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東京スリバチ学会 | 皆川典久+松岡里衣子
Tokyo Suribatci Gakkai | Minagawa Norihisa, Matsuoka Rieko
掲載『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体, 2006年03月発行) pp.58-61

東京の凹凸を観察し、体験するグラウンディング集団
「東京スリバチ学会」が、
フィールドワークを通して発見した、
新たな地べたのレイヤーを紹介します。

東京スリバチ学会とは

東京スリバチ学会とは、東京都心部のスリバチを観察・記録する目的で、二〇〇四年の春にいきなり設立されたグループです。われわれが「スリバチ」と呼ぶのは、台地に低地が谷状に切れ込み、三方向が斜面に囲まれたような形状の地形になっている場所のことです。江戸/東京は、武蔵野台地と荒川低地にまたがる形で発達してきました。江戸時代、台地上は武家屋敷や寺社、低地は町家や農地、というように、特徴的な地形を利用した土地利用が行なわれてきたことはよく知られています。
この地形/土地利用は、現代の東京の土地利用にも反映されています。特に、台地と低地が入り組んでいる都心部では、いわゆる山の手と下町とが交錯して接し、都心に路地裏の長屋的空間が出現したり、急峻な斜面と街路や住宅との拮抗状態が観察できたりして、東京の都市風景に陰影と趣を与えています。近年、変化し続ける東京の都心にあって、こうしたスリバチもその姿を変えつつあります。都心部の再開発によって、物理的に消滅した「スリバチ」もあります。
私たちは、変わり続ける都市のダイナミズムと、歴史の痕跡を留める「地形」を観察しつつ、東京の意外な「容貌」を記録しようと考えています。

フィールドワーク履歴  第1回 2003.09.21 六本木−麻布周辺1 <div>第2回 2003.10.19 六本木−麻布周辺2 第3回 2004.04.06 四谷周辺  第4回 2005.04.16 渋谷−原宿周辺  第5回 2005.05.28 高輪台周辺  第6回2005.07.09  白金台周辺  第7回 2005.10.09 文京区周辺  第8回 2005.11.03 赤羽周辺

フィールドワーク履歴
第1回 2003.09.21 六本木−麻布周辺1 <div>第2回 2003.10.19 六本木−麻布周辺2
第3回 2004.04.06 四谷周辺
第4回 2005.04.16 渋谷−原宿周辺
第5回 2005.05.28 高輪台周辺
第6回2005.07.09  白金台周辺
第7回 2005.10.09 文京区周辺
第8回 2005.11.03 赤羽周辺

スリバチ学会フィールドワークのすすめ

東京都心山の手部に現存するスリバチ地形(谷地)を、その断面を切断するよう意図的に歩いてみると思いがけない風景に出会えることがあります。地形を拡大解釈したかのような都市景観のダイナミックな変化、または地形的断層が乗り移ったかのような都市の劇的な不連続性。都市の変遷を記録した時間的な断面(履歴)も伺い知ることができ、東京という都市の持つ潜在的な記憶にも触れることができるのです。スリバチだらけの特異な地形に発展を続けた東京にとって、地学的な原地形と歴史的な都市地形は、かけがえのない財産ではないでしょうか。類稀なる東京のアイデンティティとも言えそうです。

第3回フィールドワークの様子

第3回フィールドワークの様子

GPSで記録したフィールドワークの軌跡 地図=デジタルアーステクノロジー「スカイビュースケープ」

GPSで記録したフィールドワークの軌跡 地図=デジタルアーステクノロジー「スカイビュースケープ」

コースの立体地形鳥瞰図

コースの立体地形鳥瞰図

1. 荒木町の真性スリバチ(下町系スリバチ)

松平摂津守のお屋敷があった江戸時代に湧水をせき止める「ダム」が築造され、四方向に閉じた真のスリバチ地形が現出した。「ダム」の土手は一般道路に転用されていて、スリバチ周遊が今でも可能。屋敷が払い下げられた後は風光明媚な池畔を囲んだ三業地として発展し、現在でも複雑に入り組んだ石段路地に小料理屋などが軒を連ね、往時を偲ぶことができる。おまけにスリバチの底にはかつての池が現存し、祠を持つ津の守弁財天がヘソとしての求心力を今に留めてくれている。

