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アメリカの二つの顔──暴力と恥辱の景観 | 田中純
Two Faces of America: Landscapes of Violence and Disgrace | Tanaka Jun
掲載『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) pp.2-11

1 聖別と抹消

ロバート・ケーガンの『ネオコンの論理』をはじめとするアメリカ新保守主義では、アメリカ合衆国は「万人の万人に対する闘争」の状態にある世界というホッブズ的な現実を意識し、そこに秩序をもたらす武力という要因を重視するのに対し、ヨーロッパはそうした苛酷なパワーポリティクスを忘れて、カント的な永久平和の楽園に暮らしているかのような錯覚に陥っている、といった主張がなされる。これをホッブズやカントの誤読とあげつらうことはたやすいが、そこに一定の説得力がなければ、このような議論が横行するはずもあるまい。
ホッブズの『リヴァイアサン』における自然状態の議論を国家間に適用することは今に始まったことではなく、国際関係論では常套句の部類に属する。カール・シュミットに言わせれば、「国際法においては諸国家が『自然状態において』対峙していることを、最初に正確にのべたのはホッブズである」★一ということになる。ホッブズの国家論において、いっさいの合理性・合法性は国家に吸収されてしまい、こうして合理性を貫徹した命令機構同士が相対峙すると、その相互関係は非合理性を増して組織化不可能となる。国家間に国家的合理性はない。そこには「リヴァイアサン(レヴィヤタン)」★二たち相互の不安な緊張関係があるのみだ。
だからこそ、この局面で問題になるのは政治理論としての整合性ではなく、ホッブズ自身も活用した虚構によるレトリックと「レヴィヤタン」という「政治的象徴」(シュミット)の神話化効果なのである。国際関係においてこそ、「巨獣と巨大な機械の混淆物たるレヴィヤタン像は最高度の神話的迫力をもつに至る」★三。シュミットがそのホッブズ論でレヴィヤタン象徴の神話形成力を執拗に追究した所以である。
主権国家成立に時間的に先立つという自然状態からして、ひとつのフィクションにほかならない。そのようなフィクションに基づいて、互いに殺害しうる(そしてその点で基本的に平等な)人間の身体が合体した巨大なひとつの人体であるレヴィヤタン国家が生み出される。しかしそのとき、人間を殺害しうる処罰権は主権者のみには残されるのだから、主権者という国家の中心においてはむしろ自然状態が生き延びていると言うべきなのだ。主権者に体現された自然状態が時間的に過去へと投影されることで、「契約」による国家成立の神話が形成されるのである。
レヴィヤタンとは、したがって、自然状態の暴力、万人を殺害する権力の象徴にほかならない。「万人の万人に対する闘争」をホッブズが「人は人に対して狼である」と言い換えているのは周知の通りだ。ジョルジョ・アガンベンは、この「他人に対して狼である人間」に、共同体を締め出された者の別称であった「狼男(wargus, werwolf, loup-garou)」の谺を聞き取らなければならない、と指摘している。一二世紀のエドワード証聖王の法は、このように締め出された者を「狼頭(wulfesheud)」と定義していた。

ここで決定的なのは、この人[共同体から締め出された人物]が「狼男」と定義され、単に「狼」とは定義されていない(「狼頭」という表現は法的地位をもつ形式となっている)ということである。締め出された者の生は──聖なる人間の生と同様に──、法権利や都市といかなる関係もない獣的な本性などではない。締め出された者の生は、動物と人間、ピュシスとノモス、排除と包含のあいだの不分明の境界線、一方から他方へと移行する境界線なのだ。人間でも野獣でもない狼 男ルー・ガルーはまさしく、その二つの世界のいずれにも属することなく、とはいえ逆説的に両方の世界に住みついている★四。


