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双子の死──パルチザン戦争の空間 | 田中純
The Death of Twins: Space of Partisan War | Tanaka Jun
掲載『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) pp.2-11

1 非正規性のグローバル化

二〇〇一年九月一一日、アメリカ合衆国を襲った同時多発テロは、六〇〇〇人にのぼると言われる犠牲者を出し、ニューヨークとワシントンの両都市に大きな傷跡を残した。合衆国国民のみにはとどまらない犠牲者や事件に巻き込まれた人々一人ひとりの恐怖と苦痛は想像を絶している。合衆国の経済と政治(国防)の「象徴」(世界貿易センターとペンタゴン)を直撃して破壊したテロは、さらに、のちのちまで尾を引く精神的な外傷を、直接そこに居合わせたのではない市民たちにも与えることになったにちがいない。
テロの首謀者が何者であるかについては、アフガニスタンを実質的に支配するタリバンのもとに潜伏しているとされるウサマ・ビンラディン氏の関与が取りざたされてはいるものの、九月一七日現在、いまだ完全に明らかになっているとは言えない。だが、アメリカ合衆国大統領はこのテロを早々に「戦争」と呼び、ビンラディン氏を主要な容疑者と断定したうえで、すみやかな「報復」を国民に約束している。予想しない合衆国本土への急襲を「かつての日本軍による真珠湾攻撃以来」と称する論調も(アメリカ合衆国ばかりか、驚くべきことに日本国内においてさえ)見受けられる。
民間の旅客機を乗っ取り、少なくともニューヨークにおいては民間の施設に対しておこなわれた今回のテロは、正規的な軍隊による戦闘ではない点で、明確に真珠湾攻撃とは性質を異にしている。このテロを「戦争」と呼ぶのであれば、そこではすでに「戦争」という概念が、第二次世界大戦における国家間の戦闘とは異なるものに変質していることに自覚的であるべきだろう。
なるほど、このような大惨事はその方法や規模から言って、予想をはるかに超えたものである。メディアを通して得た情報などでは、われわれには何も語りえない、という無力感もある。しかし、そうしたためらいを抑えて、あえて述べるならば、あくまで事後的にではあるにせよ、「こうしたテロの可能性はあらかじめ見込まれていてしかるべきだった」という思いにとらわれてしまうのはなぜなのか。廃墟と化したマンハッタンの映像に既視感を覚えてしまうのはどんな理由によるのか。
戦争によって、テロによって破壊された都市の光景をわれわれは直接の記憶として、あるいは膨大な映像を通して、すでに目にしている。とくに大量殺戮兵器が投入された第二次世界大戦以降の、空爆や原子爆弾によって徹底的に壊滅させられた都市の姿は、広島・長崎やベルリンから近年のベイルートやサラエヴォにいたるまで、数多く記録されている。ニューヨークがサラエヴォのような場にならないという保証はどこにもないはずだった。そのことをわれわれは忘れていたのではないだろうか。さらにここ数カ月、イスラエルではパレスチナ人の自爆テロとそれに対するイスラエル政府の報復が激しさを増していた。世界貿易センターは一九九三年に爆弾テロに見舞われた経験をもってもいた。こうした事情を総合すれば、たしかに、なぜ同時に四機もの旅客機がハイジャックされえたのかというセキュリティの弱さに愕然とさせられるとはいえ、少なくとも大規模な自爆テロがまったくありえない想定でなかったことだけは明らかだろう。
もちろん、これが傍観者の後知恵にすぎないことは承知している。ここで考えたいのは、このような既視感に関係した、この「戦争」の性格についてである。それが正規の国家的軍隊間の戦闘でないことは明確と言ってよい。テロをおこなった人々が、国内法で裁かれるべき犯罪者でないとすれば、カール・シュミットの定義にしたがって、彼らは「非正規的な闘争者」である「パルチザン」であると、とりあえず、呼んでおこう。一九六二年の講演にもとづき、翌年出版された『パルチザンの理論』でシュミットは、「パルチザン」をヨーロッパ公法において慎重に枠づけられていた「戦争」概念の埒外にある存在と見なしている──

その際、パルチザンはあらゆる枠づけの外にあるということが、その本質および存在理由にさえなる。現代のパルチザンは敵から法も赦免も期待しない。彼は、抑制され枠づけられた戦争という在来的な敵対関係から転じ、別種の、つまり現実的な敵対関係の領域へとおもむいたのである。その現実的な敵対関係は、テロと逆テロによる相互の絶滅にまで、たがいにエスカレートするのである★一。


