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五〇平米の事務所(前編) | 松原弘典+戴長靖
The 50-Square Meter Office (Part I) | Matsubara Hironori, Cangjin Dai
掲載『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ, 2003年07月01日発行) pp.22-26

中国に来てほぼ二年になる。本誌での連載も継続できることになったし、家具から徐々にスケールを上げた仕事を紹介していきたいと思っている。最近は北京大学での仕事のほかに、自分の名前で少しずつ設計の仕事をできるようになってきたので、家具の制作と並行して内装の仕事に取り組み始めた。建築まるごとを作るようになるにはさらに二年ほどかかりそうだけれども、まずは内装から仕事をしていきたい。そんなわけで今回から「中国で内装をつくる」になった。

1    平房

一番最初の内装は自分の仕事場である。設計事務所の内装。これについては中国にきてからずっと考えていた。どこでどのくらいの規模の空間をつくるのがいいか、どういうテーマで設計するか。結局決めたのは五〇平米ほどの小さな平房(ピンファン=中国語で「平屋」の意味)を借りて改装するということだった。
平房というのは中国の都市が生んだ独特の建築形式だと思う。言葉自体は平屋建築一般を指すが、大都市では多くが道路沿いに密集して現われる。こちらでは都市スケールで道路位置が紅線(中国における都市計画上の道路境界線)という線で規定されている。北京の場合それが道路中心線から三〇メートル、五〇メートル、七〇メートル、一〇〇メートルなどとなっていて、紅線より道路側は基本的には建物は建てられない。しかしこの線は多くの場合かなりの将来を見越して幅広にとられており、かつ道路自体はすぐには拡張整備されないので、実際は現況道路と紅線の間に一〇メートル、二〇メートル幅の空地ができることはざらである。この空地に、道路に面した紅線内の土地管理者(会社だったり工場だったり学校だったりするのだが)が平房を作ってそれを貸し出すことで商売をしているケースが非常に多い。平房はだいたいレンガを積んだ壁に窓のところだけコンクリートか木のまぐさ(壁に開口部を取るための水平補強材)を入れて開口をとり、屋根は中空PC板かトタンという簡単なもので、そこにレストラン、美容院、小商店、クリーニング屋などが入って町の雰囲気がつくられる。ポイントは、こうした平房はほとんどが法規上は仮設建築ということである。区画整理が始まればあるとき突然、数カ月後に移転しなくてはならない。家主には多少の補償が出るが、借り主は出て行くだけである。
僕が借りることにしたのは北京の第三環状線の西側の西局という地区にある、五〇平米弱の平房である。このあたりは建材市場が多いし、周りは金属加工工場などがたくさんある地区だ。北京は一般に外国人の多い北東側、大学や研究機関が多い北西側以外の、西、南側はどちらかというと庶民の地区で、まだまだ開発から取り残された住宅密集地区も残っている。このあたりは地方出身者が多くて、聞こえてくる中国語はほとんど普通語ではなく方言ばかりである。借りる平屋は環状線から一本入った中庭に面してあって、トイレは共同だが電気も電話も上水も引けるという。そして何より安い。年間三万元(四五万円)でいいというのでここを借りることに決めた。
ちなみにこっちでいま若い人がやっている設計事務所というと、だいたい建設省とか市の設計院がある地区の周りで、写字楼と呼ばれる中国風オフィス空間に、既製品のオフィスパーティションとアイボリーホワイトのデスクを並べておしまいというのが多いのだが、僕はもう少し違う場所で、自分で設計したものに囲まれて仕事をしたかった。ここは東京で言ったら大田区の町工場地区か江東区の倉庫街のようなところで、工場のそばで建築を考えたいという希望からこの場所を選んだ。

1──平房、借りる前の状態、柱スパン2つ分で幅は6.6m、奥行き6.7m分(44.2平米)を借りた。窓は西向きで庭に面している。外壁方向はコンクリートの柱梁、界壁方向はスチールアングルを組んだ梁が掛け渡されて上にボイドコンクリートスラブが載せられている。天井高はスラブ下端で3.1m。

1──平房、借りる前の状態、柱スパン2つ分で幅は6.6m、奥行き6.7m分(44.2平米)を借りた。窓は西向きで庭に面している。外壁方向はコンクリートの柱梁、界壁方向はスチールアングルを組んだ梁が掛け渡されて上にボイドコンクリートスラブが載せられている。天井高はスラブ下端で3.1m。

