RUN BY LIXIL Publishingheader patron logo deviderLIXIL Corporation LOGO

HOME>BACKNUMBER>『10+1』 No.32>ARTICLE

>
白昼の怪物──彼岸と接続されるテレビ<個室<都市<テレビ | 五十嵐太郎
Monster in the Daytime: Connecting with the other World; Television-Private Room- City-Television | Igarashi Taro
掲載『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン, 2003年09月20日発行) pp.219-229

奇跡──怪物の出現

おそるべき怪物と遭遇した。
キリンアートアワード二〇〇三の審査において、衝撃的な映像が出現した。今年、一四回目を迎えるアワードは、写真だけでなく、ビデオに記録することができれば、原則的に何でも応募可能である。それゆえ、絵画、彫刻、映像、音楽、演劇、建築、インスタレーションなど、あらゆるタイプの作品が参加し、ノンジャンル的な性格が強い。ある意味では、応募者が登録料を払い、「アート」だと思えばいいわけで、審査では、これも「アート」なのか?としばしば驚かされる。いわばアートの境界を揺るがす、「異種格闘技」のアワードなのだ★一。またヤノベケンジや束芋を発掘した経緯からもうかがえるように、有望な新人の登竜門として機能してきた。つまり、キリンアートアワードは、新しい才能と出会うべき場なのだが、実際に予想の枠組を超える作品が登場することはそう多くはない。だが、本当にそうした化物が誕生したのである。
この作品の審査になったとき、会場は異様な雰囲気に包まれた。最初はセンスのいいサンプリングだと思っていたが、一〇分を過ぎる頃から、ただならぬモノが現われたことに気づき、最後まで鑑賞した。いや、こちらが見ていたのではない。向こうから見られていた。建築系の審査は何度か務めたもののアート系のコンペは初めてなので、正確な比較はできないが、それはきわめて幸福で、かつ希有な経験だったと思う。通常、審査員と審査される作品のあいだには、ヒエラルキーがある。一方的なのだ。ところが、そのモンスターの場合は、完全に違っていた。こちらの想像の範囲を突き抜けたモノであり、しかも審査する状況がすべて先に読まれているような感覚。まるで、映像がこちらを見返しているような気持ち悪さ。それは審査する側と審査される側の関係が壊れる戦慄すべき瞬間である。怪物的な作品は明らかに審査員とアワードの度量を試していた。
風が吹いたのかもしれない。今年は一一〇〇を超える作品の応募があった。審査では、会議室で缶詰めになり、膨大な数のビデオを見なければいけない。その怪物は、ほとんど審査が終わりかかったとき、不意に出現した。ビデオの山の横で、数日にわたり、長時間テレビのモニターを凝視しており、その作業から解放される寸前だった。一時的なビデオ中毒の状態。怪物的な映像も、膨大なビデオのストックを切り刻んでおり、それが制作された現場もうずたかくビデオが積まれた個室だった。審査の会場と作品の現場が同じ状況になり、ビデオの向こう側と接続されたような錯覚。それが作品への没入感を高めたことは否めない。朝一番に見ていれば、かなり印象は変わっていただろう。もちろん、こうした偶然を抜きにしても、ずば抜けた作品であることは言うまでもない。
命名しがたい怪物の第一印象は、ゴダールの『映画史』や庵野秀明を観たときの衝撃を超えるかもしれない、という感触だった。まず断片的な映像をリミックスしながら、作品を化物に変えてしまうことが似ている。例えば、音と絵と文字がばらばらに動きつつ、ときには連動する『映画史』のポリフォニックな映像を鑑賞した後には、世界は一変し、画面のすべてが単一のメッセージを強調するテレビの薄ぺらでジャンクな映像に吐き気すら覚えるだろう。一方、その怪物はテレビ番組を素材にしながら、驚異的な作品を制作する奇跡を成し遂げた。しかも、ゴダールの問題提起を受けて、いかに日常的なテレビの映像がおぞましいのかを説明している。歴史的な事件と言えよう。それは平坦な現実のわずかなズレの操作によって、凡庸なモニュメントよりもはるかに構築的な世界を創造できることを証明している。怪物的な映像の後に、われわれは何を見ればよいのか。これは二〇〇三年の日本に、ある種の必然性をもって降臨した作品だろう。日本人なら誰でも知っているが、いつのまにか空気のような存在と化したテレビ番組。コンピュータやウェブの発展による技術的な背景、大量の時間をもてあました三一歳が存在しうる社会的な背景。
評論家としての筆者は、否応なく巻き込まれていく力を感じた。そこには作者の才能を超えて、時代がつき動かす力があり、たまたま見てしまったことで、共犯者になることを名指しされたのである。審査の際、作品に添付されるデータ・シートには、ほとんど情報がない。作品の発表歴は空欄。わかったのは、引きこもりのときに制作した映像作品であることぐらいだ。まったくの新人。ゆえに、あらかじめ作者を既成の枠組にはめ込むことができない。情報不足は、かえって妄想をふくらませる。不安に恐れ、空白を埋めようとあれこれ思考をめぐらせてしまう。ひょっとして、この作者が実在していないのではないか、と。ふとありもしない疑念を抱かせる作品なのだ。実際、作品の性質そのものが、都市伝説的な不気味さをもっている。そう、『リング』の呪いのビデオのように。
キリンアートアワード二〇〇三の審査は、後藤繁雄、椹木野衣、ヤノベケンジらとともに担当したが、この怪物は展覧会で発生しうるさまざまな困難さにもかかわらず、満場一致で最優秀賞を獲得した。誰もが認めざるをえないスケールの作品である。

