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光のテロリスト──高橋匡太論 | 五十嵐太郎
The Terrorist of Light: Kyota Takahashi | Igarashi Taro
掲載『10+1』 No.36 (万博の遠近法, 2004年09月25日発行) pp.37-39

八月四日の夜、台風の影響により、大阪を暴風雨が襲った。
キリンプラザ大阪の「ハイ・エナジーフィールド」展に参加するアーティストの高橋匡太は、館の判断により、準備作業の中止を余儀なくされた。徹夜を覚悟で集まったスタッフに解散が告げられる。二日後にオープニングを控え、現場には焦燥感が漂う。だが、なぜ作業が深夜に行なわれ、中止に追い込まれたのか。彼の作品が展示室の内部ではなく、ビルの屋上と正面のガラスに設営されるからだ。
高橋は、一九九〇年代の後半から光を扱う現代美術を手がけている。だが、光を自律させるわけではなく、光をドット状に投影した京都芸術センターのChannel-N(二〇〇一)や、巨大な地下空間に一二〇〇本の蛍光灯を敷きつめた湊町アンダーグラウンドプロジェクト(二〇〇三)のように、サイトスペシフィックな性格が強い。とりわけ、最近は丹下健三が設計した国連大学ライトアップ(二〇〇三)、菊竹清訓のエキスポ・タワー跡地の光のインスタレーション(二〇〇四)、安藤忠雄のシティハウス仙川ライトアップ(二〇〇四)など、著名な建築家の作品を舞台にしている。ゆえに、高松伸の代表作であり、一九八〇年代の日本ポストモダン建築のメルクマールとなったキリンプラザ大阪のプロジェクトも、そうした一連の仕事として位置づけられるだろう。筆者は、「KPOアートコミッティ」として、彼の起用を推薦したが、その理由は以下の通り。

KPOキリンプラザ大阪の活動の次へのステップとなる今回の展覧会では、アーティストを発掘してきた舞台、すなわちKPOそのものをリスペクトする作品が必要だろう。そこで光を武器に建築と格闘し、空間を美しく変容させる高橋匡太さんがふさわしいと判断した。彼はキリンのアワードで最優秀賞を獲得し、ここから世界に飛びだした。ゆえに、今回の作品は出発の場への贈り物であり、もともと光の塔をテーマとするKPOの魅力を高めるに違いない。
展覧会に寄せた推薦の言葉より