つまり、自然状態とは、誰もが狼男であり、狼頭を被っているという状況にほかならない。主権者が国家の中心に生き延びた自然状態であるとすれば、レヴィヤタンとは獣人としてのそんな主権者の肖像なのである。アメリカ合衆国がホッブズ的自然状態に秩序をもたらす「主権者」たらんとし、レヴィヤタン(レヴィヤタンたちのなかのレヴィヤタン)に同一化するとき、この国家は獣人に似た境界線上の存在に変貌する。それは「ならず者国家」を国際的共同体から締め出そうとするのだが、この共同体において処罰権を専有する主権者として振る舞うことは、みずからをひとつの「例外」としてそこから締め出す結果にもなる。合衆国こそが「最大のならず者国家」であるとは、それが自然状態の暴力を体現する唯一の獣人であろうとしていることの帰結以外のなにものでもない。シュミットにしてみれば、一七世紀の英国以上に到底「国家」とは認めがたい合衆国が、「王のなかの王」としてレヴィヤタンを僭称するのである。
アメリカ新保守主義によるホッブズの自然状態概念やレヴィヤタン象徴の再活性化、ならびに「ならず者国家」といった境界的存在の政治的象徴化によって臆面もなく遂行されているのは、暴力の神話化であり、恐怖のグローバル化であると言ってよい。恐らくそこには、合衆国の政治神話がほかならぬ「境界線」のイメージ、すなわちフロンティアと深く結びついていることが関係しているに違いない。ワイルド・ウエストというフロンティアとは、この神話空間においては文字通り、ピュシスとノモスのはざまにほかならない。さらに独立戦争に始まる合衆国の建国神話もまた、暴力の肯定へとつながりやすいものだったと、とりあえずは言えるだろう。
地理学者ケネス・E・フットは、合衆国の景観に刻み込まれた暴力と悲劇の痕跡から、アメリカ社会における「記憶の文化」のかたちを読み取っている★五。この研究は、合衆国の政治神話を悲劇の記憶という側面から考察するうえでの手がかりになるだろう。フットは災害や政治的暗殺、大量殺人などの惨事が発生した場所がその後どのような変容をたどっているかを調査し、その結果を大きく四つのパターンに分類している。それは、「聖別」、「選別」、「復旧」、「抹消」である。
聖別は、事件が英雄的行為や共同体のための自己犠牲などを有していた場合に生じ、慰霊碑や記念碑がそこに建立されることが多い。これと対極をなす抹消は、人々が一刻も早く忘れ去ってしまいたいと願うような不名誉な出来事の帰結で、事件の痕跡はすべて破壊され、消し去られてしまう。これら両極の間に位置する選別と復旧はやや曖昧な概念であり、選別が事件の起こった場所をいわばマーキングし、その事件の記憶を弱いかたちで保存するのに対し、復旧は暴力や悲劇の痕跡を取り払い、跡地が通常の使用に戻る場合で、その場所には肯定的な意味づけも否定的な意味づけもなされない。
もちろんこうした四つの分類は明確な境界線をもたない連続的なものであり、さらにある場所がどれに属するかは時代とともに変化する。抹消から聖別への上昇も、聖別から抹消への転落もともにありえないことではない。それはひとつの共同体が事件の記憶をどのように時間をかけて消化してゆくかというプロセスによることもあれば、社会的マイノリティが自分たちの歴史的過去をどのように復権させるかという闘いの趨勢によるものでもありうる。いずれにしても、暴力の痕跡は、景観の目に見える部分ばかりではなく、目に見えない部分──むしろこちらのほうが圧倒的に優勢だろう──にも残されている。
大統領や政治的指導者、あるいはポップ・スター(例えばジョン・レノン)などの暗殺・殺害された場所が「聖別」の対象になることはわかりやすい。避けがたく思われた自然災害や事故が共同体全体に降りかかった天災として受け取られた場合にも、事件現場は聖別されて、犠牲者たちのために慰霊碑が建造される。こうした聖別化は犠牲者の多くがある共同体の成員で占められているなど、悲劇と当該共同体との関連が密接であるときに起こる。これに対して、南北戦争のような内戦については、誰が、どのような英雄的大義のもとに、犠牲者を記念し慰霊するかをめぐって、長期間にわたる議論の時間が必要とされてきた。
悲劇的記憶の空間のなかで、しかし、最も多くの問題を孕んでいるのが抹消のパターンをたどる事例である。抹消の強力な動機となるもの、それは「恥辱」である、とフットは言う。共同体は恥辱感のあまり、抹消によって、そこに暴力が存在したことを隠蔽し、悲劇的出来事を忘却しようとする。しかし、多くの場合、その場所は復旧のパターンにおけるように通常の使用には戻らず、空虚なまま放置されてしまうため、逆に「何か」がそこで起こったことを示してしまう。沈黙こそが雄弁に語るのだ。フットは自分が勤務することになったテキサス大学でかつて起きた大量殺人の記憶をめぐり、こんな直截な告白を書き記している。

場所が一度恥辱にまみれてしまうと、これらの場所が連想させるものをそこから拭い去ることはまことに困難なのである。いくつかの場所はあまりに凄惨で、私には再び訪れる勇気がない★六。


そんな抹消の事例としてまず取り上げられているのが、映画『サイコ』や『悪魔のいけにえ』のモデルになったというエドワード・ゲインによる大量殺人事件である。ゲインが人生のほとんどを暮らしていた町の人々は、彼が共同体に何の問題もなく受け入れられていた普通の住民だったがゆえに、深い恥辱の意識を抱かされた、とフットは言う。ゲインの家と農場は何者かに放火されて焼け落ち、跡地は松林にされたのち、分割相続をへて売却された。犯罪を連想させる痕跡はことごとく消し去られたのである。
聖別が特定の儀礼的手順から構成され、それによって共同体構成員たちの悲しみの感情が公に認められて、一種のカタルシス効果をもたらすのに対して、抹消にはそうした儀礼的手順が存在せず、個別の特殊なコンテクストで即興的におこなわれる。そのため、手順がパターン化されることがない。また、それは聖別のように感情の解放をもたらすこともない。抹消の核心にあるのは、事件の存在そのものを否定することだからだ。そこでは死者にはっきりと別れを告げるための手続きが遂行されえない。