「在来的な敵」がヨーロッパ公法下でおこなわれた限定された戦争(いわば君主同士のゲームとしての、傭兵と傭兵との戦闘)における敵対関係であるのに対し、たとえばナポレオンの率いるフランス軍がスペインに侵攻したとき、それに対抗した農民ゲリラたち(パルチザンの萌芽)にとって、フランス軍は自分の郷土を脅かす「現実的な敵」だった。やがて国際法や戦争観が変わってゆくことにより、「現実的な敵」の概念も変質し、徹底的に罰せられるべき犯罪者としての敵、「絶対的な敵」の概念が支配的なものとなってゆくのである。
パルチザンを規定する指標としてシュミットは、非正規性、活動的闘争の高度化された遊撃性、政治的関与の激烈さ、そして、土地的性格をあげている。つまり、パルチザンは正規軍のような戦闘員の権利と特権をもたず、神出鬼没な遊撃をおこない、その政治的党派性によって海賊などからは区別される。最後の「土地的性格」は、シュミットがパルチザンを、敵の空間的な侵害に対して闘うあくまで「防御的」な存在ととらえようとするために要請された、パルチザンの非正規的戦闘の「正統性」を保証する根拠である。だが、パルチザンが「世界革命的なあるいは技術主義的なイデオロギーの絶対的な攻撃性と自己を同一化する場合には」★二、この性格が変質せざるをえないこと、そのときこの種の「正統性」も失われてしまうことを、シュミット自身が認めている。
戦争空間は二〇世紀までに、陸戦、海戦、そして空中戦へと拡大と変容をとげてきた。パルチザンはそこにさらに新しい戦闘のかたちを導入する──

パルチザン闘争においては、錯綜的な構造をもつ新しい行動空間が発生する。なぜならば、パルチザンは、公然の戦場においても、また、公然の最前線戦争という同一平面においても、戦わないからである。パルチザンはむしろ、自己の敵を強制して、別の空間へと連れこむ。このようにして、パルチザンは正規の伝来の交戦区域に別種のいっそう暗黒な次元を、すなわち深層の次元を付け加える★三。