2. 麻布台がま池スリバチ(下町系スリバチ)

今ではマンションの敷地内に取り込まれたガマ池であるが、昭和の初期まではボート遊びもできる行楽地として親しまれていたという。そのガマ池周辺のスリバチ地形に貼り付くよう広がった木造家屋からなる下町と路地の佇まいは、麻布という町の奥深さを感じさせてくれる。周囲の高台には瀟洒な高級マンションがスリバチを囲むように立地し、地形の増幅が体感できる代表的事例である。また、超高層ビル群が近くまで迫るダイナミックな光景は、懐かしい近未来のワンシーンでもある。

3. 清水谷公園の都会的コンバージョン(公園系スリバチ)

紀尾井町の高層ホテルにはさまれた桜並木を奥に進むと清水谷公園にたどり着く。大久保利通公哀恨碑の立つこの静かな公園は、かつて武家屋敷の一部であった。以前はその名の通り清水が湧く池があり、三方を丘陵の斜面に囲まれ、喧騒が遠のく別天地であったという。かつての川筋を挟むよう立地したホテル街と崖地上の高層ビル群が断層を強調し、一方スリバチの底辺には谷底を眺める階段状のオープンカフェが、いかにも都会的にスリバチ地形を再解釈してくれている。

出典=田中正大『東京の公園と原地形』けやき出版、2005。ただしその元は『新撰東京名所図会』東陽堂、1897

出典=田中正大『東京の公園と原地形』けやき出版、2005。ただしその元は『新撰東京名所図会』東陽堂、1897

4. 旧偏奇館周辺の再生スリバチ(再開発系スリバチ)

永井荷風が半生を過ごした偏奇館はこの高台の崖っぷちにあったという。高低差の激しいこの界隈の坂下には、かつては組屋敷が広がり、最近まで木造家屋が軒を連ねる静かな下町が存在していた。再開発されたスリバチ地形はその断層をさらに加速し、かつての斜面はテラス状の商業施設に翻訳され、さらにスリバチの底は地下鉄のコンコースへと掘り下げられている。再生されたスリバチ上部に覆い被さる高層建築はピロティによって地面から切り離され、視覚化されたスリバチテラスが地形と歴史のテラス的変遷を今に伝え、再開発に彩りを添える。

スリバチの類型

山の手台地を浸食してできたスリバチ状の谷地は、江戸時代から続く東京の歴史の中で様々な変遷を遂げているが、宅地化または庭園化されてきたことが幸いして原地形を今に留めているものが多い。それは水田農業などで行なわれる土地の水平化など、大規模な土地改造がかつて行なわれなかったことを意味している。宅地化などの小スケール開発が巧みに原地形をコーティングし、地形の記憶を今に伝えてくれているのである。東京スリバチ学会では、変遷を遂げたスリバチ地形を以下のように分類している。

スリバチ変遷のダイアグラム

スリバチ変遷のダイアグラム

公園系スリバチ

スリバチ状の谷地には時として湧水があり、豊かな池をたたえるケースも多い。江戸時代、南向きの谷地は大名屋敷の広大な庭園の一部として利用されていたものが多く、高台に屋敷を配し斜面や湧水池を巧みに利用した回遊式庭園が多く作られた。また斜面や段丘上の豊かな緑(森)を神聖な背景として、社寺に利用される場合も多かった。時代が変わり明治に入ると、庭園の所有者は皇族や華族、財閥等に変わっていったが豊かなスリバチ原地形はほとんどそのまま利用され、昭和を経て公共の公園として一般に開放されたスリバチも多い。今でも湧水の残るスリバチ公園は都内に多数存在し、池畔に佇むとスリバチ地形が実感できる。また傾斜地に立地するホテルの庭園に池が存在する場合は、天然のスリバチ池だと疑ってよい。
例=明治神宮、新宿御苑、国立自然教育園、有栖川宮記念公園、池田山公園、清水谷公園、おとめ山公園、根津美術館、泉岳寺、八芳園、椿山荘等