生存者は殺人者の家と財産を破壊し、彼に復讐することは可能であるが、彼らが否定しようとする痕跡と、そこからの連想を認めなければ、犠牲者に敬意を払うことはできないのである。生存者は背反する欲望、すなわち抹消と記念の間に苛まれる。そして、そうした矛盾は「病理学的」とでも名付けたくなるような、場所と景観の変容を引き起こす。その場所は、過去を白紙に戻すために、廃棄され、無視され、忌避され、野蛮に破壊される場所なのである。だがその試みはおよそ完遂されることはない★七。


事件を忘れることはできないが、しかし、それを想起できるわけでもない──悲劇の場所は対立する感情のはざまに宙吊りにされてしまう。フットは、場所の抹消という「病理学的」反応を、通常の死別のプロセスを意図的に回避するための行動と解釈している。それは喪の失敗というよりも、喪をおこなわないという意識的な選択の産物なのだ。
注目すべきなのは、フットがここで、こうした抹消の現象をアメリカ社会特有のものととらえている点である。アメリカ社会は──他の社会の文化とは異なり──大量殺人のような事件から生まれる恥辱感を、人々の記憶や場所から拭い去るための「浄化の儀礼」をもっていない、と彼は主張する。「そのためアメリカ社会では、誇るべき歴史的な瞬間──いかに暴力的であっても──を儀礼の形式を用いて記念することは可能だが、恥辱的な事件を人々の記憶からきれいに拭い去ることができないというパラドックスを有している」★八。
アメリカ社会のこの不能性に対応すると思われるのが、恥辱感による心理的緊張状態を緩和するためにとられる方策としてフットが挙げている、事件を茶化すユーモアやジョーク、マス・メディアの暴露報道、事件を題材にした大衆文化の産物、あるいは猟奇的な都市伝説の類だろう。その心理的な防衛メカニズムは、「機知」をめぐるフロイトの考察などによって、すでに知られている。「浄化の儀礼」の欠落はこうした気晴らしの数々によって補償されるのだ。
しかし、なぜアメリカにはそもそも「浄化の儀礼」が欠けているのか。フットはその根深い理由を、アメリカ人を国民として統合する伝統やその共通の価値観における暴力の役割に見ている。西部開拓にともなって必要とされた破壊は、社会を改良し再生させる力として、暴力を肯定的にとらえる見方を醸成した。暴力はフロンティア神話や国家の歴史の称揚に密に織り込まれたのである。暴力はアメリカ史において、市民を団結させ、共通の目標へと駆り立てる重要な手段であり続けてきた。それは合衆国における市民宗教の根幹をなす要素だった。しかし、そこには秩序破壊的な暴力を完全には否定できないというジレンマがある。

根本的問題は、暴力がいったん社会の動因となってしまうと、コントロールが効かなくなることである。革命によって創られたこの国では、反抗や反乱の鎮圧を正当化するのが難しくなる。フロンティアを前進させるために無骨な個人主義と暴力を頼りとするようになった社会では、紛争解決の手段として個人間の暴力を否定し難い★九。