黒田藩──批評的編集によるタモリ

タモリは、福岡県の黒田藩の家老筋の良家に生まれたという。
その作品のタイトルは、『ワラッテイイトモ、』である。要約すれば、フジテレビのお昼の看板番組「笑っていいとも!」をサンプリングし、リミックスしたものだ。そしてタレントのタモリに焦点を当てながら、作者自身も登場する「日記」的な映像の体裁をとる。本稿では、全体の構成と内容を詳しく紹介しつつ論じていく。実物を見てもらうのがベストなのだが、この作品は民放のバラエティ番組を扱うために、権利関係から、公開するうえで支障が発生することが予想されるからだ。つまり、驚異的な作品でありながら、いや恐るべき作品だからこそ、公の場所で人目に触れる機会はきわめて少なくなるだろう。
作品の冒頭は、こんなモノローグから始まる。「テレビ番組にまつわる噂をきいた。ある昼の人気番組だ。普段は饒舌な司会者が、ごく稀に、放送中、一言も話さない日があるそうだ。一時間ものあいだ、彼はどうやって間をもたせるのか。番組は無事に終了するのか。奇跡的にも、そんな回の録画に成功した。早速、検証してみたい」。そして十朱幸代をゲストに迎えた回の映像をリミックスしながら、意味のある言葉を消去し、拍手と歓声と効果音が別の音楽を形成していく。しゃべる人=タモリは、声を奪われることで異化され、純粋な視覚の運動に変容する。やがて出演者の顔は、他の出演者の顔と重ねあわせられ、見慣れた日常の映像が加速度を増して歪む。それはこの番組を身体化している日本人ではなく、言語を理解しないエイリアンの視点から見た「笑っていいとも!」にほかならない。『ワラッテイイトモ、』は、「笑っていいとも!」に同化しながら、限りなくクールな視点から、この番組を再構成している。
だが、そもそもタモリこそは、かつて「ハナモゲラ語」によって、意味を断絶した芸を披露し、ナンセンスな空間を構築した男ではなかったか。あるいは、デタラメな言葉による、四カ国語麻雀。しゃべっているけれども、意味を超越したところで笑わせていたタモリ。またオールナイトニッポンのラジオ番組では、「NHKつぎはぎニュース」を試みていた。そもそもタモリは発売禁止になったレコードも制作している。とすれば、『ワラッテイイトモ、』は、凡庸な日常の言語によって抑圧されたタモリの前衛的なキャラクターを復元させる批評的な編集行為ではないか★二。
およそ五分程で、映像はJR西八王寺駅の風景に切り替わる[図1]。作者は、のっけから嘘をついてしまったという。そしてワンカットにより、作者は都市空間から自分の部屋のテレビ画面にたどりつく。途中、作品の骨格が示される。自分で何をやりたいのかわからない。しかし、もうすでに記録は始まっている。こうした独白をしながら、一週間昼の番組の映像を録画し、それをもとに別の映像をつくるという方針が明らかになる。ゆえに、各曜日ごとに五本の映像が制作される。各々のタイトルは、「月曜・奇跡/火曜・黒田藩/水曜・邂逅/木曜・邂逅2/金曜・ライブ」である。
「月曜・奇跡」は、言葉なき「笑っていいとも!」である。
