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春よこい──(別称=昭和残響伝) | 小田マサノリ
Spring, Come! (a.k.a. An Echograph of the Showa Era) | ODAMASANORI
掲載『10+1』 No.34 (街路) pp.39-42

演奏会じゃねぇんだよ!  フェスなんだよ!  うたえよ、お前ら自身うたったらどうだよ、ただ聞いてるだけじゃよぉ、犬か猫と同じじゃねぇかよ
 「’71 日本幻野祭  三里塚で祭れ」より


七〇年安保闘争と反博運動の大きな波が去ったその明くる年の昭和四六(一九七一)年、三里塚では通称「三里塚軍事空港」、別名「成田空港」(現・新東京国際空港)の建設反対闘争が重大な局面を迎えていた。二月二二日の第一次強制代執行開始から始まった土地をめぐる攻防は一三日間に及び、その間に四〇〇人を超える逮捕者と一〇〇〇人を超える負傷者が出た。それから半年後の九月一六日に強行された第二次強制代執行によって、駒井野の地に最後まで残っていた農民の砦の塔が残らずなぎ倒され、強制的に撤去された。「本当に国家権力ていうものは恐ろしいな、生きようとする百姓の生をとりあげ、たたきつぶすのだからな」という遺書を残して三ノ宮文男が自殺したのはこの第二次強制代執行の後のことである。先の国会で有事法にもりこまれた、有事における土地家屋の使用とその形状の変更、立木や工作物の移転と処分に関する権限の都道府県知事への付与という条項は、三二年前に「日本の国際化」という名の下に行なわれたこの強制代執行の暴力を思い起こさせる。「日本幻野祭」はこの第二次強制代執行を目前に控えた八月の盆の三日間に三里塚の天神峰の原野で行なわれた。「若いものは血走っております」、「命ねぇぞ命!」そんな野次と怒号が飛び交うなか、高柳昌行のニューディレクションが舞台にのぼり、最初の一音目から激しい轟音をほとばしらせた。氾濫する音の濁流に、群衆から空缶や果物の雨が降り注いだが、やがてそこに「ワッショイ!」のかけ声が合流し、解体的な交感が起こった。「右翼が日本刀を持って一〇人くらい来ています」というアナウンスに「闘争勝利、空港粉砕!」のシュプレヒコールが応え、舞台の脇で主催者と参加者との激しい口論が始まる。だがそれは政治綱領や行動方針をめぐる論争ではなく、「祭りということ」をめぐるもので、「バカヤロー!」と罵声を浴びせ合いながら交わされる喧嘩腰のそのやりとり自体がすぐれて祭りのそれを思わせた。野良着姿の婦人行動隊が舞台にのぼり、「祖霊まします、この山河、敵に踏ませてなるものか。人は石垣、人は城、情は味方、仇は敵」という武田節の詩を詠みあげる。そして、この「武田節こそ、私たち、三里塚の百姓、おっかぁたちが見つけた歌ではないでしょうか。もっと踊りましょう、踊りこそ、わたしたちの命だと思うんです」と呼びかけると、群衆がそれに歓声で応え、舞台の上と下で闘争の盆踊りが始まる。そしてハレ・クリシュナの念仏踊り、加藤好弘のゼロ次元の裸踊りの儀式が、この祭りをさらにシンクレティックなものにしてゆく。そんななかで行なわれた阿部薫の演奏は、三二年ぶりに復刻された音源でも聴くことはできず★一、それは依然として「幻ろしママの演奏」のままである。よって「俺は静けさが爆発するところまでやる……俺を聞いた者は死ぬ」という間章が書きとめた阿部の言葉や★二、その日その場に居合わせた者たちの証言から想像するより他ないが、他ならぬこのような一触即発の祭りの場で演奏されたその音はまさに「聞くと死ぬ」ようなものであったに違いない。頭脳警察の演奏の後、ロスト・アラーフが舞台にあがった。爆竹がはじけ、鶏が屠られ、突然、何かに憑かれたかのように灰野敬二の口から「お前たちは殺す!  俺たちの方がここにきた価値があるというものさ」という呪いの句が吐き出される。灰野が発する叫びと黒々としたうめきは、やがて獣のような息づかいにひきとられ、獣笛が吹き鳴らされたところで、この夜の祭りが終わった……もともとこの土地で流された多くの血のために、たとえ地を奪われてもなお穴にもぐって抵抗を続けるという「血祭り・穴祭り」として立ち上げられたこの祭りは、岡本太郎が太陽の塔の下の《お祭り広場》に現出することを願いながらも実現しなかった婚祭り恨、すなわち、バタイユ的な「死を前にした歓喜」とその「交歓」の場としての婚祭り恨を思わせる。