抹消された場所──そのなかには労働運動で犠牲となった労働者たち、あるいは、奴隷制や人種差別の犠牲者であるアフリカ系アメリカ人およびネイティヴ・アメリカンなどのマイノリティーの人々を慰霊すべき、しかし、実際には悲劇の痕跡が不可視化されてしまっている場所も含まれる──が、合衆国の景観内で見えなくなっているのは、暴力をめぐるアメリカ社会のこうしたアンビヴァレントな感情の反映である、とフットは言う。悲劇の場所を不可視化することで、暴力の肯定と暴力に対する後ろめたさが共存したどっちつかずの感情に直面することが回避されるのである。暴力はアメリカ社会においてきわめて両義的な価値なのだ。それゆえに、どんなに犯罪的な暴力によって引き起こされた悲劇の場合であっても、その暴力を全否定できないことに由来する恥辱が完全には払拭できない。「浄化の儀礼」の不在は単に偶然的な欠落ではなく、アメリカ社会そのものの成立基盤に関わっている。
フットによれば、合衆国の景観は長年、暴力に対するこうしたアンビヴァレンツゆえに、暴力の暗い側面を認めることが暴力によってもたらされた積極的で英雄的な成果を台無しにしてしまうかのような、過度の思い込みによって形成される傾向にあったという。この国では、災害のようなケースでさえ、慰霊碑が建立されることは極端に少なかったのである。ごく最近まで、慰霊碑の類は無作法なもの、コミュニティの名誉を傷つけるものと考えられていた。災害や大量殺人事件の慰霊碑がここ一〇─二〇年間に建造されるようになってきた事実のなかに、フットは、アメリカ人が悲劇に対してやや開放的になり、成熟してきたしるしを読み取っている。現代社会における暴力の役割をめぐる認識の変化が、アメリカ社会に生まれつつあるというのである。
しかし、二〇〇二年五月に書かれた日本語版への序文で彼は、オクラホマシティの連邦政府ビル爆破事件のメモリアル建立や九・一一事件後の跡地開発計画策定があまりに速いスピードで進められていることに危惧を隠していない。こうした事例では、これらの場所を性急に聖別しようとするあまり、激しい議論を通じた徹底した自己省察が十分おこなわれておらず、議論が犠牲者の称揚のみに収斂してしまっているのである。
惨事がきわめて大規模であり、なおかつ合衆国の権力中枢や経済的中心を狙ったものであったこれらのケースでことさら顕著になっているのは、メモリアルの実現過程そのものがマス・メディアを通じたショーと化し、正常な「喪」に代わって心理的な緊張状態を緩和する──ハリウッド映画やテレビ・ドラマと同じ──役割を果たしているという事態ではないだろうか。WTC跡地計画に際してのダニエル・リベスキンド案のプレゼンテーションは、見事にこうした大衆的欲求に応えるものだった。この建築家は広報の専門家を雇い、いわば「メディア・サーカス」への露出度を高めて、大衆が直接のクライアントであるかのようにふるまったという★一〇。CNNのサイトなどで募集されたWTC再建計画への夥しい応募案の数々もまた──個々の応募者の真摯な意図を疑うものではけっしてないとはいえ──同様のショーに組み込まれた、心理的な防衛メカニズムの一種だったのかもしれない。
慰霊碑の建立が時間をかけた喪の行為ではなく、その代替に過ぎないものに化しているとすれば、性急なテンポでおこなわれるこの聖別とは、実は特定の儀礼的手続きに従った抹消という、フットの分類からすれば奇妙な現象にほかならないのではないだろうか。現在進行しつつあるのは、マス・メディアを通じたスペクタクル化によって、抹消から聖別にいたる連続的な変化の時間が断ち切られ、いわば短絡させられてしまったかのような事態なのである。そして、この聖別の儀式が抹消を意味するならば、慰霊碑建造や再開発によっても、暴力と悲劇をめぐる恥辱感を消し去ることはけっしてできないだろう。

1──アブラム・ボス画、 トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』扉絵(1651)

1──アブラム・ボス画、
トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』扉絵(1651)