「火曜・黒田藩」では、番組が声を回復する代わりに、きわめて粒子の粗い画像を流しながら、身体の動きに対する加工の度合いを高めていく。例えば、回転運動を続けるタモリや、「見てましたよ」という言葉を自動反復する本庄まなみ[図2]。出演者が痙攣を始める。ぽっかりと大きな黒い口を開けた箱=テレビから、不気味なものが頭をもたげる白昼の悪夢。そしてやや唐突に、玉音放送ととともに、焦土と化した日本の焼野原と原爆のキノコ雲が映し出される。反復する平和な日常から、その起源となる終戦直後の風景へと、なぜ回帰していくのか。それはタモリが一九四五年八月二二日、すなわち敗戦の一週間後に生まれたからである。『ワラッテイイトモ、』は、タモリの半生を語りだす。戦後の混乱期のなかでは、比較的裕福な生活をしていたこと。学力は優秀であり、早稲田大学に入学するも、すぐに退学したこと。そしておそらく記録映像がないために、人形アニメによって表現されるタモリと赤塚不二夫のエピソード[図3]。
「笑っていいとも!」の放映は、一九八二年に開始した★三。日本がもっとも平和だったポストモダンの時代。アドリブに弱いタモリゆえに、一時的なつなぎの番組として始まったものの、それから二〇年以上も継続している。今やタモリが、お昼の国民的な顔になったことは誰もが認めるだろう。しかし、マニアックな裏側を感じられないさんまでもなく、海外でもアート的な評価を得ているたけしでもなく、なぜタモリなのか。それは彼が日本のリセットされた年に誕生し、アメリカ的なものを吸収しつつ、大衆的な存在になったからだろう。タモリは、モダンジャズ研究会に所属し、トランペッターをめざしていたことがある。そして当時全盛だった四畳半フォーク批判や、アメリカのコメディに影響された芸風。彼は、日本とアメリカのアマルガムとしての戦後の文化的な風景を体現している。実際、『ワラッテイイトモ、』では、サングラスをかけたマッカーサーをモーフィングにより、タモリの顔につなげる象徴的な映像が登場する★四。
サングラスの奥には不吉な影が宿る。一九五四年、小学生のタモリは針金で眼球を刺し、右目の視力を完全に失う。『ワラッテイイトモ、』は、現在では語られないエピソードを掘り起こし、お昼の国民的なスターが、顔に意外な傷を抱えていることを再確認する。両目を被うサングラスは、かつて片目のアパッチだったタモリの過去を隠蔽するだろう。続いて、死の直前の鈴木その子、あるいは『五体不満足』の乙武洋匡のショット。それらに呼応するかのように、目を背ける女性の観客の映像が挿入される[図4]。黒いサングラス越しに見る世界。それは『マトリックス』にも共通するアイテムだ。ネオやトリニティは現実世界においてサングラスをかけないが、マトリックスの世界ではサングラスを着用する。タモリも、家ではおそらくサングラスをかけていないだろう。
続いて、九・一一の同時多発テロ直後の「笑っていいとも!」の放送が使われる。タモリは、今回は本当に大変な事件でしたと語り、「御冥福をお祈りします」と言いつつも、矢継ぎ早に「それでは」と語り、次のコーナーにつなぐ。究極のテロリズムと日常的なお笑い番組。テレビが本来的にもつ暴力的な並列性が露になる瞬間である。ゴダールが『映画史』において、意図的に編集してみせた異なるイメージの衝突は、当たり前のように実現されているのだ。最悪のテロリズムが発生しても、継続される長寿番組「笑っていいとも!」は、世界を震撼させた事件の後でさえ、何ごともなかったかのように、軽薄な笑いという終わりなき日常の反復に回帰する。また「笑っていいとも!」の本番直前に、タモリを刺そうとして乱入した若い男もいたらしい。果たして、この「日常」は本当に「現実」なのだろうか。

