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西洋建築史:現代へのまなざし | 横手義洋
The Western Architectural History: Modern Perspective | Yoshihiro Yokote
掲載『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること, 2005年04月発行) pp.122-123

本稿は近年日本で出された西洋建築史関連書のレヴューとして依頼されたものであるが、限られた誌面のなかでのべつ幕無しに情報を提供したのでは無味乾燥な話になってしまうので、本誌の性格を加味したうえで、「西洋建築史関連書が現代的な関心にどの程度迫れるのか」という無謀な問いを出発点に、取り扱う範囲を限定してゆくことにする。むろん、西洋建築史研究がどの時代を対象としようが、過去のある時代に専心しようが、現代に生きる者の視点を提供するのだから自ずと現代性を保持している、という意見があるのは百も承知である。だが、こうした意見が高尚なアカデミズムにしか響かないのもどうやら事実のようだ。建築史を専門としない者や建築の初学者にとって、現代を考えるための西洋建築史とは素朴に現代建築への言及を前提とするのであり、その結果、彼らの歴史的関心がせいぜい現代に通じる建築言語をもつモダニズムにしか遡らないのはごく自然なことに思われる。さらに、建築家にとって刺激的なのは、歴史の客観的事実よりは現代に対する批評的態度である。事実、ニコラウス・ペヴスナー、ジークフリート・ギーディオン、ブルーノ・ゼーヴィ、レイナー・バンハムらの著作はそのようにして名を揚げた。近年出されたケネス・フランプトン現代建築史』(第三版一九九二。[中村敏男訳、青土社、二〇〇三])はこうした系譜に位置づけられるものであり、その内容は現代的な刺激に満ちている。本書は、産業革命以降の西洋建築の展開を捉えるが、記述の大半は二〇世紀建築を対象とし、最終的に同時代に対する鋭い洞察を持つ。本書第二版が一九八七年に『a+u』誌に翻訳連載され、近代建築史における話題の書であったことはいまさら言うまでもないのだが、今回の出版に際し、タイトルが「現代建築史」とされた。これはどうやら出版社の意向であるようだが、「現代」という言葉がもたらす響きが西洋近代建築史に確固たる現代性、批評性を与えているのはたしかである。フランプトンが批判理論に通じていたことを思い返すまでもない。現代に通じる批評的スタンスをまといやすいのが近代建築史、とくに二〇世紀建築史であることは誰の目にも明らかである。同じことは、フランプトンよりもう一世代前の著名な建築史家であるマンフレッド・タフーリの評判が、アメリカや日本においては二〇世紀建築研究に限定されている事実にも当てはまる(タフーリは現代だけでなくルネサンスの研究書も数多く出している)。

1──ケネス・フランプトン『現代建築史』

1──ケネス・フランプトン『現代建築史』

モダニズムを扱わずに、直接的かつ素朴な意味で西洋建築史を現代建築に関係づける手段となると、道は二つしかない。ひとつは、過去のある時代を主題としながらも歴史の流れに沿って現代までを論じる方法。もうひとつは、歴史の流れを無視する方法(こうなると、厳密には建築ではないのだが)。前者の例では、まずは通史や全史が対象となるのであろうが、このところ本格的なものは出されていない。学術的に定評のある『図説世界建築史』シリーズ(本の友社、一九九六─二〇〇三)も原書はすでに二〇年以上も前に書かれたものである。一方、入門書の類はいくつか出ているが、本稿ではとくにジョナサン・グランシー『建築の歴史』(二〇〇〇。[日本語版監修=三宅理一、BL出版、二〇〇一)を挙げておきたい。本書は西洋世界以外も扱っているが、基本的な筋は西洋建築史の流れに則っている。興味深いのは、現代へ進むにつれ割かれる誌面が大幅に増加している点で、これは新しい時代ほど情報が増え、現代につながる関心事が増えるということを素直に反映していると思えば至極当たり前なのだが、伝統的な様式史に通じているとなかなかこうした割り切りには応じられないものである。さらに、各時代の解説のなかにときおり小さく挿入される図版は、解説される時代とはまったく異なる時代の建築であり、時を超えて刺激を受けた作品や、構成として類似する作品が敢えて参照させられている。これによって、単線的に流れる歴史書にダイナミックな刺激が与えられている。通史ではなく、個別の時代に特化した専門書としては、クリス・ブルックス『ゴシック・リヴァイヴァル』(一九九九。[鈴木博之+豊口真衣子訳、岩波書店、二〇〇三])とマイケル・ルーイス『ゴシック・リバイバル』(二〇〇二。[粟野修司訳、英宝社、二〇〇四])を挙げておきたい。近年立て続けに出された二冊の研究書はいずれも、一九世紀ヨーロッパに流行したゴシック・リヴァイヴァルを扱う。そして、両者ともに現代までを論じている。ゴシック・リヴァイヴァルは普通であれば一九世紀末で締めくくってもよいはずなのだが、その潮流を拡大解釈した意図はやはり現代へのまなざしを重視したからであろう。『岩波世界の美術』シリーズの一冊であるブルックスの書は、中世が過去のものとなった時代から現代にいたるまでのゴシック再創造の軌跡を追っている。ルネサンス時代におけるゴシック観にはじまり、いわゆるゴシック・リヴァイヴァルの諸相を解説し、最後には二〇世紀におけるゴシック、テーマパーク、文化遺産、現代文化にまで話題が及ぶのである。とりわけ現代の考察は、ゴシック・リヴァイヴァルが現代の問題とも深く関係するのだ、という著者の主張を如実に裏づけている。取り扱われる対象は建築が主であるが、文学作品、映画などのメディアにも幅広く言及しているところに新鮮さを感じる(とくに五章、一一章、結び)。後発のルーイスの書は、ブルックスよりも扱う時代を狭め、話題もかなり建築に特化している。現代の考察はそれほど深みを見せないが、古典主義に対して周縁的な存在であったゴシックの革命性、その意味でのモダニズムとの共通性、さらにもっと直接的に、モダニズムを代表するバウハウスの起源がゴシック・リヴァイヴァルにあるという指摘は、現代とのつながりを捉えた著者の意気込みを感じさせてくれる。