公園系スリバチの変遷(有栖川宮記念公園)

下町系スリバチ

スリバチ状の谷地は高台に比べると日照条件的にも不利な地形ではあるが、江戸の都市拡大に伴うスプロール化の中で、江戸城から比較的近いスリバチ状の土地は下級武士の住宅地(組屋敷)として都市機能を補完してきた。町人の住む宅地へと姿を変えた谷地も多い。明治以降の都市開発においては、高台にあった旧大名屋敷の大きな敷地のほとんどが、そのまま首都として必要な政治・軍事・教育施設や支配階級の邸宅へと転用されてきたのが特徴である。対照的に、小区画で宅地化されたスリバチ地形内では小割な敷地規模を変えることも少なく、自己再生的に下町が新陳代謝を繰り返してきた。それは土地改造を伴わないヒューマンスケールな町の営みがスリバチ原地形をオブラートしてきたとも言える。
例=新宿区荒木町、新宿区若葉町、新宿区曙橋通り、文京区菊坂、港区芋洗坂、港区我善坊谷、渋谷区竹下通り、品川区上大崎等

下町系スリバチの変遷(荒木町)

再開発系スリバチ

スリバチ地形で新陳代謝を続けてきた下町は、低層住居で構成される例が多く、都心の一等地に立地する場合、「土地の有効活用」というテーマを抱えた経済至上社会においては、土地の高度利用による再開発の候補となりうる。「スリバチ内エリア」は、集約さえできれば高台では得がたくなった広大な「再開発用地」になる場合も多い。下町系スリバチが再開発された場合、原地形がもっているポテンシャルを生かすことによって、高台での平坦な再開発とは一味違った、スリバチ再開発街が出現することになる。スリバチ再開発の手法は、三方向に閉じた段丘状のスリバチ地形をなだらかに造成する=スリバチを埋没させる事例が多く、注意深く観察すれば堆積した「都市の思い出」に出会える。スカイラインは一新されても、その足元にはスリバチ地形の痕跡が刻印されている場合が多い。

再開発系スリバチの変遷

各々明治初期の地図 出典=「東京5千分ノ一図」古地図史料出版株式会社。ただしその元は参謀本部作「東京5千分ノ一図」1884 現在の地図 出典=国土地理院「1万分の1地形図 渋谷」

各々明治初期の地図 出典=「東京5千分ノ一図」古地図史料出版株式会社。ただしその元は参謀本部作「東京5千分ノ一図」1884
現在の地図 出典=国土地理院「1万分の1地形図 渋谷」

スリバチの魅力


1 公園系スリバチの魅力

武蔵野台地に食い込んだ谷底低地が織りなす起伏の激しい原地形を生かしたかつての大名庭園、それがコンバージョンされたのが公園系スリバチであるが、スリバチ学会としては原地形のもつ土地のテクスチャー、すなわちスリバチ地形特有の「湿っぽさ」に惹かれてフィールドワークを続けている。台地の「ミサキ」と連続しているケースも多く、都心とは思えない絶景に出会えることもある。なお、公園系スリバチに関しては代表的な事例が、田中正大『東京の公園と原地形』(けやき出版、二〇〇五)で紹介されており、大名庭園との対比も具体的に述べられているので今回は割愛したい。興味のある方はぜひそちらを参照されたい。

2 下町系スリバチの魅力

下町系スリバチには、原地形のもつ地形的な側面だけではなく、近代以後の都市空間にも拘束力を発もっている強い地霊を感じる。また、都市観察集団でもある東京スリバチ学会にとっては「まちの魅力」が凝縮されているエリアでもある。学会の主たる活動フィールドである下町系スリバチの魅力を整理してみよう。