2──狼男。17世紀フランスの バレエ衣裳のためのデッサン 出典=池上俊一『狼男伝説』

2──狼男。17世紀フランスの
バレエ衣裳のためのデッサン
出典=池上俊一『狼男伝説』

3──エドワード・ゲインの農場跡地 出典=ケネス・E・フット『記念碑の語るアメリカ』

3──エドワード・ゲインの農場跡地
出典=ケネス・E・フット『記念碑の語るアメリカ』

2 レヴィヤタンの裏の顔

アメリカ社会が慰霊碑の存在を受け入れるようになった背景には、合衆国に限らない西洋社会において一九八〇年代以降、「記憶」が文化的にも政治的にもきわめて重要な主題になったという歴史的経緯が存在している。とくに欧米においては、一九八〇年代初頭のテレビ・シリーズ「ホロコースト」が巻き起こしたナチの大量虐殺をめぐる論争に始まり、例えば一九八三年のナチの政権掌握五〇周年など、ユダヤ人ほかの大量虐殺に関係する一連の回顧の節目を迎えたことによって、記憶をめぐる言説が量産されるようになった。批評家アンドレアス・ヒュイッセンは、一九九〇年代のルワンダやボスニア、コソボにおける大量虐殺がホロコーストと関係づけられて語られるといった事態を「ホロコースト言説のグローバル化」と呼んでいる★一一。それはホロコーストが特定の時代と地域に関わる歴史的意味内容から切り離され、隠喩として機能しはじめる過程であり、同時にいわば「記憶のグローバル化」を意味するものにほかならない。
しかし、記憶と過去へのオブセッションが支配的なものとなる傾向はこうした事例にはとどまらない。ヒュイッセンは、一九七〇年代末以降、欧米の文化産業によって推し進められた「記憶のマーケティング」のほか、一九八九年以降の東欧および旧ソ連圏や現在の中東、アパルトヘイト以後の南アフリカ、あるいはルワンダやナイジェリアにおける、忌まわしい過去の記憶とその克服という問題の所在を指摘している★一二。同様の議論はオーストラリア先住民アボリジニの「盗まれた世代」やラテン・アメリカ諸国の独裁政権下で虐殺された人々をめぐっても展開されているし、日中・日韓関係に過去の戦争責任の問題が存在することは言うまでもない。このように、さまざまなグループ間で記憶をめぐる政治が繰り広げられる一方では、文化産業が過去を「資源」として商品化しているのが、「記憶の文化」の現状なのである。
記憶へのこうした強迫は明らかに部分的には、メディア環境の変化にともなう時間経験の変容に起因している。情報量の増大は何を忘れるべきかの基準を見失わせる。保存すべき記憶と活用できる過去の選択が急務となり、安定性を失った生活経験のなかの支えとして、公的・私的な記憶の蓄積が求められる──ただし、われわれはそんな記憶の保存行為それ自体がつかの間の不確実なものでしかないことを熟知しているのだが。
保証された過去の意味といったものは、記憶をマーケティングする文化産業やマスメディアによって絶えず不安定化されており、記憶の蓄積(一種の博物館化)自体が、日増しに加速化されるイメージやスペクタクル、イベントのサーキュレーションの渦に巻き込まれ、時間を超えた文化的安定性を保証する能力を失う危険に晒されている。WTC跡地計画や各種のメモリアル建造がアメリカ社会の新しい歴史意識を映し出しているかのように見えるとしても、それはこのようなマーケティングの産物という側面を否定できないのではないか。
記憶のマーケティングを批判する立場からすれば、ヒュイッセンも例に挙げているが、ランズマンの『ショアー』をホロコーストの真正な表象とする一方で、スピルバーグの『シンドラーのリスト』をその商業的矮小化と非難することになるだろう。しかし、依然として質の問題は残るにせよ、文化産業による産物を一方的に貶めることは、記憶の構造そのものが揺らいでいる社会的事実を見逃すことになってしまう。つまり例えば、いかにも真剣に、集団的な合意形成の儀式としておこなわれたはずのWTC跡地利用計画策定が、真正な慰霊行為であるどころか、建築家のショービジネスの場であったとしたらどうなのか、ということなのだ。大衆文化から都市計画までを巻き込んで進行しているイメージのサーキュレーションを、ジャンルや高級/大衆といった区別ではない、異なる概念によって識別して評価することができなければ、記憶をめぐる政治への介入は難しい。
ヒュイッセンの言う「ホロコースト言説のグローバル化」とともに、一九九〇年代の記憶の文化と文化理論を支配したのは、「トラウマ」をめぐる精神分析的な概念装置だった★一三。それが記憶と忘却をめぐる強力な一般理論であることは否定できないが、まさにそれが一般理論と化してしまったために、現象の事後的な説明原理にはなりえていても、具体的な歴史的コンテクストの分析に活用されているとは言いがたい。例えば、二一世紀にホロコースト慰霊碑がベルリンに建立されるという「遅延」が、忘却をへたトラウマという「抑圧されたもの」の回帰だなどと語ることは、その「抑圧」過程を仔細に検討しないかぎり、既知の原因(ホロコースト)と現在の事実を単に「トラウマ」という符帳によって短絡させているに過ぎない。このような短絡的な説明から生まれるのは、すべてが過去のトラウマ的な出来事の反復に過ぎないという、記憶の呪縛を過剰に見積もった歴史観でしかないだろう。
他方、都市を、「競合の空間」における諸対立を通し、つねに特定の定義に対する反発と挑戦を受けて変化し続ける不完全な空間ととらえる、平山洋介の「不完全都市」というモデルは、複数の集団間の社会的・政治的な力学を視野に収める自由度を備えてはいるものの、結局のところ、「多声」に対する寛容を説く多元主義に落ち着いてしまう。それが不当なわけではないし、競合プロセスの実態はこのモデルに基づいて十分記述できるだろう。しかし、それこそ「トラウマ」とは言わないまでも、記憶の葛藤を抱えた個人や集団の言説化されない不可視の心理的次元や、ときには暴力をともなった闘争のダイナミズムは、競合が──たとえ不完全であれ──一定の秩序のもとに調停される「不完全都市」のモデルによっては描きえない。このモデル自体が、多様ではあっても、それぞれ目的合理的な行動をおこなう個人/集団からなるオープンで多元的なシステムという発想に基づいており、不合理で破壊的な要因をそのシステム内部には想定していない。震災後の神戸、ジェントリフィケーションをへて世界都市に変貌し、九・一一事件とそれ以後の復興を迎えたニューヨーク、あるいは第二次大戦後の分裂から統合・再開発にいたるベルリンといった、異なる歴史的経緯をもった諸都市の成長過程を仔細にたどっていながら、平山の論述は結論としては一様に「不完全都市」のシステムに落とし込まれてゆく。そこに一種の単調さが生じていることは否めない。
八〇年代の古き良きポストモダンな多元主義でも、九〇年代のトラウマの一般理論でもない都市分析の理論的装置、とくに都市における記憶の文化を正確にとらえられるアプローチが必要だろう。その点でフットが合衆国の景観の分析からあぶり出してきた、抹消された悲劇の現場に潜む「恥辱」という強烈な情動、そして、それがアメリカ社会の統合原理の核心に関係しているという洞察はきわめて示唆的に思われる。
リトルビッグホーンやウンデッドニーといったアメリカ先住民虐殺地の慰霊碑では、戦場において先住民と白人がともにそれぞれの生活様式を守るために戦って死んだという「戦場における平等な名誉」が記念されているという★一四。あるいは、トパーズ山日系アメリカ人移転センターに一九七六年に建てられた記念碑では、戦時ヒステリーと人種差別による憲法上の権利の侵害が謝罪・賠償にいたったという事実のほかに、収容者たちが生命や精神を挫かれ、損なわれても、「勇気や希望、忍耐を奮い起こしてアメリカの生活の中に自らを再び位置づけ、成功を遂げたということ」に歴史的重要性が与えられている★一五。つまり、前者においては英雄的な死が、後者においてもまた英雄的な、アメリカ社会への(再)同化の過程が称えられているわけだ。
惨めな、非英雄的な死も生も、そこでは評価されないのである。フットも指摘しているように、「平等な名誉」などという発想は、アフリカ系アメリカ人の悲劇の跡地を再解釈するにあたっての役には立たない。奴隷制や人種差別を支えた殴打やリンチ、虐殺には──とくに白人側に──名誉などともなうわけがないからである。一方、ここでアフリカ系アメリカ人たちを一種の「英雄」に見立て、彼らに犠牲者としての名誉を認めようとするのもまた、その生と死をアメリカ社会が理解しやすい形式に整えるレトリックではないだろうか(フットもその誘惑に屈しているように見える)。殴打やリンチ、虐殺の犠牲者たちは、無意味と言うべき死を死ぬしかなかったのである。そうではないか。この事実がどんなに悲惨であろうとも、それは、価値判断抜きに、英雄的な死などではなかった。災害に巻き込まれた人々の多くもまた同様だろう。
死に直面した人物の言葉を聞こう。一九五八年にシカゴで起きた天使聖母マリア学校の原因不明の火災、九二名の生徒と三名の教師の命を奪った惨事で、大やけどを負いながらも生き延びた当時一三歳のミシェル・マクブライトが、二〇年後に著書の前書きとして書いた文章である。

