RUN BY LIXIL Publishingheader patron logo deviderLIXIL Corporation LOGO

HOME>BACKNUMBER>『10+1』 No.28>ARTICLE

>
類推的都市のおもかげ──ノスタルジックな形態学 | 田中純
Trace of Analogical City : Nostalgic Morphology | Tanaka Jun
掲載『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) pp.2-10

1 類推の魔とノスタルジア

第二次世界大戦後間もないころ、東欧の若い建築家ボクダン・ボクダノヴィッチ(のちのベオグラード市長)は、気晴らしに夢の都市の平面図や鳥瞰図を描くことを習慣にしていた。彼は連想のおもむくまま、それまで目にしたことのあるあらゆる都市の美しい街路や広場、建物などをそこに集めたという。のちにエジプトのアブ・シンベル神殿を水没から救済するキャンペーンのため、この理想都市をあらたに作品化する機会がめぐってきたとき、ボクダノヴィッチは、自分の暮らすベオグラードを全体の下敷きにしながら、その街を貫くドナウの川床にナイル川を接合し、その川岸にエジプトの神殿を描いている。残りの部分は自分の望みのままに、ローマのポポロ広場、一八世紀にドナウに架かっていた橋、噴水のあるパリのヴォージュ広場、ロンドンのセント・ポール大聖堂、ヨーロッパで最も大きな広場のひとつであるパドヴァのプラート・デッラ・ヴァッレなどが描き込まれた。アブ・シンベルに向かい合う位置にはヴェネツィアのサン・マルコ広場があり、そのすぐ背後にはピサの斜塔と納骨堂が位置し、さらにマケドニアにあるトルコ人市場のミニチュアがそこに紛れ込んでいる。街の東南にはアクロポリス神殿が置かれ、中世セルビアの要塞や古いロシアの修道院が並ぶ。川中島にはヴェネツィア近郊の理想都市パルマノーヴァが見える。
アルチンボルドの肖像画を思わせるこんな都市図をなぜ描いたのか?──ボクダノヴィッチは、ヨーロッパの都市が瓦礫と化した戦争ののち、街が急速に、顔のない新しい建物で埋め尽くされていったことを挙げ、「都市喪失の不安」★一に駆られていたせいかもしれない、と自己分析している。当時、この絵は一種のテストのように、さまざまな反応を呼び起こしたという。非同盟諸国会議の中心地ベオグラードになぜ第三世界の友好国の建物を描かないんだという非難の一方では、それがストックホルムやバルセロナ、リスボンといった街を思い出させると感じた友人たちもいた。

われわれのこの世界の数多い都市には、湾曲した鏡に映るように、ほかの多くの都市が映し出されているのだ。普遍的なものの微粒子が都市物質のかけらと塵のなかで煌めいている。
つねに嬉しい発見となるのは、新しい、未知の都市のなかに、よく知っていて愛している都市の面影を再び見いだすときである。そうした出会いは、あたかもわれわれが自分自身を他人のなかに、あるいは知人をわれわれ自身のなかに再発見するかのような、価値あるものである。長年に渡る都市との触れあいのなかで、わたしは食通の喜びとともに、フィレンツェの反映をミュンヘンに、ジョージアンの街バースの反映をハンブルクに、イスファハンの反映をオスマンのパリに、ヴェネツィアの反映をアムステルダムに、アムステルダムの反映をサンクト・ペテルブルグに、サンクト・ペテルブルグの反映をボストンとケンブリッジに見る。(…中略…)わたしはアテネの幻影をベルリンに、その逆にプロイセン的ギリシア古典主義の面影をアテネに味わってきた。(…中略…)わたしには自分が一目で、リスボンのかけらをサンフランシスコに、サンフランシスコのかけらをイスタンブールに、イスタンブールのかけらをベイルートに、ベイルートのかけらをベオグラードに、ナンシーのかけらをニューオリンズに、ニューオリンズのかけらを上海に再確認できそうに思える★二。