1

1

2

2

3

3

4

4

5

5

邂逅──ようこそ、ポスト・ヒューマンの世界へ

その怪物を創造した作家の名は、K.K.である。
真っ暗の画面。小さな映像が躍る。右に左に、上に下に。そして振動する。はみ出る映像。現われては消えていく映像。およそ三分間。
「水曜・邂逅」では、K.K.とタモリが出会う。ビデオだらけの部屋。つけっぱなしのテレビ。K.K.は寝ている。正午になり、いつものように始まる「笑っていいとも!」の時間。突如、「オイ」と呼びかけるタモリ。目覚めるK.K.。顔を見たいと思った瞬間、彼の顔にはモザイクがかかる。そして手を振るタモリ。個室の天井からマイクが降りてきて、K.K.とタモリの会話が始まる。「何やってるの?」「映画とか撮っています」。「夢んなかで?」「!!」「お前誰?」「私の名前はK.K.です」。かくして「現実」と「映像」が邂逅を始める[図5・6]。だが、それはごく自然な流れにも見えよう。タモリは、俺とセックスをしないか、と声をかける。こちらの人間とあちらの人間の融合を示唆する言葉ではないか。
テレビの世界と一体化する白昼の個室。タモリの断片的な言葉をつなぎあわせながら、二人の会話は続く★五。「私は映像です」。「私は今、電波に乗っています。我々は有名人だからね」。「私は、あんたに、編集されてる」。K.K.はマイクをもって野外を歩く。「私はこちら側にいます。私があなたを操作する。あなたが私にそうさせる」。「こっち、そっち。私はどこにもいません。私は映像です。私は誰でもありません」。「お前の映画、見る人いないだろう」。「お前の映像で、オレ達の世界を、ハッキングするのかよ?」「いいえ、違います。はい、その通りです」。「映画は呪術ではない」。「お前、映像撮っているみたいなのに、実際はね、過去の映像に違う索引作っているだけ」。「それです、それそれ」。編集されたタモリとともに野外で躍るK.K.。そのシーンは『マトリックス・リローデッド』において、データの世界から現実世界に来ることが可能になったエージェント・スミスを想起させる。彼もまたサングラスの男だった。『ワラッテイイトモ、』の映像は電波系の世界に突入する。青空とアンテナ、東京タワー、都市にあふれる電線、屋根の上の電線、電線、電線……。
しまいには、「バーカ」と罵りあうK.K.とタモリ。「内面を持たない者だけが、こっちに来れるんですね」。そして画面から出演者と観客が消去され、誰もいなくなった「笑っていいとも!」の舞台装置のみが残る[図7]。見慣れているはずなのに、見たことがない恐ろしいあの世の風景が不意に出現する。魂を喪失したゾンビが棲む、彼岸の世界。なるほど、バラエティ番組は、アニメと違い、現実の人間が出演する。だが、彼らの動きは形式化されている。「笑っていいとも!」では、右手を高く挙げるポーズなど、数パターンのアクションが毎日繰り返される。それどころか、彼らが語る言葉さえも様式化されている。例えば、『ワラッテイイトモ、』において、タモリが異なる三人のゲストに対し、「太りましたね」という同じ言葉を繰り返すことが提示されていた。それはパブロフの犬のように、自動化された無意味な運動である。しかも集団化されているのだ。
つまるところ、二〇年分の長寿番組は、四六分五秒の作品と等価なのではないか。永遠の一回である。バラエティ番組は、ドラマと違い、作家性がない。その代わりに、順列組み合わせ的な反応のパターンを、データベースとして所有する。だとすれば、これは現実の人間でありながら、もはや「人間」とは言えないだろう。テレビの中のもうひとつの世界。『ワラッテイイトモ、』によって、われわれは毎日無意識に見ているテレビが、ひどく異様なものであることに気づかされる。それはいかにも怖がらせるホラー映画よりも恐ろしい。なぜなら、白昼にあの世をテレビで見ていることを知るからだ。
『ワラッテイイトモ、』は、複数の読みとりを可能にした作品である。
以下に、現在予想される幾つかの論点を列挙しよう。

1.ゴダールの『映画史』以降の映像として位置づけられること。
2.映像と音の過激なサンプリングとリミックス。
3.入念なリサーチにもとづく、秀逸なタモリ論であること。
4.たれ流されるテレビの映像を作品の素材にしたこと。
5.二〇〇三年の日本という強い同時代性をもっていること。
6.都市伝説的な展開をしうること。
7.ビデオ・アート的な文脈を踏まえていること。
8.現実と映像、あるいは虚構の世界の関係性。
9.引きこもりアートとして解釈しうること。
10.表現と著作権のせめぎあいという現代的な問題。

