったため、自動的に前者が選ばれた。すると五階建にしなくてはならないが、通常だと道路斜線制限にひっかかる。今回は天空率で緩和させたが、そのために建ぺい率を最大化させることが不可能となり、結果、形状としてはタワー型というかとても細長くなった。各階は五メートル×五メートル=二五平方メートルなのだが、その値は容積率から導きだした最大値を階数で除したものだ。それを専有部分二〇平方メートルとしてのこりを共用廊下に割り当てている。共用廊下の五平方メートルはとにかく狭く、中間階に踊り場をもうける余裕がまったくない。だから各階を鉄砲階段でつないでいるのだが、そうするとそれぞれの階で階段の位置が変わるため、残りの専有部分の形がO型になったりU型になったりする。同様に階段の中もセンターコア的に閉鎖的なものなったり、外部への開口部がある開放的なものになったりと各階で形式が変わり、さらに右回りと左回りが混在している。外周部に柱はなく、全周のアルミサッシュで開放的なインテリアとし、二〇平方メートルというとてつもない狭さがすこしでも広く感じられるようにしている。外部からは各階のプランニングの違いが見え、全体としてアパートメントなのかよくわからない姿になる。
……と、ひととおり書いてみても、どうも説明した気にならない。「広尾アパートメント」はそういうプロジェクトだ。一つひとつの内容は正しいのだが、原因と結果の連続で説明をしたことに嘘があって、それが説明している私を居心地悪くさせる。
たとえば右の説明では「敷地が狭い」ことからスタートしたのだが、このプロジェクトの説明は「タワー型にするべきだと考えた」ことや、「アパートに見えない姿をつくろうとした」ことからもスタートできる。どこからはじめてもかまわないし、そしてどこからでもおなじ量の情報を伝えることはできる。また一言で全体を見渡すメタレヴェルの視点から、たとえば「各階のコアの位置が違う細高いスラブ建築」などと言いあらわしてもいいのだけど、それも避けたい気持ちがある。なぜだろう。建築関係法令やぎりぎりの収支計算、マーケットの論理にのせるためのガジェットともいえる過剰な設備など、さまざまな要素が複雑な綾を織りなした結果が「広尾アパートメント」の正直な姿で、つまり東京の狭小プロジェクトらしく余裕がいっさいないなかで「たまたま」見つかった形式だから、か。私という主体を軸にした説明にどうしても違和感があることや、説明をどこからはじめていいのかもわからなくなることは、こうした経緯に対する、私の正直な反応だ。

……そうそう、このように言い訳をすれば、すこしはプロジェクトに近づけた気になる。たださすがに、「たまたま」見つかったものの「何を」よいと思っているかは伝えなくてはならないだろう。
こうやって説明が曖昧であることに通じているかもしれないが、このプロジェクトによって現われる姿や体験から「断定すること」を回避したいと思っている。たとえば外部の姿から「何かが連続すること」を取り除きたい。けっして開け放たれることのない玄関、水回りの小さな窓、洗濯物でいっぱいになるような道路側の窓、そうした部分が繰り返されることでかたちづくられるワンルームアパートメントらしい文脈が半端に小さい規模で現われること、まわりの住民にとってはすこし暴力的で、ただし通行人にとってはかなり無防備な、そうした姿を想像することに耐えられないからだ。それが避けられる可能性があると考えたので、各階のプランが違うことをよしとしている。あるいは共用階段。内部でもあり外部でもあり、また右回りと左回りが途中で反転することで階段がひとつの形式におさまらない。ワンルームアパートメントの共用空間などに誰も何も期待していない、そうした現実に対して悲観的にも楽観的にも対処したくないが、できることといえば、それがひとつのまとまったスペースであることをみえにくくするぐらいで、だから今の共用階段のあり方にとても納得している。また、各戸のインテリアには「引き」がとれるほどの距離がない。だから、家具という近景と外部の遠景が容赦なく接続され、ワンルームアパートメントに特有な内向性が回避できそうである。
そもそも、ワンルームアパートメントというプログラムをうまく受け入れることができないままに、私はこのプロジェクトをスタートさせている。その内向性や淫靡さがはなつ独特のにおいが周辺環境を引きよせず、ただ「在る」というワンルームアパートメントの痛々しさが苦手だからだ。また現実に、ワンルームアパートメントというものが、周辺の住宅から歓迎されるものでもないことも知っている。もちろん、どんなプログラムでも周辺から肯定されることを前提にできないのが、今、建築をつくることのリアルな現状ではあるけれども。いずれにせよ、ワンルームアパートメントというプログラムを顕在化させないこと、私の中のクライテリアはそれだけだ。とても心細い。しかし最後までいけるのではないか、と勝手に思い込んでいる。