ボクダノヴィッチの都市図は、アルド・ロッシが一九七六年のヴェネツィア・ビエンナーレに出展したパネル作品《類推的都市》を思い起こさせる。この作品にはピラネージの《カンポ・マルツィオ》の一部など、歴史的な都市地図が断片化されて集められ、そこにロッシ自身の計画図や人物像などがコラージュされている。ロッシは、それが参照した対象として、カナレットによるヴェネツィアの風景画を挙げていた。カナレットのこの「奇想カブリツチオ」では、アンドレア・パラディオのヴィチェンツァのバシリカとパラツッオ・キエリカーティというまったく異なる場所に存在する二つの建築物、そして実在しない計画案にすぎないリアルト橋が、現実にはありえないひとつの風景をなしている。ロッシによれば、この三つの建物はこうして一体化させられることで、建築史とヴェネツィアという都市の歴史の双方に結びついた要素からかたちづくられる、現実のヴェネツィアの「類似物」をなしているのだ。この表現に倣えば、ボクダノヴィッチはいわば、ベオグラードの「類似物」を描いたのである。いや、それはローマ、パリ、ロンドン、パドヴァ、ヴェネツィアといった、類似した諸都市の複数の貌をもつ「類似物」であると言うべきだろうか。
ロッシは「類推」という概念を説明するために、ユングによる「類推」の定義を援用している★三。それによると、論理的思考が外界について言説のかたちをとって表現されたものであるのに対し、類推的思考とは、非現実的な状態として感知され、沈黙のうちに想像されている何かであり、明快な言説となることのない、過去の出来事をめぐる内的な独白めいた思考である。ロッシが試みているのは、単なる事実とは異なるもうひとつの都市を、記憶のイメージ連鎖のなかに見いだすことにほかならない。
具体的にはそれは、歴史的な都市の中心にどのようにあらたに建築を挿入し、そこを再利用するかという課題に応えようとした提案だった。「類推的都市」は都市的コンテクストに適合するための模倣やカモフラージュではないし、タブラ・ラサとしての敷地を前提とする機能主義やゾーニング理論とも、もとより異なる。そこにもたらされるのは、既存の歴史的環境との関係からしても、機能主義的な論理から見ても、いずれにしても論理的思考によっては根拠づけられない「奇想カブリツチオ」的風景としての、イメージの連合によって紡がれた建築物の集合体である。
それを、歴史的先例をめぐる「メタ理論化」としての都市デザインなどと、何やらポストモダンな歴史主義的引用と見なすべきではないだろう。メタ理論の存在を許すような距離はそこにはない。建築家に襲いかかる類推の魔は、気まぐれに記憶の蓋を開ける。そこに生み出されるイメージの連なりは無根拠で、ときとして錯乱している。
マンフレッド・タフーリは《類推的都市》をめぐって、カナレットがおこなっている建築物のコラージュ的な再構成のうちに、「もっとも破壊的な処理に対しても完全に開かれていると見えるほど、内部の経済的存在理由を欠いた組織体になってしまった」★四ヴェネツィアの都市的コンテクストの反映を見いだしている。そのような事態の表われとして、この「奇想カブリツチオ」は、ピラネージの描き出すフォルムの歪みや空間の狂暴さと同程度に破壊的なのだ。
なるほど確かにそれは一見したところ、ヴェネツィアにおける建築と場所との結合の喪失を映し出しているように見える。しかし、類推的都市に蝟集してくる建築物は、それが元来属していた「場所」との関係から自由になったとはいえ、決して任意に(意識的に)引用可能なわけではない。《カンポ・マルツィオ》にしろ《類推的都市》にしろ、そこに働く「類推」の作用は、逆に見れば、都市という場が誘い出す「類似」の魔であり、ボクダノヴィッチが語っていたような、無数の都市のかけらが放つ煌めき、あるいはその数知れない面影の、予期することのできない到来ではないだろうか。
ロッシは類推的建築・都市をめぐるエッセイのなかに、ヴァルター・ベンヤミンの「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」から、「私自身は、身のまわりに置かれたあれやこれやに似させられて、すっかり歪められていた」★五という一節を引用している。幼いベンヤミンに「類似すること」の強制を加えていたのは言葉だった。「銅版画(Kupferstichen)」を「Kopf-verstich」と聞き取ることにより、もぐり込んだ椅子の下から頭(Kopf)を出して見せるといった行為を通じて、少年ベンヤミンは「銅版画」に似たものに変身し、世界の内部に入り込んでゆこうとした。このようにして言葉は彼に、家や家具や衣服に似ることを強いていた。けれど、そこにはただひとつ例外があって、「わたし」自身の像に似させるような言葉はまったく存在しなかった。自分自身に似たものになるよう要求されると、少年は途方に暮れた。わたしはわたし自身に似ることができない。ベオグラードはベオグラード自体に似ることはできない。その代わりに、それはほかのさまざまな都市に似ることを強いられる。その強制力にゆだねられたまま、すっかり歪んでしまった都市のイメージが類推的都市なのだ、とロッシは述べたいように見える。
ベンヤミンは、引用文の前後で幼年時代を回想しながら、「類似を認識するという才能は、実際、似たものになるように、また似た振舞いをとるように強いた太古の力の、その痕跡にほかならない」★六と述べている。ユングを借りてロッシが依拠している類推的思考とは、この模倣の能力の名残りであろう。フィレンツェの反映をミュンヘンに、バースの反映をハンブルクに、イスファハンの反映をオスマンのパリに、ヴェネツィアの反映をアムステルダムに、アムステルダムの反映をサンクト・ペテルブルグに認める能力もまた、まぎれもなく同じ力の名残りである。幼年時代にはこうした模倣の能力がまだ生き生きと保たれている。都市をめぐる類推を通じてロッシが導かれてゆくのは、ベンヤミンがベルリンという都市における幼年時代を想起したのにも似た、自伝的な物語を語るという経験だった。一九八一年の彼の『科学的自伝』とは、まさにそんなテクストにほかならない。そして、ロッシの建築もまた、それが類推の過程を経ることで、無意識的な記憶や夢と入り混じり──時として単純化された類型の反復という硬直化にいたるほどまで──「自伝」めいたものとなったことも周知の通りだ。
とはいえ、《類推的都市》を、あるいはボクダノヴィッチの類推的ベオグラードを、個人的な記憶の枠内にとどめておくことはできないだろう。そこに漂っているのは、記憶のなかで「歪められた」都市へと向けられた、何か根源的なノスタルジアである。ドイツからの亡命の途上で、「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」最終稿に与えられた序文をベンヤミンは、「一九三二年に外国にいたとき、私には、自分が生まれた都市に、まもなくある程度長期にわたって、ひょっとすると永続的に別れを告げねばならないかもしれない、ということが明らかになりはじめた」と書き始めている。