パルチザンは「武器を公然と携帯することを避け」、「隠れ場から闘争」し、「敵の制服のみならず固着あるいは分離しうる徴章およびあらゆる種類の市民の服装をもカモフラージュとして利用する」。「隠密性および暗黒がパルチザンの最強の武器である」★四。この暗黒な次元、「非正規性の空間」がパルチザンの行動する領域である。「多数の人々を支配するために、少数のテロリストで十分である。テロが公然と支配する狭い空間に、不安全、不安、一般的不信が支配する広い空間が接合する」★五。パルチザンはこの恐怖によって敵の社会構造を崩壊に追い込もうとする。
パルチザンの「非正規性」なるものは、論理的にあくまで「正規的なもの」の概念に依拠している。言い換えれば、非正規的パルチザンは、この概念の変化に応じて、正規的軍事行動に組み込まれてきたし、その結果として、パルチザンの「英雄」を生み出してきた。このような正規性/非正規性の概念の変容は、戦争行為そのものの変質の帰結にほかならない。
シュミットは、ヨーロッパ公法が表わしていたものは、「戦争の相手を有罪化することの断念、それゆえ敵対関係の相対化、絶対的な敵対関係の否定」★六であったとする。このようなヨーロッパ公法の秩序は、絶対的な正義に依拠して相手を殲滅する「正戦」ではなく、国家間の合法的な限定戦争を可能にしていた。しかし、二〇世紀に入って、ヨーロッパ公法が解体し、アメリカ合衆国が世界的大国になるにつれ、普遍主義的・世界主義的な国際法が現われるとともに、戦争は限定されたものではなくなり、「絶対的な敵」を相手とする、限界をもたない殲滅戦としての世界大戦に拡大してゆく。
「土地的性格」をその「正統性」の根拠としていたパルチザンは、「絶対的な敵」をもたなかった。シュミットはパルチザンが共産主義をはじめとする「世界革命的」イデオロギーに組み込まれ「絶対的な敵」を想定し始めるとき、この「正統性」は失われてしまうと言う★七。しかし、二〇世紀に進行した戦争の変容そのものが「絶対的な敵」に対する「正戦」の全面化であったとするならば、この変化そのものがパルチザンの「非正規的戦闘」にあらたな「正統性」を与えているのではないか。いや、むしろ、この「非正規的戦闘」こそが「正規的なもの」になるという転倒がどこかで生じていたのではないか。
シュミットが危惧を表明しているように、一九四九年のジュネーヴ条約は、「組織的抵抗運動」の構成員に正規の戦闘員の権利と特権を与えることで、正規の闘争者として扱われる範囲を拡張している(一九七七年にこの条約に対して追加された議定書では、同じ傾向がいっそう強められ、戦闘員の要件の一元化が達成された)。シュミットの目から見れば、こうした動向は、戦争における正規性と非正規性の区別を実質的に破棄し、ヨーロッパ公法的な敵対関係相対化の枠組みを解体するものにほかならなかった★八。
だが、見方を変えれば、これはパルチザン的な戦闘が正規化されたとも言える事態であろう。それは、あの「暗黒の次元」、「非正規性の空間」が、正規的な戦場として全面化するということである。可視的な「前線」は消滅する。国境を無視してあらゆる場所に遍在しうる、不可視の「深層の次元」から、パルチザンは「絶対的な敵」に対して一種の「正戦」を戦うのである。正規軍の戦闘活動の余白に非正規的パルチザンが位置するというよりも、パルチザンによる破壊活動が正規化し、在来の正規軍の戦闘形態も次第にパルチザン化せざるをえないのだ。これは「テロと逆テロの悪循環において、パルチザンに対抗する作戦は、しばしばパルチザン闘争自身を逆の形で反映するにすぎない」★九という理由によるばかりではなく、戦争空間そのものの変質に由来すると言うべきだろう。正規軍がパルチザン化するとは、戦闘の開始のみならず終結も判然としないものになり、結果として戦争が終わりのない泥沼化する危険を意味している。
米ソ対立の激しかった一九六〇年代初頭に著わされた『パルチザンの理論』では、いまだにこの二極対立の枠組み内における空間の明確な分割が前提になっている。したがってシュミットも、地域紛争内での正規軍とパルチザンとの混在は見通していても、グローバルな規模におけるパルチザン闘争の正規化と全面化(と言うよりもむしろ拡散化)までは予想していない。世界大戦以降、戦場が限定されずに惑星規模に拡大され、戦闘形態がパルチザン化したのだとすれば、地球上のあらゆる場所が戦場であり、誰もが「あらゆる種類の市民の服装をもカモフラージュとして利用する」パルチザンであって不思議はなかろう。都市のグローバル化はこのような危機を当然ながら含んでいる。
ただし、現在の世界秩序において、その普遍主義は、アメリカ合衆国という限定された大地と切り離しえない。アメリカ合衆国とは、具体的な場所をもつ空間秩序としてほかの空間秩序と同等でありながら、同時に普遍主義を代表する特権的な存在でもあるという二重性を有しているのだ。アメリカ合衆国は「民主主義」や「自由」あるいは「文明」の名のもとにおける「正戦」をいままで幾度も戦ってきたし、これからも戦おうとしている。そのとき、「民主主義」や「自由」といった原理は、アメリカ的な普遍主義という奇怪なものとして称揚されてきたのだ。ことの必然として、この「正戦」における敵は「絶対的な敵」以外の者であることはできない。合衆国大統領は今回の同時多発テロに対する「報復」を、絶対的な「悪」と「善」との闘いと形容している。しかし、土地を失ったパルチザンたちによるグローバルなテロという「悪」は、「善」であると称するアメリカ的普遍主義による世界支配の副産物、ないしは、少なくとも歴史的に同根の現象であることは確認しておかなければならない。
テロ集団は極悪な犯罪者であり、しかるべき処罰の対象であるにはちがいない。しかし、規模が異なるにせよ、自爆テロが日常化し、いわば常時「戦争」状態に置かれた地域がすでに存在していることも事実なのである。後者が「戦争」と呼ばれずに「内紛」ないし「衝突」程度に扱われているのに対し、合衆国に対するテロがただちに「戦争」と見なされ、それに対する「報復」として集団的な軍事行動がとられるのだとすれば、そのことの根拠は、犠牲者数や被害の程度以上に、アメリカ合衆国が体現している国際的な「ノモス」にあると考えたほうがよい。
アメリカ合衆国は現在、われわれが望む望まざるにかかわらず、この「ノモス」の象徴なのだ。多数の民間人(非戦闘員)を乗せた旅客機でテロリストたちが突入したのは、そんな象徴的な国家そのものの政治・経済を象徴する建物だった。それだけに、このテロがアメリカ合衆国の国民とその「ノモス」に支えられた世界に生きる者の象徴的な秩序に残した傷はさらに深い。われわれは何が起こったのかをまだ何も知らない。遠い将来まで知ることはないかもしれない。しかし、アメリカ合衆国がおこなおうとしている「正戦」の是非は措き、この事件がアメリカ合衆国国民にとどまらず、広い範囲にわたって、精神的外傷を刻みつける出来事であったことはたしかであろう。いまこの場で試みようとするのは、そこにおいて傷つけられた「象徴」の意味を探ることである。