……とはいっても、否定だけで本当に大丈夫か? 建築なのに? と反芻している今日この頃。そうした私の悩みをすこしばかり軽くしてくれる漫画へ脱線してみよう。
高野文子の「奥村さんのお茄子」という作品は、佳作な彼女の作品群のなかでもけっこう謎の多いものだ★一。宇宙(もしくは未来)からの使者たる遠久田がスーパーのお姉さんという整形をして地球上の奥村さんの前に現われる。ストーリーは先輩の茶碗事件のアリバイ探しからスタートして、毒茄子をめぐる過去の調査へと話が進み、最後には過去の「ある瞬間」の記述へと横滑りしていくのだが、展開がとても追いにくい。また遠久田の行動や感情のパターンがなかなか読めず、この人物へ感情移入ができない。情緒が安定している奥村さんは共感できる存在ではあるのだが、この謎の遠久田をわりと当たり前のように受け入れてしまうことに違和感があって、ここでもまた作品世界が遠のいていく。読者のポジションはこうしてなにか投げ出されたようになるのだが、さらに、ストーリーと関係なく登場する棒がいっぽんの歌詞のナレーションや、家電製品のアップという意味不明なメタレベルの要素が、せめて俯瞰をしようと試みる読者の立ち位置をおびやかす。とにかく読者の立場が否定されつづける、その居心地の悪さはあまり体験したことのない「読中感」をつくりだしていて、尾てい骨のあたりがこそばゆいような感じが、この作品の主題たる、過去のささいな「あの瞬間」を思い出せないあの空白感にとても近いことに気づくと、作品と私がようやくつながる。いろいろな受け取り方がなされる作品だが、私はそのように読んだ。
単純なメタフィクションであれば、読者は作中世界に受けいれられたかのような快楽を得る。しかし「奥村さんのお茄子」では、読者は反対につきはなされるので、読書体験はかならずしも快適なものではない(もちろんその美しい線や画面だけで十分すぎるほどの愉楽にひたることができるが)。しかし、こうした不快感を与えてでも否定形が採用される理由はわかる。肯定というのはひとつのオプションしか用意できないことに対して、否定は「○○○でない」という「○○○」以外の無数のオプションを間接的に用意する。それにより、一点だけで作品世界を開くのではなく、多数の、もしくは無数の点で開くこと、つまり、解釈を絶対に閉じさせない仕組みをつくることがこの作品では意図されているはずだ。
否定は肯定以上に世界をひろげる。当たり前すぎて忘れているようなことをこの漫画は再確認させてくれるわけで、さまざまな解釈を引き寄せることが「広尾アパートメント」でもできればよい。ワンルームアパートメントでも、ワンルームアパートメントではない何かを断定するのでもなく、ただただ否定によってひろがる世界をみてみることに、おそらく意味はある。ケンチク的な肯定を前提とした説明が、学生時代から多少なりとも苦手だったこともついでに納得した。

……と、ここまでくれば、おおむね伝えたことになるのだろうか。竣工は来年の春だ。

「広尾のアパートメント」敷地周辺 提供=乾久美子建築設計事務所

「広尾のアパートメント」敷地周辺
提供=乾久美子建築設計事務所

「奥村さんのお茄子」より 引用図版=高野文子『棒がいっぽん』

「奥村さんのお茄子」より
引用図版=高野文子『棒がいっぽん』


★一──高野文子『棒がいっぽん』(マガジンハウス、一九九五)所収。

*本論考内の建築作品名は刊行当時のもので、竣工後下記のように変更となりました。[編集部]
広尾アパートメント

アパートメントI

>乾久美子(イヌイ・クミコ)

1969年生
乾久美子建築設計事務所主宰。建築家。

>『10+1』 No.44

特集=藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。