1から5は、本論でもすでに触れたが、再度ゴダールの『映画史』と比較しよう。『ワラッテイイトモ、』が、この傑作を下敷きにしているのは明らかだ。例えば、タイプライターに向かうゴダールと、パソコンを操作するK.K.。タイトルが繰り返し現われるオープニング。作者のモノローグを流しながら、膨大な映像のアーカイヴから構築された世界。だが、両者の違いも少なくない。タイポグラフィはゴダールのほうが圧倒的に巧い。しかも、『映画史』では、いわば文字が独立しており、映像と同時進行する複数の世界のために使われているのに対し、『ワラッテイイトモ、』では、テレビの典型的な使い方により、字幕は編集された音声をそのままなぞる。
『映画史』は、「闇夜の歴史」であり、「言葉なしの歴史」だという。暗い部屋=箱の中のイメージとしての映画。一方、テレビはまぶしい光を放つ箱である。とすれば、『ワラッテイイトモ、』は、「白昼の歴史」かつ「言葉ありの歴史」ではないか。サイレントから始まった映画は視覚的だが、テレビはそうではないと、かつて蓮實重彦が指摘したように。また『映画史』は画面全体の切り換えと重ね合わせが頻出するスライドショーのような作品であるのに対し、『ワラッテイイトモ、』はもっと微分的な映像の編集作業を行なう。なるほど、映画は現実をいったんコマ割りした写真の連続によって動画をつくる視覚の技術だが、テレビの映像はシームレスに近い無数の光の点滅である。
コラージュという視点から比較しても、『映画史』が、西洋絵画や殺人やポルノのシーンなど、刺激的なイメージを暴力的に衝突させる一方で、『ワラッテイイトモ、』は何ら過激な映像がなく、徹底的に凡庸なイメージの集積によってつくられている。現在の編集技術は、個人の制作者だとしても、画面の一部分を操作し、切り換えることを容易にしており、『ワラッテイイトモ、』はそうした背景を反映している★六。
6だが、『ワラッテイイトモ、』は、作品の内容と存在そのものにおいて、都市伝説的である。例えば、タモリが一言もしゃべらない放送があるらしいという噂から始まるオープニング。そして公開が困難であることから、この作品自体が噂になりやすいこと。すぐれた映像であるにもかかわらず、その存在を容易に確認できないことは都市伝説的と言えよう。『ワラッテイイトモ、』では、どこにでもあるレンタルビデオ屋で何かを借り、映像が終わった後の余白に、カセットのツメを塞いで自分の映像を入れると、不特定多数の誰かが見るだろうと提案している。実際、どこかのビデオ屋のあるタイトルをレンタルすると、この作品が見られるという噂が起きたとしても不思議ではない。前述したように、審査のとき、作家K.K.のプロフィールは白紙に近いものだった。無名の新人は、何者なのか? 『ワラッテイイトモ、』は、本人の生活や思想を伝える映像でもあるのだが、結局のところ、モザイクのかかった顔の素性はよくわからない。怪物的な映像は、『リング』の呪いのビデオのように出現し、作者は存在しないのではないかとすら想像させる。