1──ゴヤ《1808年5月3日の銃殺》(1814) 出典=http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/goya/ goya.shootings-3-5-1808.jpg

1──ゴヤ《1808年5月3日の銃殺》(1814)
出典=http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/goya/
goya.shootings-3-5-1808.jpg

2──世界貿易センター、ツインタワー、1999年撮影 出典=http://www.structurae.de/photos/wtc1.jpg

2──世界貿易センター、ツインタワー、1999年撮影
出典=http://www.structurae.de/photos/wtc1.jpg

 

2 象徴としてのツインタワー

このテロの発生直後から、テレビ番組は、とくに世界貿易センターへの旅客機の激突・爆発やビル崩壊の瞬間の映像を繰り返し放映しつづけた。ビルの窓際で助けを求める人々や飛び降りる人影など、マス・メディアを通して与えられた映像以外にも、生命を奪われた個々の犠牲者たちの、よりはるかに凄惨な情景は記録されているはずであろう。死者の尊厳に対する正当な配慮のもとに、そのような映像を流布させない措置がとられている一方で、惨事の「決定的瞬間」は偏執的で病的なまでに反復されることをやめない。その映像が、あたかもハリウッド映画の一場面であるかのように、大爆発と巨大建造物の瓦解をイメージとして提供していながら、そこで失われた生命の苦悶を直接は表わしていないからか。そこで命を落としていった人々の肉体をあからさまに映し出してはいないがゆえに、そうした光景は世界中にばらまかれても「安全」な記録というわけだろうか。
われわれはそこで起こった出来事が現実であるという事実を受け入れなければならない。だから、その現実の記録である映像が、精神的に許容される範囲で、流通することを妨げるべきではない。しかし、そのような「許容」の範囲内にある映像もまた、決して安全なものなどではなく、それを何度も目にするわれわれの魂の奥深いところで、何かを根こそぎ掘り崩してしまっているのかもしれないのだ。それこそが、象徴的な秩序に残された傷である。
政治的な機能が明らかな国防総省についてはここでは措き、世界貿易センタービル(ツインタワー)の象徴性に問題を絞りたい。周知のように、ミノル・ヤマサキの設計によるこのセンターは、ロウアーマンハッタンの海岸地区に、一九六六─七三年に建造された建築物である。この一帯は一九六〇年代に船舶交通が減少し、船着き場としてもはや機能しなくなったため、急速にさびれつつあった。チェース・マンハッタン銀行の頭取だったデヴィッド・ロックフェラーは、ここを再活性化しようと兄のニューヨーク州知事ネルソン・ロックフェラーに働きかけ、世界貿易センターを中心とする開発計画が動き出すことになった。
ツインタワーは一一〇階建て、高さ四一七メートル(北)、四一五メートル(南)で、完成後、四十数年ぶりにエンパイア・ステートビルを抜き、ごく短期間だが、世界一の高層ビルとなった。ヤマサキは一〇〇を超える模型で検討を重ねたのちに、ツインタワーによる建造を決定したという。単一のタワーはサイズの点から非合理的だったし、構造的にも解決しにくかった。一方、三棟以上のタワーにすると、サイズが並のものになり、住宅プロジェクトのように見えたのだという。ツインタワーにすることによってはじめて、各階に十分なオフィス・フロアを確保することができ、構造的にも扱いやすく、圧倒的な眺めを提供することが可能になった。形態はシンプルな直方体で窓と窓の間の柱はひたすら垂直に上昇している。構造的には外壁の鉄骨がビルを支える造りになっていた。それぞれのタワーの延べ床面積は四二万平方メートル弱におよび、約五万人の人々が働いていたという。それは対になってひとつの都市にも似たものをかたちづくる建物だった。
テロリストに乗っ取られた旅客機は北側タワーの九六─一〇三階と南側タワーの八七─九三階に激突した。ツインタワーは飛行機の衝突後、一時間─一時間半ほどで倒壊している。これは爆発・炎上による火災の熱で鉄骨が弱まり、上層階の荷重を支えきれなくなって床が抜け、この崩落の連鎖を外壁の柱が止めることができなかったためであるとされている。
ツインタワーは、群を抜いた高さと単純化された形態により、マンハッタンの摩天楼がそれまでに作り上げていたニューヨークのスカイラインからは切り離されて屹立するかのような、双子のモノリスめいた建物だった。この建物については「骸骨のファンタスム、理論的には一時的な『ハプニング』、どんな機能を果たそうとしているのか定かでない巨大建造物」★一〇といった批評もあった。こうした曖昧さはその法外なスケールや滑らかなそのファサードによっていっそう強調されている。「しかし、このような建築物は都市中心部のすがたをすみずみまで変えてしまうだろうと唱えられつつ、それらがただちに利用し尽くされてゆくことで、ありふれた、容易に自分のものにできる言語を使いながら、商業的利用に適用可能な形態と不動産市場の習慣に深く結びついた建築という夢が実現されてゆくのである」★一一。
世界貿易センターの成立をめぐる文化史★一二を一九九九年に著わした作家エリック・ダートンは、或るインタヴューで、自分の関心を刺激したのは、このセンターの建造者たちがそれをやがて来る情報化時代の範例と称していた点だ、と述べている。一九六〇年代に彼らはこの建物を「二一世紀の最初の建築」と呼んでいた。ダートンの研究は、世界貿易センターを、工業化時代から情報化の時代へと都市生活が転回する点を表わす象徴と見なしている──