それは個人や集団の繁栄を祝い願う祝祭としての祭ではなく、共同体の存在の危機という例外状況のなかで息を吹きかえしてくる「野性のアノマリーな生の力」(ネグリ)★三が互いにぶつかり合い、通い合う、そういう婚祭り恨である。日本幻野祭はそうした生の「コンパルシオン」(J-L・ナンシー)の場を喪失した(という幻想をつくりあげた★四)現代にあって、闘争のさなかの三里塚という例外状況のなかでのみ可能となった「幻ろしの婚祭り恨」ではなかったろうか。その夜、この婚祭り恨の婚捧げもの恨として舞台に投げこまれた表現者たちは舞台の上から「殺すな!」と叫ぶかわりに「聞くと死ぬ」ような破滅的な音を吹き放ち、「殺す!」という呪詛を吐き返すことでのみかろうじて、この極限/彼岸の婚祭り恨を生き延びえたのではなかったろうか。それから三二年が経ち、再び日本が「国際協調」という名の下に「戦争」に加担し、さまざまな強制代執行の準備を整え始めたいま、私たちが新たに工作しなければならないのは、こうした野性の生の力を現出させ、示威する婚祭り恨という非暴力的な直接行動であり、ネグリとハートの「〈帝国〉に抗する民たち」のプログラムのなかに未だ書きこまれていないように思えるのはこれである。そんななか、平成一五年一〇月五日、公安警察と機動隊に包囲された渋谷の宮下公園で七時間にわたって行なわれた反戦パーティ「SETBUSHFIRE」には、三二年前の「幻ろしの婚祭り恨」の遠い残響めいたものが感じられた★五。とりわけ圧巻だったのはライヴである。それはまず、かつての翼賛国家の象徴に呪いの釘を打ちこむ愚痴の儀式から始まった。正午ごろ、ストラグル・フォー・プライドが登板し、おそらくは公園史上最大出力量のノイズとビートを解き放った瞬間、公園の天地がひっくりかえった。まっぴるまの日なたに間違って飛び出してきてしまった夜行性動物のような、ボーカルの今里の姿態から吐き出される圧倒的な強度と持続力を持った叫びが公園の地面を震わせた。今里の全身に隈どられた刺青が死斑のように浮かびあがり、昏倒寸前の物狂いの形相から発せられるその断末の叫びに、顔中に死紋を浮かべながら絶息するまで演奏したという阿部薫の伝説がオーヴァーラップする。その時もうすでに飽和域に達していたノイズの沸騰のなかにアブラハム・クロスのボーカルがとびこみ、それを一挙に極限までおしあげた時、公園の地面から立ちあがる砂埃の雲の中でノイズの雷が起こって、渋谷の街区に飛来してゆくのを見る思いがした。夕刻に始まったECDのステージでは、このパーティを一緒につくりあげた公園の野宿者のなかまたちに敬意を表し、この「紙っきれ人情」の世の中「ホームレスだけにゃなりたくなかった」という歌詞が「なりたくなかったけど今日はちょっとだけ違う!」と替えられ、ECDがコールをなげかけると、すかさずイルリメが「今日は違う!」とレスポンスを返す。そのあと和太鼓のブレイクで唐突にはじまった「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」に一瞬意表をつかれながらも、やがてラップの盆踊りが始まる。もはやジャンルの見分けのつかなくなったこのシンクレティックな音と踊りの場を前にしながら、そこでようやくこのパーティが婚祭り恨だということに気づいた。それは国家という家や市場という庭に飼われることを嫌い、その檻の外で生きようとするアノーマリーな生態をもった野性の動物たちの婚祭り恨である。そこには昏倒寸前まで自らの情動を開放し、その生の情動と歓喜を惜しみなく分け与えようとするケモノがいる。その情動に通い合おうとする別のケモノがいる。そうしたマイナーな動物たちが群れとなって、その生を監視し管理しようとする生─政治に対して公然と否を示威する婚祭り恨、その日のパーティはそんなケモノたちの婚祭り恨を夢想させてくれる事件だった。一方、それと同じ頃、大阪の天王寺公園では公園内に点在するカラオケ屋台を強制撤去しようとする動きが進行していた。天王寺公園は三里塚で日本幻野祭が開かれた年に始まった「春一番コンサート」の発祥地で、天王寺公園の野外音楽堂は七九年に「春一番」が中断されるまで、フォークをはじめとする関西圏の音楽シーンにとってのホームグラウンド的な場所であった。そもそも公園そのものが明治三六年の内国勧業博覧会の跡地利用として建設されたもので、かつてはそうした国家の興行や音楽の大きなイヴェントの場であった場所に、日々の小さなイヴェントとしてのカラオケが自然にもちこまれ、やがてそれが全天候型の野外ブースとなって定着した。