6

6

7

7

邂逅2──個室から都市へ、そして映像に

K.K.はアルタに出かけた。
「木曜・邂逅2」では、ブラウン管の映像によって構成される。「ミスタービジョアル」系の編集された映像を流す、床に放置されたテレビ。その画面は、幽霊のように行き交う出演者の背後に存在する、大きな顔写真の異様な佇まいを強調する。著名なタレントが見まごうほどに女装するというコーナーの意図を超えて、日常的な番組にひそむ恐ろしい形相が発見されるのだ。映像から見えないものを見えるようにすること。これは音楽から聞こえないはずのものを聞こうとするタモリの「空耳アワー」のようではないか。
続いて、『ワラッテイイトモ、』は、テラスと屋外と室内に設置されたテレビの映像を高速度で切り換え、タモリとゲストの会話シーンを再現する。それぞれのモニターでは、タモリの顔や手、ゲストの顔など、身体の各パーツのみを切り取りつつ。やがて屋外は真っ暗になり、テレビだけが妖しく発光を続ける。『ワラッテイイトモ、』は、7のビデオ・インスタレーション的な性格が強くなり、テレビが屋外に飛び出すことが強調される。この作品は、プロジェクターによってスクリーンに投影された画像として見るべきではない。やはり、ブラウン管なのだ★七。しかも、近くでテレビを見るような距離感が必要なのである。これは映画的な鑑賞を拒否しているのだ。
アワード応募時の「制作意図」には、こう書かれている。「これは日記です。この映像は私が八王子で、一人引きこもっていた頃の記録です。毎日繰り返される平坦なテレビ映像を自分と現実をつなぐ唯一の媒介物として、それを無意味に再生産してみる。あの頃はバカみたいに一日中テレビばかり見ていた。当然、テレビの中の人物が考えるように考え、行動し、同じ物を信仰するようになる。映像の文体もテレビ番組と同じだ」。
だが、K.K.は決意をもって、つぶやく。今日はアルタに行こう、と。あきれるほど眺めたテレビの現場へ。ハンディカメラをもって電車にのり、西八王子から新宿に移動する車窓の風景を記録する。ただし、音声はフジテレビの番組を使い、あたかも時計代わりに一一時三〇分過ぎのニュース番組の高木広子アナウンサーの声が流れる。もうすぐ一二時。そしてアルタ前へ。画面の右下に時刻が表示され、カウントダウンを始める。いつものオープニング・ミュージックが鳴り響く。平和な公園に放置されたテレビの画面が、K.K.と『笑っていいとも!』の邂逅を映しだす。閉ざされた個室から都市の空間へ。しかし、それは本当の外部なのだろうか。スタジオ・アルタという建物は、一九八〇年、すなわち『笑っていいとも!』の放映開始二年前に竣工した。戸田建設の手がけたものである。平凡なデザインだが、スクリーンをもつことによって、都市のランドマーク、いやアイコンと化した建築。地方から上京する日本人にとって、ここは巡礼すべき聖地である。番組を観覧し、変わらぬ情報の発信源を参拝するために。
以前、筆者は『建築MAP東京』において、スタジオ・アルタの解説を書いたことがある★八。「これはただの商業ビルではない。外壁の巨大なスクリーンは駅前広場を向き、待ち合わせに使われる一階プラザは無数のブラウン管で埋められている。そして連日、正午から日本中に笑いの電波を発信する。メディア化した建築なのだ」と。同じような情報の建築である《Q-FRONT》(一九九九)は、ファサードの透明度を増し、もっと大きいスクリーンを持っているが、この場所でビデオを貸し出したり、販売していたとしても、映像を生産しているわけではない。だが、アルタへの訪問は、自らが映像の一部となることを意味する。言うまでもなく、「笑っていいとも!」が収録されているからだ。
七月末、筆者はK.K.と出会う。
最優秀賞の受賞を伝えるために、そして打ち合わせのために。K.K.は実在していた。今後の出方について意見を交わし合い、逆インタヴューがあったりなどの意表をつく展開はあったものの、正直言って安心した。もし作家が現われなかったら、という恐れが消えたからだ。また作者自身がゴダールの『映画史』を意識していることなど、文脈を踏まえていることも明らかになった。不明だったプロフィールも輪郭が浮かびあがる。東京造形大にて桂英史のもとで学び、メディア・アートを制作していたという。例えば、『ポケット・ネクロフィリア』という初期の作品がある★九。これはホルマリン漬けのカエルの腹に空気を送り込んで膨らませる仕掛けだが、観客が息を吹く箱と、カエルの入った箱は分離されている。また実物のカエルは外から見えず、もうひとつの箱に映像が転送される。つまり、空気を送るという実体験は、スイッチに過ぎず、カエルが膨らむという結果も映像としてしか認識できない。「現実」を切断し、「仮想」化するブラックボックス。
8の現実と映像の関係性というテーマは、『ワラッテイイトモ、』のみならず、『ポケット・ネクロフィリア』にも指摘しうるだろう。いずれも映像化されることによって、現実が確認される。本作品の最初の目撃者の一人である椹木野衣は、おそらく最初に活字化された『ワラッテイイトモ、』論において、こう指摘する★一〇。「すべての現実を支配するのは、『映画』なき『テレビ現実』以外のなにものでもない。しかも、その『テレビ現実』は、『笑っていいとも!』以外のなにものでもない。平板といえばこれ以上平板になりようのない吐き気のするような悪夢。しかしそれは、陽の光を欠いた夜の苦悩や闇に満ちた悪夢ですらない。正午の光の中で、義務のようにうすっぺらな笑いを得て絶好調に達する悪夢。そこに唐突に『笑っていいとも!』のジングルが流れる」。かつてジャンケレヴィッチは、ショパンを「夜の音楽」として論じ、サティを朝もやの音楽と評したが、奥行きのない正午の人間に捧げられたのが、『ワラッテイイトモ、』なのだ★一一。あのテーマ・ソングが鳴り響く。