世界はトレードタワーのような建物をそれまで目にしたことがありませんでした。そのサイズや双子性は──とりわけクアラ・ルンプールのペトロナス・タワーによって──コピーされてきましたが、世界貿易センターはその時代と場所に特有の、地震のような出来事を表わしています。トレードタワーは、産業革命と情報化時代という地殻プレート同士の外 傷 的トラウマテイツク地球的グローバルな衝突によって突き上げられた、都市的山脈の連なりの最初のものだったのです★一三。


この意味でツインタワーは「工業化時代の墓標、あるいは新しいグローバル経済の標識塔」という二面性をもっていたのである。
ダートンは、一九九三年の世界貿易センター爆破事件ののち、アメリカ国民は「二重の[双子の]意識(twin mind)」でツインタワーを見るようになった、と述べている。意識の一方で、それはいまだに近代工学技術の万能の象徴なのだが、もう一方では彼らは同時に、この近代的大建造物が無防備に崩壊の危険にさらされたものであることを知っている。後者の意識が芽生えた点にダートンは、アメリカ人の社会的成熟のかすかなしるしを読み取ろうとしていた。
だが、皮肉なことに、急速に成長しつつある環太平洋地域の諸都市において、世界貿易センターは繁栄と力の最大の象徴と見なされてしまっている──

その考え方というのは、摩天楼を建ててニューヨークを追い越せ、その摩天楼が、たとえばクアラ・ルンプールや香港や上海が千年紀の新しい市場センターになったことを示すのだから、というものです。世界貿易センターはその名にふさわしいものになることにまったく失敗してしまいましたが、グローバル経済の普遍的に通用するロゴになることにはまさしく成功したのです★一四。