2–1 地形が建築群によって増幅されている

ヨーロッパの町や村では、丘の頂に教会やカテドラルが聳え立ち、地形を増幅するようにスカイラインが形成されるケースが多い。「地形は建築や集落にとって最大の潜在力である。地形の願望を満足するように建築や集落をつくれ」(原広司『集落の教え一〇〇』彰国社、一九九八)という教えは、現代の東京においては少々実感しにくいが、実は「山の手台地の高層近代建築群」と「スリバチ谷地の低層高密度住宅地」によって、地形の増幅が顕在化されていたのである。また、ヨーロッパの町ではスリバチ状に窪んだ地形は町の広場として都市的な中心に位置付けられ、土地の潜在力を視覚化している実例がある。

2–2 段丘という地形的断層が
町の様相に断層を与えている

東京の都市開発は決して均一に進行しているのではなく、場所の持つポテンシャルで時間差が生じる。そしてスリバチ地形の段丘は、時に開発の速度にも断層をもたらし、不均一な様相が都市に出現する。東京都心部に見られる様相のギャップはそこにスリバチが存在するサインである場合が多い。

2–3 今でも湧水、または池が現存している

流水の浸食作用で刻まれた谷底(=スリバチ)は地下水位に達すると湧水を招き、時として池となる。江戸│東京の歴史は治水の歴史でもあったが、東京の多くの川が地中化されてきた中で、今でもコンコンと水が湧き、下町で愛されながら生き長らえているスリバチ池に出会える時がある。都心の一等地には場違いな存在ゆえに、逆に自然の逞しさに出会える瞬間である。

2–4 スリバチ特有の謎の宝庫である

下町系スリバチには、一斉に作り上げる再開発の街では醸し出せない、時間が育んだ豊かな情景が散らばっている。スリバチ学会のフィールドワークを和ませるのは、これら下町の生活感や泥臭さの魅力が会員たちに語りかけてくれるからである。

3 再開発系スリバチの魅力

まだ事例は少ないが、開発された街は、多層に及ぶアプローチやその複雑な断面構成の中に、原地形の面影を伺い知ることができる。現代的な建築群をも支配するスリバチの地霊は健在なのである。また、段丘的なスリバチはなだらかに造成されることが多いため、埋没した旧スリバチの痕跡を発見することがある。

地形を増幅している典型的な例 出典=原広司『集落の教え100』彰国社、1998

地形を増幅している典型的な例 出典=原広司『集落の教え100』彰国社、1998

周囲と異相な低層住宅エリアは窪んだ敷地であることが多い

周囲と異相な低層住宅エリアは窪んだ敷地であることが多い

地形を増幅したスカイライン

地形を増幅したスカイライン

大名庭園の池の名残

大名庭園の池の名残

都心には場違いとも思える釣堀池

都心には場違いとも思える釣堀池

石のペイヴは、かつて高台を走っていた路面電車の敷石を流用

石のペイヴは、かつて高台を走っていた路面電車の敷石を流用

懐かしの木造長屋

懐かしの木造長屋

マンサードとバルコニーの付いた木造アパルトメント

マンサードとバルコニーの付いた木造アパルトメント

スリバチの底にあったスリバチ階段

スリバチの底にあったスリバチ階段

ポンペイの遺跡のように埋没した階段

ポンペイの遺跡のように埋没した階段

スリバチが造成され、埋没しつつある住宅

スリバチが造成され、埋没しつつある住宅

バルコニーが客席のように取り囲んだ劇場空間

バルコニーが客席のように取り囲んだ劇場空間

低層住宅地に迫る超高層街区 特記以外の撮影+図作成=皆川典久+松岡里衣子

低層住宅地に迫る超高層街区
特記以外の撮影+図作成=皆川典久+松岡里衣子

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>皆川典久(ミナガワ・ノリヒサ)

1963年生
2001年東京スリバチ学会設立、KAJIMA DESIGN所属。建築設計、インテリア設計。

>松岡里衣子(マツオカ・リエコ)

1977年生
2002年東京スリバチ学会参加、KAJIMA DESIGN所属。

>『10+1』 No.42

特集=グラウンディング──地図を描く身体