それは野宿者の閑静な家が立ち並ぶ天王寺動物園の天空橋の先の、強化プラスティックの透明な壁にガードされて、まるで園芸愛好者の趣味の庭のようになった公園の中の、最後に残った野の小径にある。そこは陽のあたる天下の往来で人が自由に声をあげて勝手に唄を歌い、通りすがりの人々に自慢の芸を惜しみなく披露する趣味の解放区であり、インディペンデントな野外の演芸場である。そこで歌われるのはブルース色の濃い演歌で、それは自分にはあまりなじみのない音楽ではあったものの、宮下公園に響いたあのハードコアなノイズと同様、そのハードコアな演歌にも音を通じた生の情動の放出とその分かち合いが感じられた、と同時に、それはあの破壊的なノイズと同じく、よく管理された庭や音楽を好む市民社会の趣味からはけっして好まれないだろう、という印象を受けた。なぜなら、それはいま世の中で商品として流通している飼い慣らされた音や芸とは明らかに異質な情動を孕んだものだからで、実際、誰が書いたものかはわからないが「カラオケ、でていけ!」という落書きがあるのも事実である。ただ、そうした落書きを見るにつけ、なおさらのこと思うのは、そうした他者の特異な生やその情動に耳をふさいではならないということだ。そうでなければ私たちは、自らのうちに眠りこけている野性の生を目覚めさせてくれる他の野性に出会うことのないまま、ただ与えられる情報や娯楽を選別して消費するだけの飼い慣らされた犬や猫のような生を生きることになり、そこでは婚祭り恨は起こらないだろう。また、そうした出会いの婚祭り恨がなければ、他者はただ恐怖と憎悪の対象としてのみ想像され、排除の対象となるよりほかない。三二年前のあの「幻ろしの祭り」に集まった者たちは、武田節の詩情と習俗をうけいれ、その情動に通い合おうとして闘争の盆踊りを踊った。だが、その土地も国家に奪われ、もはやかつてのランドスケープをとどめていない。そして今また別の強制代執行が始まろうとしている。私たちの生は透明な壁でパッケージされつつある。そうしたなかにあって、都市の街路や公園は私たちが他者の生に出会うことのできる最後に残された原野ではないだろうか★六。天王寺公園の野宿者の家にこんな貼り紙を見つけた。「地球にねてる」。これは「帝国」の情報ネットワークがサービスとして提供するあの「グローバルに生きる」というまやかしの感覚とは異なる、グローバルな野に生きる生の実感であり、その貼り紙は私たちがまだ知らずにいるこの球体の大地の野性面を指し示す標識のように思えた。そしてその標識のむこうに浮かんできたのは、コールハースがレポートしたラゴスの街である★七。高速道路の上に有象無象の人々の暮らしと交通が生い繁るあの毛深い街、都市計画のロゴスからはみだしてゆく野性の街、私たちに追いつこうとはせず、むしろ私たちがそこに追いつこうとしているあの街が、その標識の先に幻ろしのように在るのを感じた。そうした野性の街での生き心地というものを想像してみること。いま私たちに必要なのはそういう野蛮な想像力ではないか。平成一五年の大晦日、強制代執行で撤去されたカラオケ屋台のなかまたちが、深夜に公園前にテントを運びこみ、元旦の日から四日間のあいだ、そこでステージをくりひろげたという。「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ!」。三里塚の闘争もいまなお続いている。「ワッショイ!」。イラク攻撃をきっかけに始まった路上開放デモは、かつての政治運動のように権力を手に入れようとするものではなく、いま・ここでの生の実感をとりもどそうとする婚祭り恨だった。その婚祭り恨は誰のものでもなく、そこに集う婚民恨たちの共有物(コモン)である。その
 婚祭り恨は革命を想うものではなく、生の季節のめぐりを想うものである。路上であれ公園であれ、そこに地がある限り、それは何度でもくりかえすだろう。地は遠くにありて想うものではなく、常に私たちの足もとにあって、婚祭り恨は自分が蹴りつける地面から幻ろしのように立ち上ってくるものだ。渋谷のパーティの直前、加藤好弘から届いた手紙には「闘争はまだはじまったばかりです」と綴られていたが、はじまったばかりなのは 婚祭り恨のほうではないだろうか。春よこい、吹きかえしてこい。人間という残酷な動物のなかに潜在する、野性のいきものとしての生よ、化けて出てこい。「帝国」の都市にねむる民の力を路上で祭れ。幻ろしの婚祭り恨よ、我らを発情せしめたまえ。春よこい。