このインタヴューは、ダートン自身が自著の「外典」として作っているインターネット上のサイトに再録されている。読者の参加も募ったこのサイトでダートンは、ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』の精神にならい、世界貿易センターをめぐる多様な資料を蒐集することを試みている★一五。そこには、現実の建物をめぐるさまざまなエピソード(タワーを「登攀」した男の話とか、一九九三年の爆破事件時の逸話など)や、このビルを中心にした開発計画にかかわった人間模様のほか、高層ビルや都市計画一般に関する歴史的な記録、古代エジプトにおける「双子」の表象、古代ギリシア神話の双子カストールとポルックスの物語などといった自由連想めいた記述、あるいは文学作品からの抜粋も含まれている。
なかでもわれわれの関心を惹くのは「めでられる塔(Eyeful Towers)」と題された図像のシリーズである★一六。それは、二つのコラムがツインタワーの形状を思わせるグーテンベルクの『四二行聖書』や、イタリア、サン・ジミニャーノの中世の塔、あるいはアタナシウス・キルヒャーの著書『エジプトのオイディプス』からとられた二つの塔をもつ「アメリカの神殿(Templum Americanum)」の図、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に登場する双子の小太りの小男トウィードルダムとトウィードルディーの挿し絵といったものに始まり、一九〇〇年から一九二〇年代のニューヨークの建築・都市景観、ヒュー・フェリスによる摩天楼のドローイング、ル・コルビュジエのヴォワザン計画の模型のほか、世界貿易センターが建てられるにいたるまでのマンハッタンの変容を表わす写真などからなっている。それぞれのイメージはほぼ時代順にリンクをはられて次々と閲覧できるように構成されている。一九九五年にボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国の爆撃された政府施設ビルを撮影した『ニューヨーク・タイムズ』紙の写真(もともとのキャプションには「かつてサラエヴォであったゴージャスなモザイクへの哀悼」とあったという)が不吉な思いを抱かせる。同じ一九九五年に世界貿易センターの日常的な風景を撮影した新聞写真もまた、今回の惨事の犠牲者に対する哀悼の思いをかき立てずにはおかない。
この図像シリーズのなかには、一九九三年にセンターのそばで、ツインタワーの着ぐるみを着た二人の人物を背後から撮影した写真がある。これはこの年からロウアーマンハッタンで毎年開催された「大道芸人バスカーズフェア」の折の光景である。この扮装は、意図的かどうかはわからないが、マンハッタンのひとつの伝統を復活させたものだった。
一九三一年一月二三日、ブロードウェイのホテル・アスターで仮装舞踏会が開かれた。そのテーマは「現代の祝祭フエツト・モデルヌ、炎と銀による幻想世界」だった。そこではマンハッタンに建つビルの建築家たち自身が摩天楼に扮して、「ニューヨークのスカイライン」というバレエを踊った。
レム・コールハースはこの舞踏会は建築家たちにとって、時代精神を模索するためのひとつの会議、「大西洋の対岸でおこなわれるCIAMのマンハッタン版」だったのだと言う。そして、仮装舞踏会のルールこそはマンハッタンの建築を支配するものだった──

ニューヨークにおいてだけ、建築は衣裳のデザインになるのである。そのデザインは反復的に構成される建物内部の本当の姿をあらわにするのではなく、やすやすと意識下へと潜りこんで内部を表わす象徴としての役割を果たすのである。仮装舞踏会とはひとつの形式的な約束事である。つまり、個性と極端な独創性とを求める欲望が集団的パフォーマンスにとっての脅威とならずに、実際にはその条件となるような、そんな約束事の世界なのである★一七。