8

8

ライブ──現実を侵食する映像

K.K.は『笑っていいとも!』の一部になった。
「金曜・ライブ」では、公園に置かれたブラウン管において、新宿の路上と番組の映像が交差する[図8]。入れ子状になった「現実」。「笑っていいとも!」が開始すると、屋外のカメラが新宿アルタ前の風景を瞬間的にパンする。一二時を待ち、その様子を撮影するK.K.。それは彼が番組のオープニングに立ち会うことなのだ。映像と向きあう白昼の個室から、もうひとつのテレビの箱であるスタジオ・アルタへ。都市という外部に出ながら、K.K.は自らが映像の一部になることを欲望する。一二時一分を過ぎると、画面を幾度も巻き戻しながら、オープニング・タイトルの背景の人だかりのなかに、カメラをもって右手を高く掲げた自分の姿にマーキングを行なう。拡大されたコマ送りの画像は、すさまじいノイズを起こす[図9]。そして「見てましたよ」「見てましたよ」「見てましたよ」……という本庄まなみの声がかぶさる。K.K.は番組のなかに痕跡を残し、受信したテレビ映像を編集しながら、自己の存在を確認する。彼は、「笑っていいとも!」の囚われ人となったのか。現実世界の作者は、タモリとの対話を経て、ついに電波にのった光の粒子に変換される。かくして、この世とあの世はメビウスの輪のように、地続きとなった。激しく上下にパンする映像。天空とテレビと大地。天と地に挟まれたテレビが世界なのだ。
9の引きこもり系アートという文脈は、きわめて今日的である。現在、引きこもりの青年は数十万から百万人以上に及ぶと言われる。ビデオに囲まれたK.K.の部屋は、外界と遮断され、テレビだけが唯一の世界への窓だった。本人自ら軽い引きこもりだったと認めている。なるほど、そうでなければ、膨大な編集作業をひとりで行なうことは困難かもしれない。『ワラッテイイトモ、』の制作にかけられた時間を想像するだけで、気が遠くなる。この作品に対して、マスメディアは、引きこもりアーティストの誕生という社会面的な関心を寄せるだろう。実際、そうした通俗的な解釈も許容している。『ワラッテイイトモ、』は、単純に笑える作品としても鑑賞可能であるように、雑多な要素を抱えているのだ。とりわけ、最後のシーンは、引きこもりからの決別を連想させる。
数回目の巻き戻し。画面の全体にテープが走行するノイズが入り、映像ではなく、誤作動により、本当にビデオが巻き戻っているのではないかと、ふと錯覚に陥る。今度は、K.K.が住処から公園にテレビを運ぶ状況までも記録されていたことがうかがえる。上下に、あるいは左右に揺れるカメラのフレーム。それに合わせて、壊れたレコード、あるいはスクラッチのように、同じ場面を反復する、「笑っていいとも!」。その音声は、サンプリングによるミニマル・ミュージックのようだ。これに限らず、『ワラッテイイトモ、』は全編にわたって、「笑っていいとも!」を前衛的な音楽に変容させている。やがてハンマーをもったK.K.が現われる。誰もいない公園。手袋をはめた後、躊躇することなく、ハンマーを振りおろし、破壊されるテレビ。そしてK.K.は立ち去る。自己言及的な映像の終わり?
エンディングは議論が分かれるところだろう。『ワラッテイイトモ、』は、おそろしく正確な編集と緻密な構成によって推進してきた。そして個々のテクニックを分解すると、けっして革新的な新しさはないかもしれないが、それが超高密度にかつ多種多様に集積することで、比類なきモンスターに化けている。ほとんど完璧といっていい作品が意外に平凡な終わらせ方を選択しているのだ。例えば、反復される正午前のカウントダウンを徐々に遅延しながら、永遠の正午直前として終わらせることはありえなかったのか? 例えば、応募したビデオ・テープが物理的に切れるまで、繰り返すことはできなかったのか?
だが、ここで終わるわけではない。再び、高速度で画面を巻き戻し、今度は冒頭のシーンに回帰する。パソコンを操作するK.K.。そしてあのセリフ。「テレビ番組にまつわる噂をきいた」。ここでぶちんと映像は切れる。「終」の文字が表示され、カラーバーに切り替わる。「笑っていいとも!」と同様、永遠に反復する『ワラッテイイトモ、』の世界。ビデオの余白に自分の映像を入れるような作者だけに、まだ何かあるのではないかと疑い、念のためにビデオの最後まで見たが、それ以上の仕掛けは認められなかった。トータルで、四六分五秒。これはコマーシャルを除いた『笑っていいとも!』の放映時間ではないか。ともあれ、巨匠になったゴダールが集大成として『映画史』を制作したのに対し、ここからいきなり始まる新人K.K.は今後いかなる映像をつくるのだろうか。個人的には、まだまだ未開拓の映像分野である監視カメラを使うことがありうるのではないかと思う。
10の表現と著作権の問題は、これから起こる事件だろう。『ワラッテイイトモ、』が終了する直前、番組、コマーシャル、映画、過去の雑誌、音楽など、出典の一覧が流される。この作品の登場人物を紹介するかのように。そこにはパロディによるレコードの『タモリ2』も含まれる。容易に想像がつくのだが、「笑っていいとも!」の二次創作ともいえる『ワラッテイイトモ、』は、民放のバラエティ番組を使用しているために、個人の制作はともかく、一般公開することはきわめて難しい。肖像権も含めば、一〇〇人以上の許可が必要となるだろう。もちろん、物理的に不可能ではないが、その作業には膨大な手間と時間がかかり、しかも多額の使用料を請求され、現実的ではないと判断されるはずだ。本作品の存在は、拡大する著作権の問題と鋭く対立する。それゆえ、最優秀賞でありながら、公開できないという近年のアートアワードではなかった異例の事態が起きるだろう★一二。逆に言えば、最近の現代美術は、それだけ現行法の枠をあらかじめきちんと守っていたのだが。
しかし、イデオロギー的な問題でもない。特定の政党や宗教団体を批判しているわけでもない。われわれがもっとも日常的に見ているお昼の風景が、著作権の問題によって、美術の表現として活用できないのだ。ちなみに、作者は、そうした状況もよく理解したうえで制作している。ゆえに、審査する側が試されていると感じたひとつの原因は、それでもなお、『ワラッテイイトモ、』に賞を与えるのか、そしてどのように扱うのかという問題を突きつけていたからだ。しかしながら、著作権の問題を避けたまま、二一世紀の現代美術は展開できないだろう。そうした意味で、この作品が世に問われ、いかなる議論を巻き起こすかは、今後の重要な試金石となるはずだ。
『ワラッテイイトモ、』は強度の伝染力をもった事件である。
「さあゲームの始まりです」。