2──界壁方向に掛けられた梁。石膏ボードで隠蔽されていたのをはがして白く塗ることにした。 梁下端高度FL+2820。

2──界壁方向に掛けられた梁。石膏ボードで隠蔽されていたのをはがして白く塗ることにした。
梁下端高度FL+2820。


3──内装平面図

3──内装平面図

2    設計テーマ

設計テーマは二つ。
1 可搬性
2 周辺の施工技術と材料の使用
1は、やはりここが平房でいつ突然立ち退きを言われるかわからないので(契約した大家は、この物件は紅線から七〇メートル後退ラインの外なので少なくとも三年は大丈夫だ、と言っていたが)何かあってもある程度の家具はすぐ持って引っ越せるようにしたかったからである。具体的には壁面の大部分を占める書棚をL型のパーツに分けて文具のクリップで固定する形のもの(本誌二九号で紹介した「箱」家具を展開したもの)にした。一二ミリの家具の板を固定しやすいように、一二ミリの板を三枚重ねた枠を作ってこれを平面上に折り曲げながら配置した。ほぼ七メートル角の正方形平面が、表裏のない本棚でゆるやかに仕切られるようになっている。
2は、そばに工場や建材市場がある状態を生かしながら設計できないかと考えたことによる。改めてそばの市場を廻って見て思ったのは、モノを見ながら考えることで、いろいろな面白い考えが出てくるということだ。ここでは日本のように写真つきのカタログから番号を指定すると翌日にモノが届くとはいかないし、ほしいものを選ぶのにいろいろ手間がかかるけれども、逆に目の前にありとあらゆるモノがあることで考えが生まれるという環境も大事なんじゃないだろうか。今回使った照明器具は、化学工場などで使う防爆灯(ランプがガラスチューブでカバーされた蛍光灯)で、これはありとあらゆる照明器具がそろっている灯具市場をぶらぶらしていて見つけた国営企業の製品だし、水洗で使っている中華鍋は厨房器具専門店でみつけたステンレス製の鍋だ。近所の工場ではステンレス鏡面の門扉のほか、窓枠や鏡枠などの薄板の曲げ物も作ってもらえたし、今後の展開ではここでパイプを曲げて椅子も作れそうだと思っている。

3    見積もり依頼

借りる物件が決まってから最初の設計完了までに一カ月くらいかかった。実際の平房の契約は手付金を払ってから半月後からの契約でよかったので、要するに正式にスペースを借りてから二週間後に設計がフィックスして一度目の見積もりをとったことになる。
グレードをわけて三社に見積もり(預算)を依頼した。(1)外国企業の北京駐在事務所などもやっている大規模の内装設計工事屋、(2)家庭内装を主にしている中規模の内装工事屋、(3)家庭内装を主にしている個人の内装工事屋。(1)は僕の友人の会社で三〇人くらいの設計スタッフの他に施工部門も持っている。(2)は街で見かけたところに飛び込みで入った、店頭の広告には住宅の内装で豪華型の場合、四〇平米の1DKを二万元(三〇万円)、七〇平米の3DKを三・六万元(五四万円)で工事すると書いてあった。(3)は今僕が住んでいる家の大家さんの家を改装した人たちで、大家さんの部屋の施工も意外としっかりしているし、人が良いというので紹介してもらった。図面を説明して早いところで三日、(3)が一番時間がかかって一週間後に見積もりが出てきた。
蓋を開けてみると、(1)六・二万元、(2)六万元、(3)六・一万元の見積もりだった。一部外壁込み、内装床なしで平米一三〇〇元(二万円)前後である。単価はそんなに変わらなかったので、結局は一番しっかり図面を見ていると思われるということで(3)の人たちに頼むことにした。竣工後の保証のことを考えれば規模が大きい会社のほうがいいというのもあるのだろうが、結局(3)の彼らが一番図面をきちんと読んで細かいところまで拾って見積もりを書いてきたし、責任者が僕と同い年で気さくな青年だったということもあり、ここと組むことに決めた。ただもう少し設計を見直して、見積もりを四・五八万元(六八・七万円)まで下げて契約した。契約時に五割、木工終了時に三・五割、竣工後に残りという比率で契約金は支払うことになった。施工は一カ月で終わるという。