しかし、遅れてこの舞踏会に登場した双子のタワーは、競争としての集団的パフォーマンスを、むしろまったく無視して超然とそびえ立っているように見える。世界貿易センターのタワーが一棟だけであったら、あるいは、三棟以上であったら、それが既存のスカイラインから孤立しつつも安定して、「繁栄と力」の象徴となることはなかったかもしれない。対になった同形のビルが二つ並んでいることが、その景観上のイメージに独特な強度を与えているように思われるのだ。ツインタワーが「双子」のイメージと重なり合う点もそこにかかわっている。マンハッタンの仮装舞踏会で建築が衣裳デザインになったことは、建築が人体の形象を背後に暗示していたことを意味していよう。もちろんこうした擬人体主義はマンハッタンの摩天楼にかぎったことではない。しかし、そうした意味作用がとりわけ強い場にツインタワーが建っていたことは事実だろう。この二つの塔は、無愛想な双子トウィードルダムとトウィードルディーのように、仮装舞踏会の喧噪のただなかに無言で立ちつくしていた。
ダートンの集めたイメージ連鎖にわれわれはたとえば、ヨーゼフ・ボイスがツインタワーの3D絵葉書を使って作ったマルティプルを付け加えることができる。ボイスはタワーのそれぞれに「Cosmos[ないしCosmas]」、「Damian」と書き付けている。一九七四年にボイスはニューヨークを訪れ、「アメリカはわたしを好き、わたしはアメリカを好き」と題された、よく知られたアクションをおこなった。J・F・ケネディ空港でフェルトの布にくるまれたボイスは救急車に乗せられ、マンハッタンのギャラリーへ向かう。ボイスは数日間をそこで、フェルトの布や杖、毎日届けられる『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙、そして、一匹のコヨーテとともに過ごした。アクションの終わりに彼は再びフェルトで包まれ、救急車で空港まで運ばれた。問題のマルティプルはこのアクションと同じころに制作されている。
「Cosmos[ないしCosmas]」と「Damian」とは何を意味するのだろうか。「Damian」はおそらく人名であるから、ツインタワーのもう一方に与えられたものも人物の名前であろうと思われる。とするならば、「Damian」と対になる名前は、「Cosmos」ではなく、「Cosmas」でなければならない。「コスマス」と「ダミアン」はまさに双子の聖人の名前だからだ。
この二人は小アジアで活動した医者で、報酬を受け取らずに病人を治療しながら、キリスト教の教えを広めたという。病者の切断した片足の代わりに死者の足を付け替えて治したなどという聖人伝も残されている。ディオクレティアヌス帝によるキリスト教徒迫害に際し、コスマスとダミアンはローマ帝国総督に捕縛されたのち、水に沈められ、火で焼かれ、十字架にかけられて矢を射られたが、そのつど奇蹟によって救われて生き延びた。結局最後に彼らは、西暦二八七年頃、ほかの三人の兄弟ともども、斬首されて殺されたと伝えられている。この双子の殉教者はその後、医師たちの守護聖人になっている。
ボイスはこのマルティプル作品において、ツインタワーが彼にとって聖なる物質である脂肪のかたまりからできているものであるかのように見せかけることをねらっていたとも言われる。この芸術家は世界貿易センターのイメージをいわば魔術的に変容させ、資本主義的経済のセンターを何か別のエネルギーの場へと昇華してみせようとしたのであろう。コスマスとダミアンの名が暗示するように、それは一種の「治療」の身ぶりである。
しかし、たとえばサン・マルコ修道院の祭壇にフラ・アンジェリコが描いたコスマスとダミアンの生涯を目にするとき、われわれにはむしろ、二人の殉教者の最期がツインタワーのたどった運命に重なって見えてきてしまう。もちろんこれは異教徒(古代ローマ人/イスラム過激派)による迫害といった図式をここに持ち込みたいがために言うのではない。そうではなく、ツインタワーという建築物の喚起するイメージが、グーテンベルク聖書やキルヒャーの幻想と重なり合いつつ、トウィードルダムとトウィードルディー、あるいはコスマスとダミアンといった双子の人物像を呼び寄せて、歴史的なイメージ記憶の蓄積のなかに張りめぐらせるネットワークのなかに、表面的な事実やイデオロギーによっては見えてこない、沈黙した象徴の地層を見出したいのである。その地層が深ければ深いほど、そこに加えられた傷もまた、さまざまな影響を残さないわけにはゆかないからだ。そして同時にもしかしたら、複数のイメージが同時共存する想起された記憶像のなかに、象徴的な秩序に加えられた傷を癒やすかすかな手がかりがあるかもしれないのである。少なくとも、わたしがここで模索してきたのは、傷つけられた「象徴」に対して、それにふさわしい喪をとりおこなうためのそんな手がかりだった。
世界貿易センター、そのツインタワーの消滅は、それがになった多義的な象徴性ゆえに、地震のように──空間的、時間的に──遠い場所で災害を引き起こしかねない出来事である。その震動の拡がりをわれわれはいまだ予測することもできない。「報復」が性急に叫ばれ、テロと逆テロが「正戦」と「聖戦」として展開されようとしているさなかで、われわれは文化史的な地層のなかに位置する、この地震の震源を見きわめる慎重な探査を忘れてはならないだろう。パルチザン戦争の時代とは、大規模暴力によるテロばかりではなく、象徴をめぐる「暗黒の次元」における闘いでもあるのだから。

3──マンハッタンのスカイライン、2001年6月撮影 出典=http://www.structurae.de/photos/wtc4.jpg

3──マンハッタンのスカイライン、2001年6月撮影
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4──ペトロナス・タワー、2000年撮影 出典=http://www.structurae.de/photos/petronas4.jpg