9

9


★一──立川直樹+椹木野衣+後藤繁雄+五十嵐「異種格闘技としてのアートアワードの時代」(「キリン・アートニューズレター」vol.6、二〇〇〇二)。
★二──K.K.は、タモリへの共感をこう述べている(以下、註において紹介するK.K.の発言はすべて筆者とのメールのやりとりから抜粋した)。「僕個人とタモリは、類似点も多く、シンパシーを持ってしまうのです」、あるいは「制作中は、僕がタモリを選んだというよりは、僕が何か(不吉なもの)に選ばれてしまった感じが強かった」と言う。
★三──なぜ「笑っていいとも!」を素材に選んだのかという問いに対し、K.K.は「村上隆、ヤノベケンジ世代が、現代美術の文脈のなかで、アニメカルチャーを食い尽くして、僕らには『いいとも』くらいの残飯しか残ってないのでは?」と答えている。
★四──昭和の歌謡史を再構築した『タモリ3』では、マサツカ将軍(マッカーサー)に扮したタモリの日本上陸から始まるという。
★五──K.K.は、「タモリは僕自身でもあるのです」と告白しているように、タモリはK.K.の分身である。
★六──制作期間は三年二カ月。ただし、夏場は中断していたという。使用機材は、「ビデオカメラはソニーのHI8 CCD-TR705、
……MiniDV、パナソニックのNV-DS200。……パワーマック7500、CPUはメルコの350MHzのもの、キャプチャーボードはmiro MOTION DC 20。ソフトはAdobe Premiere 4.2.2J、Adobe After Effects 4.1、Adobe After Effects5.0 J、ドキュメントトーカ、SoundEffects 0.9.2、……AdobePhotoshop- 5.0 J、Morpher1.4J f」などである。
★七──K.K.は制作中に見直した重要な映画として『ビデオ・ドローム』を挙げている。
★八──『建築MAP東京』(TOTO出版、一九九四)。
★九──作者のポートフォリオによる。
★一〇──椹木野衣「このうすら寒い夏の正午に」(『群像』二〇〇三年九月号、講談社)。
★一一──ヴラディミール・ジャンケレヴィッチ『夜の音楽』(千葉文夫ほか訳、シンフォニア、一九八六)。
★一二──キリンアートアワード二〇〇三の受賞記念展において、『ワラッテイイトモ、』の映像は公開されないことが決定された。

本稿は、菅野裕子との議論を反映させている。

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年生
東北大学大学院工学研究科教授。建築史。

>『10+1』 No.32

特集=80年代建築/可能性としてのポストモダン

>椹木野衣(サワラギ・ノイ)

1962年 -
美術評論。多摩美術大学美術学部准教授。

>ポストモダン

狭義には、フランスの哲学者ジャン・フランソワ=リオタールによって提唱された時代区...

>建築MAP東京

1994年8月1日

>桂英史(カツラ・エイシ)

1959年 -
メディア研究。東京藝術大学大学院映像研究科教授。

>菅野裕子(スゲノ・ユウコ)

横浜国立大学 大学院工学研究院 システムの創生部門・人もの空間のシステム 建築学コース 助教。