4    材料調達、買い物と値切り

施工は春節明けに始まった。責任者は李さんという安微省の出身の人。弟やら嫁さんの夫やら同郷人でグループを作っていてあちこちで施工の仕事をしているそうだ。北京ではこういう独立して施工をしている人たちのことを「遊撃隊」と呼んでいて、安く注文内装を請け負ってもらうケースがかなり多い。行政側は品質管理、特に竣工後の保証の件も含めてこういう個人契約の施工を減らしていこうという傾向にあるが、実際こういう仕組みが北京の庶民の住宅事情の大部分を支え、かつ北京にいる農村出身者に食い扶持を提供しているのは事実である。李さんは自分も施工の経験はかなりあるが実際は手配師で、彼の家の周りに住んでいる同郷出身者が毎日入れ替わり現場にやってきて施工していく。職人の日当は七〇元(一〇五〇円)、多いときは六人くらい職人がいた。
施工開始日には李さんは工具を持ってマイクロバスで現われた。そして最初の建材を購入に行くから同行してほしいという。近くにホームセンターがあってそこで買いたいというのでいっしょについていった。ホームセンターはアメリカ式の販売方法なんだろうが、大きな体育館のような空間に商品が山積みになってホールセールされている。同じ系列の建材が整理されて売られているし定価も明記されているので便利だけれども、これじゃあ施工側は値段をたたけないし、いいのかなあと思っていたら、主にここでは木の板材と塗料だけを買っていた。木材はこういうところのほうが品質がそろっていていいし、塗料は環境対応品はここのほうが種類が多いからといっていた。作業上でも環境対応品(特に施工時の匂いなど)のほうがいいという考えを持っていたようだった。
それから後も何度か買い物に同行して既成品の金物を選んだり、あるいは工事外のもの(照明器具など)を僕が買って取り付けをお願いしたりということがあった。例えばある日は施工範囲内のものとして、図面ケースの足(ひとつ一〇元程度)、書類ケース下の車輪(ひとつ三元)、ドアの錠(一五〇元程度)、水道関係の配管などを李さんが購入した。ドアの錠もいっしょに買いにいったが、買ったその場で箱を開封してキーはそのままスペアごとこちらに渡される。施工後の万一の盗難を考慮して鍵管理の責任はすぐにこちらに委ねられるわけである。施工中は南京錠で夜中は現場を封鎖していた。
値切りについては、この買い物で中国人の本当の値切りのすごさがよくわかった。僕も中国にきて二年になるし多少は値切りがうまくなったと思っていたけれど、しかし彼の値切り方を見て自分のやり方がいかに甘くて自己満足的だったかということを思い知らされた。相手のいってきた値段にまず半額前後で返して、それを受けて出てきた値段に「まだ高い」とたたみかけ、「他のところはいくらだった」と(もちろんその場で考えた値段をいう)いい、「もういい」と踵を返し、小銭がないといって切捨てを要求し、最後に五元刻みでさらに値切るという……。まあたいしたもんでした。重要なのはそれがゲームだということ。喧嘩でも競争でもなく、他より安く買えたからよかったという満足を、売り手の許容範囲内で最大限引き出すというやりとりなのである。だから値切りの話をしているときはなんとなく明るいし、無事買い物を済ませて二人で店をでるたびに彼がにやにやしながら「ほらみろ、安くなっただろ」というのを見るのは痛快でもあった。