4──ペトロナス・タワー、2000年撮影
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5──グーテンベルク『42行聖書』 出典=http://ericdarton.net/jpegs/gutenberg.jpg

5──グーテンベルク『42行聖書』
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6──「アメリカの神殿(Templum Americanum)」、アタナシウス・キルヒャー 『エジプトのオイディプス』より 出典=http://ericdarton.net/jpegs/templumamer.jpg

6──「アメリカの神殿(Templum Americanum)」、アタナシウス・キルヒャー
『エジプトのオイディプス』より
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7──トウィードルダムとトウィードルディー、 ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』より 出典=http://ericdarton.net/jpegs/alice-tweedle.jpg

7──トウィードルダムとトウィードルディー、
ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』より
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8──ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国の爆撃された政府施設ビル、1995年撮影。『ニューヨーク・タイムズ』紙より 出典=http://ericdarton.net/jpegs/bosniatower.jpg

8──ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国の爆撃された政府施設ビル、1995年撮影。『ニューヨーク・タイムズ』紙より
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9──ツインタワーの長い影、1995年10月18日付け『ニューヨーク・タイムズ』紙より 出典=http://ericdarton.net/jpegs/longshadows.jpg

9──ツインタワーの長い影、1995年10月18日付け『ニューヨーク・タイムズ』紙より
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10──歩くツインタワー、1993年の「大道芸人フェア」に際して 出典=http://ericdarton.net/jpegs/biglittlewtc.jpeg

10──歩くツインタワー、1993年の「大道芸人フェア」に際して
出典=http://ericdarton.net/jpegs/biglittlewtc.jpeg

11──マンハッタン建築家が演ずる 「ニューヨークのスカイライン」 出典=レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』

11──マンハッタン建築家が演ずる
「ニューヨークのスカイライン」
出典=レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』


12──ヨーゼフ・ボイス《コスモスとダミアン》(1974) 出典=Jorg Schellmann (ed.), Joseph Beuys: The Multiples: Catalogue Raisonne of Multiples and Prints

12──ヨーゼフ・ボイス《コスモスとダミアン》(1974)
出典=Jorg Schellmann (ed.), Joseph Beuys: The Multiples: Catalogue Raisonne of Multiples and Prints

13──フラ・アンジェリコ《聖コスマスと聖ダミアンの斬首》 出典=http://www.kfki.hu/~arthp/art/a/ angelico/altar/sanmarco/marco_p7.jpg

13──フラ・アンジェリコ《聖コスマスと聖ダミアンの斬首》
出典=http://www.kfki.hu/~arthp/art/a/
angelico/altar/sanmarco/marco_p7.jpg


★一──カール・シュミット『パルチザンの理論』(新田邦夫訳、ちくま学芸文庫、一九九五)二九頁。
★二──同、四七頁。
★三──同、一四七─一四八頁。
★四──同、八二頁。
★五──同、一五五─一五六頁。
★六──同、一八八頁。
★七──同、一五八─一五九頁参照。
★八──同、六九─七〇頁参照。
★九──同、三三頁。
★一〇──Manfredo Tafuri and Francesco Dal Co, Modern Architecture, Trans. by Robert Erich Wolf, New York: Electa/Rizzoli, 1986, p.340.
★一一──Ibid.
★一二──Eric Darton, Divided We Stand: A Biography of New York's World Trade Center, New York: Basic Books, 1999.
★一三──二〇〇〇年一月、Basic Books Publicityによるインタヴューより。
URL=http://ericdarton.net/html/freeassoc.html
★一四──Ibid.
★一五──次を参照。
"New York's World Trade Center: A Living Archive". URL=http://ericdarton.net/
★一六──URL=http://ericdarton.net/html/eyefultow.html
★一七──レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介訳、筑摩書房、一九九五)一六四頁。

*この原稿は加筆訂正を施し、『死者たちの都市へ』として単行本化されています。

>田中純(タナカ・ジュン)

1960年生
東京大学大学院総合文化研究科教授。表象文化論、思想史。

>『10+1』 No.25

特集=都市の境界/建築の境界

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1892年 - 1940年
ドイツの文芸評論家。思想家。

>パサージュ

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1887年 - 1965年
建築家。

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1944年 -
建築家。OMA主宰。

>CIAM

シアム(Congrès International d'Architecture...

>マンフレッド・タフーリ

1935年 - 1994年
建築批評家、歴史家。

>錯乱のニューヨーク

1995年10月1日