激しい苦痛の中で私を支えたものが勇気や、超人的な精神力や、神によって与えられた何らかの精神的な強さであると言えたらよいのですが、私にはそう言うことはできません。私を生きながらえさせたものは、怒り、それも荒れ狂うような怒りだったのです。私は、火事が起こったとき、教室に学校関係者がいなかったことに対して怒っていました。消防士のハシゴが教室の窓に届かなかったから、生まれながらの自分の肌を失ったから、そして地獄の苦痛を宣告された人たちに用意されているかのような破壊的な痛みに私自身が耐えなくてはならないから、怒っていたのです。私は生きながらえてしまったことに怒り、そして死んだ人たちが私を残していったことに怒っていました。数百年分の火事をすべてたった一瞬の間に目撃した後で、自分が子供のように扱われたことに怒っていました★一六。


火事の経験を通じて、「私は災害というものが新聞や本で読むような、強く、陽気で、謙虚な英雄たちを育てることはないと学びました」とマクブライトは書いている★一七。「真の生存者たち」が体験するのは、「怒り、狼狽、嫉妬、自責、自己不信」といった強い感情である。そして、彼女の激しい怒りに対応するものが、この学校の悲劇をめぐって共同体内に長く残された恥辱の感覚だった。犠牲者であるマクブライト自身もそれを自責や自己不信といったかたちで共有している。
アガンベンはプリーモ・レヴィをはじめとする強制収容所経験者たちが感じたという「恥ずかしさ」は、彼らがそう思おうとしたように、生き残ったことに対する罪の意識ではない、と指摘している★一八。ある回想は、ブーヘンヴァルトからダッハウへの収容者たちの行軍中、たまたま偶然に選び出されてSSに銃殺されようとするイタリア人青年が、死に直面して赤面したことを報告している。彼は明らかに自分が生き残ったために恥じているわけではない。では、何を恥じていたのか。その頬の赤さは何を意味するのか。「長い年月を飛び越えてわたしたちのもとに到達し、かれのために証言する、言葉のない頓呼法」のようなその赤面は★一九。
アガンベンがレヴィナスやハイデガーを経由した挙げ句にそこで与えている答え(「あらゆる主体化において脱主体化をあらわにし、あらゆる脱主体化において主体について証言するところの、その残りのもの」★二〇)は、あまりに哲学的に形式化され過ぎていて、ここで直ちには受け入れがたい。アガンベン自身が触れているように、イタリア人大学生の頬の赤さは、言葉でも言い表わせた事柄などでは決してないに違いない。だから、哲学的な語彙でそれをパラフレーズするよりは、アガンベンによって引かれている別の「恥じる」身ぶりに注目したい。そのひとつはカフカの『審判』の最後で、死刑執行人の小刀がヨーゼフ・Kの心臓のなかで二度回るとき、彼のうちで生まれる「恥ずかしさ」である。その恥ずかしさは、彼自身よりも長く生き残るように思われた、とカフカは書く。
ヨーゼフ・Kは「犬のように」死んでゆく。彼が犬という獣に変身したとき、あるいはみずからのうちの動物的な何かがあらわにされたとき、そんな「犬」の部分だけが「恥ずかしさ」として生き残ってゆく。
これに関連するもうひとつの恥じる身ぶり──ただし、ここでは「嫌悪」と言われているが──、それは「手袋」と題されたベンヤミンのこんな断章である。