2──クリス・ブルックス『ゴシック・リヴァイヴァル』

2──クリス・ブルックス『ゴシック・リヴァイヴァル』

それでは、歴史の流れを無視する方法はどうだろうか。「無視する」などと言うと、きわめて批判的な調子に聞こえてしまいかねないが、まったくそのつもりはない。この方法はあくまで歴史の流れを無視するのであって、歴史そのものを無視するのではないからだ。先に紹介したグランシーはけっして逆流することのない歴史の流れにショックを与えるべく異なる時代の作品を持ち出していたが、これを徹底すれば、最終的には多様な建築の見方の提示へと達する。すなわち、過去も現代もひっくるめて現代人にとって西洋建築とは何なのか、どこが面白いのかを解説することになる。ヴィトールド・リブチンスキー『建築の見かた』(二〇〇一。[鈴木博之監訳、白揚社、二〇〇四])、『磯崎新の建築談議シリーズ』(六耀社、二〇〇一─二〇〇四)などはそうした類の良書である。前者が流行やモードといった日常的な感覚で(とはいえ、さりげない言葉づかいの端々に幅広い教養が隠されているので侮れないが……)古今の建築を論じてゆくのに対し、後者は西洋建築の名作を手がかりに、これまた現代建築までを含めた恐ろしく幅の広い話題がダイナミックに展開している。これらが話題とする対象は古代から現代までのあらゆる名作である。もう少し時代を限定した例では、五十嵐太郎+大川信行著『ビルディングタイプの解剖学』(王国社、二〇〇二)が挙げられよう。タイトルが示しているとおり、本書に歴史の流れ、様式による把握はない。この様式史批判は、明らかに巨匠─名作で綴られる建築史批判にもなっており、社会の制度やシステムに焦点が当てられる。だが、ここでもけっして歴史そのものが無視されているわけではない。歴史的な事例を扱いながら、切れ味鋭い近代批判の書だと言えよう。冒頭のフランプトンにひっかけるなら、これぞ歴史の流れに束縛されない断片化された批判的歴史(あるいは反歴史?)なのかもしれない。ただし、この種の面白さは過去のどの時代でも共有しうるのだろうかと考えてみると、やはり現代につながる近代特有の面白みによるところが大きいと言わざるをえない。

3──ヴィトールド・リブチンスキー『建築の見かた』

3──ヴィトールド・リブチンスキー『建築の見かた』

>横手義洋(ヨコテ・ヨシヒロ)

1970年生
東京大学大学院工学系研究科助教。西洋建築史、近代建築史。

>『10+1』 No.38

特集=建築と書物──読むこと、書くこと、つくること

>ジークフリート・ギーディオン

1888年 - 1968年
美術史。チューリッヒ大学教授。

>レイナー・バンハム

1922年 - 1988年
建築史。ロンドン大学教授。

>ケネス・フランプトン

1930年 -
建築史。コロンビア大学終身教授。

>現代建築史

2003年1月1日

>ルネサンス

14世紀 - 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようと...

>三宅理一(ミヤケ・リイチ)

1948年 -
建築史、地域計画。慶應義塾大学大学院政策メディア研究科教授。

>鈴木博之(スズキ・ヒロユキ)

1945年 -
建築史。東京大学大学院名誉教授、青山学院大学教授。

>バウハウス

1919年、ドイツのワイマール市に開校された、芸術学校。初代校長は建築家のW・グ...

>建築の見かた

2004年4月1日

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年 -
建築家。磯崎新アトリエ主宰。

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年 -
建築史。東北大学大学院工学研究科教授。