4──建材市場で李さんが金物を買っているところ。 建材市場には小さな卸問屋が体育館のような大きなスペースに たくさん集まっている。値段も品質もまちまち。

4──建材市場で李さんが金物を買っているところ。
建材市場には小さな卸問屋が体育館のような大きなスペースに
たくさん集まっている。値段も品質もまちまち。

5──ホームセンター。建材市場と違って 種類ごとにさまざまな建材が整理され 価格が表示されて売られている。 アメリカ式のホールセール。

5──ホームセンター。建材市場と違って
種類ごとにさまざまな建材が整理され
価格が表示されて売られている。
アメリカ式のホールセール。

5    網の町

今回の施工で唯一身の回りで入手できなかったのはエキスパンド・メタルである。外壁のスクリーンとして使おうと思っていたこの材料自体は中国にもあるし、去年いた瀋陽では鋼材市場にも売っていた。しかし北京では見かけるのはまれで、職人も見たことがないという。李さんは現場のそばの網屋(スチールフェンスや工作機械用の各種メッシュを扱っている)でいろいろ聞きつけてきて、北京でエキスパンドを扱っている卸しはわからないが、河北省にエキスパンド工場があるからそこから直接買いたいという。僕はどういうものか心配だったので実際に工場まで見に行きたいという話をして、いっしょに連れて行ってもらうことにした。まあ簡単な工場検査のようなものだろうか。
河北省安平県。ここは驚くべき網の町だ。町じゅうが金属網の工場と卸売屋でできている! 北京からバスで四時間の河北省の小さな町。施工開始から一週間後に、僕と李さんと網屋の主人でここにやってきたが、来てみて本当に驚いた。バスが街道を走って安平に近づくにつれ鍍槽(亜鉛メッキのどぶ漬け槽のこと)とか、打穴加工、金網とかという文字が徐々に出てきて関連の工場があることがわかる。どういう経緯でかは知らないが、ここは中国華北部の一大金属板加工街らしい。町のメインの通りはどこも金網と金属板の卸業者だらけで驚かされる。いわく席型網(縦糸と横糸を織り込んだ網)、六角網(金属糸を六角形に編んだ網)、鉛網(鉛製の非常に細かい網)、黒糸網(黒色金属でできた細かい網)、尼龍網(ナイロンの網)、輸送帯菱形網(ベルトコンベア用の編みこまれた網)などなど。多くはビール工場での濾過器とか工作機械用に作られているらしい。席型にはステンレスを非常に細かく編んだものがあったり、尼龍は日本でも工事現場で使う溶接火花をうけつけない現場シートだったり、菱形網はドミニク・ペローがフランスの国立図書館で内装でさかんに使ったようなよろいのような重厚なものがそれこそいろんな種類で売られている。そしてどれも安い。一番手間のかかった菱形網ですら平米一〇〇元(一五〇〇円)程度だ。日本で某商社が輸入している欧州製の金属金網の価格の五〇分の一くらいでしょう。
お目当てのエキスパンド・メタルシートの工場に連れて行ってもらう。町の外れにあって、三角形の突起にせん断力を加えて薄鉄板に菱形の穴をあけていく機械が一〇台近くあった。菱形の大きさは機械の種類で決まってくるのだがさまざまな規格があった。亜鉛メッキ処理は別のところでやっていて、メッキ済みのシートがここに運ばれてきてどんどんエキスパンドされていく。できあがったシートは丸められて出荷される。僕が必要なのは波打っているシートに圧力をかけて平らにしたもので、かつ切り口にもメッキ処理が必要なので最後にもう一度どぶ漬けしなくてはいけない。その処理はまた李さんが出直してやるとのこと。シートの規格サイズは二メートル×三メートル。板厚も一ミリ以下から三・五ミリまであって、一番厚いものを選んだ。
こちらで以前グレーチングを使おうと思って調べたときも思ったのだが、今でこそ日本の建築ではエキスパンドにしてもグレーチングにしても普通に建築の一材料として使えるようになったけれども、そもそもこれらは工業製品で、中国ではまだ工業建築(工場や倉庫など)にしか使われないのが普通である。大量ロットで作られて普段あまり目に付かないところで使われているものだから、僕のように小さな面積でこういう工業製品を使いたいということになると、それに対応する小回りの効く卸しや加工業者というのはまだ見つけにくいというのが実際の状況のようだ。つまりモノ自体はあるにもかかわらず、工業建築用の建材を民用建築用に転用する販売ルートがないのである。だから工場まで行って直接モノを見て、加工まで依頼するしかないということになる。
(以下次号後編に続く)

6──河北省安平県の町並み。 「网」(=ワン)というのが網という意味の字である。町じゅうが網の卸し問屋で埋まっていた。

6──河北省安平県の町並み。
「网」(=ワン)というのが網という意味の字である。町じゅうが網の卸し問屋で埋まっていた。

7──出荷前のエキスパンド・メタル。亜鉛メッキに切れ込みを入れて菱形に伸ばしたものを丸めて出荷する。 ただしこのままだと切り口にメッキはかかっていないし、 平面が出ていないのでこれにまた加工を加えなくてはならない。

7──出荷前のエキスパンド・メタル。亜鉛メッキに切れ込みを入れて菱形に伸ばしたものを丸めて出荷する。
ただしこのままだと切り口にメッキはかかっていないし、
平面が出ていないのでこれにまた加工を加えなくてはならない。

今までの連載原稿は
http://members.aol.com/Hmhd2001/

>松原弘典(マツバラ・ヒロノリ)

1970年生
北京松原弘典建築設計公司主宰、慶應義塾大学SFC准教授。建築家。

>『10+1』 No.31

特集=コンパクトシティ・スタディ

>ドミニク・ペロー

1953年 -
建築家。ドミニク・ペロー・アーキテクト代表。