動物に嫌悪を覚えるときに心を占めている感覚は、接触すると、こちらのことを見抜かれるのではないか、という不安である。自分のなかには何か、嫌悪を催させる動物と決して無縁ではないもの、したがって動物に見抜かれるかもしれないものが生きているのではないか、という漠とした意識、それが人間の奥深くで恐れおののくのだ。(…中略…)生き物の呼びかけに対し、人間は嫌悪をもって答えるのだが、その生き物との獣的な血縁関係を否定することは、人間には許されていない。人間は自分を、その関係の支配者としなければならないのである★二一。


「恥ずかしさ」は、どうやら人間内部の動物的なものに関わっているらしい。それが動物そのものの性格でないことはもちろんだ。問題なのは人間でも動物でもなく、獣人的な不分明の境界線なのだから。
それゆえに、「犬のように」死んでゆく人間の赤面は、まったく対極的に見えながら実は、レヴィヤタンのイメージからそう遠いものではないのである。そうだとすれば、この「恥ずかしさ」もまた共同体からの締め出しに関係しているのではなかろうか。自分のうちに獣を感じるおののきとは、締め出されているという事態の自覚ではないだろうか。そして、レヴィヤタンとあの青年の赤面とは、自然状態の暴力を専有的に行使する者と、まったく無防備にその暴力に殺害される者との対称性として、相互に関係し合っているのではないか。
端的に言い切ってしまうならば、レヴィヤタンの裏の顔とは「恥ずかしさ」、つまり恥辱なのである。レヴィヤタンのなかのレヴィヤタン、アメリカ合衆国に深刻なかたちで現われている暴力をめぐるアンビヴァレンツは、この社会特有のものなどではない。フットが示唆するように、ほかの社会の文化に、暴力にともなう恥辱をきれいに拭い去ってくれる浄化の儀礼が確固として存在しているわけでもない。なぜならそこに国家があり、法秩序が支配しているかぎり、国家と法を成立させる暴力(ベンヤミンが『暴力批判論』で「法措定的暴力」と呼ぶもの)がそこには必ず存在していたはずだからである。そしてそれはすなわち、その国家や法が恥辱にまみれているということなのだ。暴力にともなう恥辱が儀礼によって浄化されるかのように見えるプロセスは、むしろ暴力の本質がすり替えられていることのしるしではないだろうか(ベンヤミンはそれを、「法維持的暴力」が敵対する対抗暴力の抑圧を通じて、自身のうちに代理されている法措定的暴力を間接的に衰弱させてしまう過程としてとらえた)。
アメリカ社会においてこそ、暴力をめぐるアンビヴァレントな感情が強いということは、法措定的暴力への感覚がそれだけそこに生き生きと保たれていることを意味するに違いない。そうだとすれば、第一次世界大戦直後の次のようなベンヤミンの言葉がもつアクチュアリティは見紛いようもないだろう。

法的制度のなかには暴力が潜在しているということについての意識が消滅すると、その法的制度は凋落する。今日においては、議会がその一例である。今日の議会は、自分を生み出してくれた革命的な力を意識し続けはしなかったために、周知のみじめな見世物となっている。(…中略…)今日の議会には、そこに表象されている法措定的な暴力に対する感覚が欠けている。議会が、この暴力にふさわしい決議をものするには至らず、妥協を重ねながら、偽りの〈政治的案件の非暴力的な取り扱い方〉に勤しんでいるのは、少しも不思議なことではないのだ★二二。