1──三里塚の農民の砦 出典=毎日新聞社『シリーズ20世紀の記憶・連合赤軍メ狼モたちの時代』1969─1975

1──三里塚の農民の砦
出典=毎日新聞社『シリーズ20世紀の記憶・連合赤軍メ狼モたちの時代』1969─1975

2──第二次強制代執行 出典=毎日新聞社『シリーズ20世紀の記憶・連合赤軍メ狼モたちの時代』1969─1975

2──第二次強制代執行
出典=毎日新聞社『シリーズ20世紀の記憶・連合赤軍メ狼モたちの時代』1969─1975

3──三里塚版・櫻画報 出典=赤瀬川原平『櫻画報大全』(新潮文庫、1985)

3──三里塚版・櫻画報
出典=赤瀬川原平『櫻画報大全』(新潮文庫、1985)

4──日本幻野祭の舞台 出典=「日本幻野祭・三里塚」

4──日本幻野祭の舞台
出典=「日本幻野祭・三里塚」

5──婦人行動隊の盆踊り 出典=「日本幻野祭・三里塚」

5──婦人行動隊の盆踊り
出典=「日本幻野祭・三里塚」

6──ゼロ次元の儀式 出典=「日本幻野祭・三里塚」

6──ゼロ次元の儀式
出典=「日本幻野祭・三里塚」

7──SETBUSHFIRE 筆者作画

7──SETBUSHFIRE
筆者作画

8──渋谷宮下公園にて 撮影=motoko kamata

8──渋谷宮下公園にて
撮影=motoko kamata

9──春一番コンサート 出典=山本よお『関西フォーク70'あたり』 (幻堂出版、2003)

9──春一番コンサート
出典=山本よお『関西フォーク70'あたり』
(幻堂出版、2003)


10──未来都市ラゴス  出典=『MUTATIONS』

10──未来都市ラゴス 
出典=『MUTATIONS』

11──天王寺公園の秋 筆者撮影

11──天王寺公園の秋
筆者撮影

12──天王寺公園にて   筆者撮影

12──天王寺公園にて
  筆者撮影


★一──青池憲司監督『日本幻野祭・三里塚』( 一九七一)、『幻野 幻の野は現出したか──'71日本幻野祭  三里塚で祭れ  実況録音盤』。
★二──間章「解体的交感とニューディレクション」(高柳昌行+阿部薫『解体的交感』、一九七〇)。
★三──Antonio Negri, The Savage Anom-aly: The Power of Spinoza's Metaphysics and Politics, University of Minnesota Prress, 2000.
★四──ジャン=リュック・ナンシー『無為の共同体──バタイユの恍惚から』(西谷修訳、朝日出版社、一九八五)。
★五──このパーティでは、ABRAHAM CROSS、ECD、STRUGGLE FOR PRIDE、STUDIO BOYZ feat. 湯浅学、TEMPLE ATS、VOCO PROTESTA、イルリメ、菊地成孔、愚痴、二階堂和美、DJ KENT、MOODMAN、RANKIN TAXI、SHIRO THE GOODMAN、クボタタケシ、ムーグ山本らによるライブとDJのほか、鵜飼哲、太田昌国、小田マサノリ、加藤好弘、長原豊、NODA OUT、のびた、東琢磨、平井玄、ぺぺ長谷川 、水嶋一憲、毛利嘉孝らによるシンポジウムが行なわれた。
★六──拙著「さよなら落書きなき世界」(『現代思想』二〇〇三年一〇月号、青土社)。
★七──レム・コールハース+ハーバード都市プロジェクト『MUTATIONS』(TN Probe Vol.9、二〇〇一)。

>小田マサノリ(オダマサノリ)

1966年生
東京外語大学AA研特任研究員。アナーキスト人類学。

>『10+1』 No.34

特集=街路

>〈帝国〉

2003年1月23日

>西谷修(ニシタニ・オサム)

1950年 -
フランス文学・思想。東京外語大学大学院地域文化研究科教授。

>小田マサノリ(オダマサノリ)

1966年 -
アナーキスト人類学。東京外語大学AA研特任研究員。

>東琢磨(ヒガシ・タクマ)

1964年 -
音楽批評。

>毛利嘉孝(モウリ・ヨシタカ)

1963年 -
カルチュラル・スタディーズ/メディア&コミュニケーション論。。

>レム・コールハース

1944年 -
建築家。OMA主宰。