高橋の作品が建築に介入する手法を挙げておく。もっとも多いのは、プロジェクションだろう。国連大学に水玉模様、びわ湖ホールの階段にバーコード、二条城に金魚を投影するなど、光の入れ墨のように異なるテクスチャーをかぶせて、闇のなかで建築のかたちを溶解させる。一方、湊町アンダーグラウンドでは、蛍光灯のカーペットというインスタレーションを制作した。またエキスポ・タワー跡地では、サーチライトによって光の塔を出現させている。そして近作のシティハウス仙川ライトアップは、建築の構成を強調する新しい展開が感じられた。格子のフレームにそって光を照射し、整然とした幾何学を浮かびあがらせる。しかも面ではなく、へりのみが光ると、コンクリートのはずなのに、巨大な透明アクリルが発光しているかのように錯覚してしまう。これはバルコニーの手すりなど、二次的な要素は見えなくなり、安藤忠雄が構想した最初のイメージを想起させる作品だった。
筆者が高橋に「ハイ・エナジーフィールド」展への参加を最初に依頼したとき、キリンプラザ大阪の特徴である四つの光の塔の中央にサーチライトによる光の塔をたてることと、四階の石の間を活用することを打診した。もともと高松伸が設計したとき、初期のスケッチでは、光の塔が中央にひとつという形状が検討されていたからである。その幻のキリンプラザを光によって復元すること。すなわち、麒麟は一角獣だったというアイディアである。また石の間は過剰な装飾がなされているが、現状では控室として使われており、人目に触れることがない。ここは竣工以来、改装を繰り返した結果、高松的なインテリアが残る数少ない貴重な空間である。ゆえに、過剰な光の世界によってキリンプラザ大阪を祝福しつつ、秘められた部屋を開示すること。こうした企画からプロジェクトは出発した。その後、何度か変更するものの、通常の展示室を使わないという方針は一貫している。
この春、ちょうどキリンプラザ大阪で大がかりな蛍光灯のつけ替え工事があり、廃棄する予定の蛍光灯を使うことも検討した。もっとも、上記の案はコストの問題や諸条件によって見送られ、プロジェクトは再び場所を探すことから始まる。途中、高橋チームの作戦会議や現場見学につきあったのは、興味深い経験だった。電気関係の設備はどうなっているか。作品の場所として、ダクトスペースのスキマは使えるのか、避難用に確保されたもうひとつの階段は使えるのか。建築の内臓を解剖するかのように、徹底的に観察し、場所の特性を考慮しながら、空間の可能性を思考するのだ。いささかぶっそうな比喩を用いれば、それはテロリストのまなざしである。押井守監督の『機動警察パトレイバー』のシリーズが東京の隠れた構造を突いたように、あるいは『ダイ・ハード』がビルの内部を駆使していたように、高橋は光のテロリストとして建築をはらわたから食い破る。
よく知られているように、キリンプラザ大阪は行灯をコンセプトにした建築である。したがって、次に筆者は、光を付加するのではなく、いかに光の塔を消すか、またその点滅のパターンをいかに演出するかという方向性を問いかけた。ここで高橋が考えたのは、塔の内壁にある蛍光灯を消し、中心に挿入された別の光源によって塔のスケルトンを影絵として外に見せることだった。光の塔は、まさに高松がイメージしていた行灯に変容する。と同時に、ビルの中央を貫くエレベーター・シャフトの内壁に蛍光灯をぎっしりと並べ、上下に鏡をつけることも提案された。すなわち、建築の中枢において、無限に続く、もうひとつの光の塔を出現させるのだ。屋上の塔と同じく垂直の要素に注目し、隠れた空間を顕在化させること。キリンプラザ大阪の脊髄をのっとる案は魅力的だったが、ひとつしかないエレベータを止めることになってしまう。結局、ビルの運営に支障をきたすことから、予想通り実現は難しいと判断される。
対象を機能停止に追い込むこと。高橋が光のテロリストたるゆえんである。彼が現場で試みるのは、限られた条件のなかで、どこまでの表現が可能か、という実験なのだ。ときには困難なことが十分にわかっていても、あえて提案し、本当に不可能なのかを確かめる。もしかすると道が開けるのではないかと。そして承認されると、チームを組織し、迅速に組み立てていく。こうした作業を通して、場所の特性があぶりだされていく。
最終的に実現されたのは、屋上の光の行灯と、入口の吹き抜けにあるガラスのファサードに二〇〇本の蛍光灯を規則正しく配列する計画だった。後者は、ちょうど湊町アンダーグラウンドの光のカーペットを立て起こした格好である。ガラス面は横に五分割されているが、その長さは四〇形の蛍光灯がぴったりと収まるサイズである。実際に蛍光灯を仕込むと、あまりにうまく入ることに驚かされた。おそらく偶然ではない。キリンプラザ大阪は左右と上下が対称になった独特のデザインをもつ。ゆえに、もともと光の塔は内側に蛍光灯を並べることを想定し、そこから格子の単位を決定したのではないか。光の塔とガラス面は上下対称の関係であるから、蛍光灯と同じ幅の分割になっているのは当然なのだ。屋上にのぼり、光の塔の内側をのぞくと、外から見えないからなのか、蛍光灯はラフに配列されていた。しかし、高橋はミニマル・アートのごとき正確さをもって並べる。この作品は、建築を本来のかたちに修正するような増築といえるかもしれない。
ところで、筆者が初めて購入した建築家の作品集は高松伸のものだった。一九八〇年代の後半に建築科の学生であれば、決して珍しくないと思う。絶好調の高松が生みだしたのが、キリンプラザ大阪である。今回、隅々まで観察し、改めて装飾の密度に感心させられたが、蛍光灯によるモデュールなど、新しい発見も少なくなかった。高橋の作品は、アートでありながら、きわめて建築批評的な意味をもつからだろう。光の行灯は、その内部に五段の回転する光源やフラッシュを仕込み、消された蛍光灯の列を影絵として表層に映しだす。一方、上下対称の位置にあるガラス面には、むきだしの蛍光灯が配列され、激しく輝く。すなわち、影の塔と光の塔。空間のヴォリューム的にも、屋上は凸、地階は凹であり、反転された光の塔になっている。建築としてのキリンプラザ大阪を調べつくしたうえで、戦略が練られたことがうかがえるだろう。

八月五日、一夜あけて台風が過ぎる。
屋上では、光のパターンのプログラム調整が続く。atelier.や彩都IMI大学院スクールの協力によって、深夜に蛍光灯のインスタレーションもぎりぎりで完成。
八月六日・七日、オープニングのイヴェントが催された。
三台の発電機がうなりをあげ、二〇〇本の蛍光灯が心斎橋筋に閃光を放つ。続いて、暗くなった塔が内側から照らされ、構造体が透けて見える。いつもは塔が光源体となるのに対し、塔そのものが光を浴びる対象になっているからだ。フラッシュによって塔は激しく点滅し、動く光源はブレースの影を妖しく踊らせる。屋上に設置されたプロジェクターからも抽象的なグラフィックが投影された。今回の作品は高橋の新機軸を打ちだすとともに、これまでの手法の集大成といえるだろう。空中の舞台装置に変容した塔の内部では、玉城そのみがパフォーマンスを行ない、影絵に彩りを与え、山中遥のノイズ・ミュージックが共振する。かくしてメカニックな建築に生命が吹き込まれた。グリコの巨大な電飾の前で記念写真を撮影する戎橋の観光客も、キリンプラザ大阪に目を奪われる一夜だった。

1──高橋匡太《光の塔  行燈計画》

1──高橋匡太《光の塔  行燈計画》

2──ガラス面に並べられた蛍光灯 撮影=木奥恵三  提供=KPOキリンプラザ大阪

2──ガラス面に並べられた蛍光灯
撮影=木奥恵三  提供=KPOキリンプラザ大阪

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年生
東北大学大学院工学研究科教授。建築史。

>『10+1』 No.36

特集=万博の遠近法

>丹下健三(タンゲ・ケンゾウ)

1913年 - 2005年
建築家。東京大学名誉教授。

>安藤忠雄(アンドウ・タダオ)

1941年 -
建築家。安藤忠雄建築研究所主宰。

>ポストモダン

狭義には、フランスの哲学者ジャン・フランソワ=リオタールによって提唱された時代区...