法措定的暴力という「神話的暴力」、ないし、暴力の神話は、国家権力が存続するかぎり、死滅することはないだろう。アメリカ合衆国というレヴィヤタンの暴威は、歴史的な偶然ではない。それはこの暴力の神話が見せる「弁証法的な変動」★二三──それはあらたな法をあらたな凋落のために据える──のひとつのサイクルなのである。
そのような国家権力は言うまでもなく「危険」である──国際的な法維持的暴力の連合にとっては。しかし、法措定的暴力と恥辱とが鋭く対照をなす社会であるからこそ、アメリカ合衆国にはこの恥辱、恥ずかしさから出発した、暴力批判の可能性もありうるのではないだろうか。「英雄」と「犠牲」のレトリックによっては処理しきれない、抹消された不可視の場所こそが、アメリカの未来を指し示す場になりうるのではないか。暴力があるかぎり、恥辱から逃れることはできないのだとすれば、抹消の場を軸点として記憶の文化を反転させた、アメリカのもうひとつの景観が発見されなければならないのである。
そして、合衆国の国家権力というレヴィヤタン、この獣人に触れることが、どんなに忌まわしい嫌悪感を呼び起こすとしても、「獣的な血縁関係を否定することは、人間には許されていない」。人間はその関係を支配しなければならない。ほかならぬ「法」によって、この獣人の暴力と無縁でいることができていると信じ込むことほど、法的制度の凋落を如実に示す事態はあるまい。メディア・サーカスにおけるホロコースト言説のグローバル化が進むのと比例するようにして、景観においては抹消──聖別のかたちを借りた抹消──がグローバルに拡大しつつあるように見える現在、都市の記憶の文化に必要なのは、レヴィヤタンの暴力をあの青年の頬の赤みによって照らし出す思考にほかならない。

4──トパーズ山日系アメリカ人移転センター記念碑 出典=ケネス・E・フット『記念碑の語るアメリカ』

4──トパーズ山日系アメリカ人移転センター記念碑
出典=ケネス・E・フット『記念碑の語るアメリカ』


★一──Carl Schmitt: Der Leviathan in der Staatslehre des Thomas Hobbes. Sinn und Fehlschlag eines po-litischen Symbols. 2. Auflage. Stuttgart: Klett-Cotta, 1995, S.75.邦訳=カール・シュミット「レヴィアタン──その意義と挫折」(『リヴァイアサン』長尾龍一訳、福村出版、一九七二、八一頁)。
★二──本論ではLeviathanを原則として「レヴィヤタン」と読む。例外として、ホッブズの著書のみ『リヴァイアサン』と表記する。
★三──Schmitt, op.cit., S.76. シュミット、前掲書、八二頁。なお、ホッブズとシュミットにおけるレヴィヤタン象徴について詳しくは、拙論「レヴィヤタン解剖──イメージ・表象・身体」(『現代思想』二〇〇三年一二月号、青土社)所収を参照。
★四──ジョルジョ・アガンベン『ホモ・サケル──主権権力と剥き出しの生』(高桑和巳訳、以文社、二〇〇三)一五〇頁。
★五──ケネス・E・フット『記念碑の語るアメリカ──暴力と追悼の風景』(和田光弘ほか訳、名古屋大学出版会、二〇〇二)参照。
★六──同、一六四頁。
★七──同、一六八─一六九頁。
★八──同、一六八頁。
★九──同、三〇八頁。
★一〇──平山洋介『不完全都市  神戸・ニューヨーク・ベルリン』(学芸出版社、二〇〇三)二三九頁参照。
★一一──Andreas Huyssen: Present Pasts. Urban Palimpsests and the Politics of Memory. Stanford Univ. Press: Stanford, California, 2003 , p.13.
★一二──次を参照。Ibid., p. 15.
★一三──次を参照。Ibid., pp.8-9.
★一四──フット、前掲書、三〇〇頁参照。
★一五──同、二八五頁参照。
★一六──引用は同、一〇一頁による。
★一七──同、一〇二頁。
★一八──ジョルジョ・アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの──アルシーヴと証人』(上村忠男+廣石正和訳、月曜社、二〇〇一)一三七頁参照。
★一九──同、一三九頁。
★二〇──同、一五〇頁。
★二一──ヴァルター・ベンヤミン「一方通行路」(『ベンヤミン・コレクションIII  記憶への旅』(浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫、一九九七、三〇頁)。
★二二──ヴァルター・ベンヤミン「暴力批判論」(『ドイツ悲劇の根源  下』浅井健二郎訳、ちくま学芸文庫、一九九九、二五一頁)。
★二三──同、二七七頁。

*この原稿は加筆訂正を施し、『死者たちの都市へ』として単行本化されています。

>田中純(タナカ・ジュン)

1960年生
東京大学大学院総合文化研究科教授。表象文化論、思想史。

>『10+1』 No.33

特集=建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア

>ポストモダン

狭義には、フランスの哲学者ジャン・フランソワ=リオタールによって提唱された時代区...

>ヴァルター・ベンヤミン

1892年 - 1940年
ドイツの文芸評論家。思想家。