それ以前に私は、自分の内面生活で、予防接種という方法が役に立つものであることを、いくどか経験していた。そこでこの状況においても、私はその方法を拠り所として、亡命生活においてはいつも最も強く郷愁を呼び醒ますイメージ──幼年時代のさまざまなイメージ──を、意図的に私の内部に呼び起こした★七。


その幼年時代のイメージとは「大都市の経験が市民階級のあるひとりの子供の姿をとりつつ沈殿している、そのようなイメージ」にほかならない。そして、そうしたイメージは、その内部において、「のちの時代の歴史的な経験を前成しうるものであるかもしれない」とベンヤミンは言う。「前成」とは、胚のなかで前もって生命の形態が形成されることをさす。そのような「イメージ」を捉えるために、ベンヤミンのまなざしは「過ぎ去ったものの偶然的、伝記的な回復不可能性」ではなく、「その必然的、社会的な回復不可能性」に向けられた。「一九〇〇年頃のベルリン」は必然的に回復できない。そこに戻ることは、個人的、伝記的な運命としてではなく、歴史的、社会的に不可能なのである。ベンヤミンにとっては、ベルリンという都市そのものがすでに喪失されている。もちろん彼はベルリンを、一九〇〇年頃のこの都市を取り戻したいのだが、その不可能性を同時に深く知っている。「これらのイメージからは、少なくとも、──そう私は希望するのだが──ここで話題となっている人物が、その幼年時代には恵み与えられていた庇護された安らかさを、のちにどれほど深く断念することになったかが、充分感じ取れるだろう」★八。
この「断念」において、ベルリンを追憶することは、もはや失った故郷への帰還の希望ではなく、そこへ戻りたいと願う故郷そのものが喪失されてしまったという事実を悼む営みなのである。帰るべきベルリンはもはやそこにはない。だから、このノスタルジアのまなざしは文字どおりにあてどなく、どこか存在しない場所に向けられている。ボクダノヴィッチもまた「都市喪失の不安」と言っていた。都市が類推の魔に晒され、類似の連鎖をなしてゆくのは、恐らくこうしたノスタルジアの時間においてなのだ。
幼年時代という過去に探し求められた大都市のイメージは、後世の歴史的な経験という未来を孕んでいる。それはベンヤミンという一個人の経験ではないし、ベルリンという都市だけの経験でもない。「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」、『パサージュ論』、あるいはナポリやモスクワなどをめぐるベンヤミンの都市論は、それぞれが扱う都市の個性を浮かび上がらせながらも、どこか似通った相貌のうちに、過去と未来が交錯する類推的都市の想起をめぐって展開されている。

1──ボクダン・ボクダノヴィッチ《言葉なしのエッセイ》

1──ボクダン・ボクダノヴィッチ《言葉なしのエッセイ》

2──アルド・ロッシ《類推的都市》1976 出典=『<a href="/backnumber/article/articleid/378/">未来都市の考古学</a>』カタログ

2──アルド・ロッシ《類推的都市》1976
出典=『<a href="/backnumber/article/articleid/378/">未来都市の考古学</a>』カタログ

3──ヴァルター・ベンヤミン、1902年頃 出典=Walter Benjamin: Berliner Kindheit um  1900. Frankfurt am Main: Suhrkamp, 2000

3──ヴァルター・ベンヤミン、1902年頃
出典=Walter Benjamin: Berliner Kindheit um
1900. Frankfurt am Main: Suhrkamp, 2000

2 歪められた類似としての原型

複数の都市のイメージが重なり合うなかに浮上する類推的都市、相互に反映しあう諸々の都市のかけらたちがかたちづくるモザイク画──そのような類似や照応を支えているのは、しかし、何か隠された同一性や起源の一致ではないだろう。ボクダノヴィッチは、互いに秘かな兄弟関係にあるかのような都市群は、完全に忘れ去られた神秘的な太古の──沈んだ大陸アトランティスのような──「原都市」から生じたという空想を弄んではいる。だが、実在したかもしれないそんな「原都市」へのノスタルジアが、類推的都市を生み出すのではあるまい。あるいはまた、何かの面影として都市のそこここに煌めくものは、都市の本質をなす「普遍的なものの微粒子」とも異なるに違いない。
タフーリはマグリットの《これはパイプではない》をめぐるミシェル・フーコーの分析を踏まえて、《類推的都市》の下方に「これは都市ではない」という一文が書かれている光景を空想している。ロッシのコラージュの右上にいる人物の指さす身ぶりがすでに、そんな自己言及的な言葉を語っているようにも見える。フーコーは、マグリットは類似と肯定=断言との間に古くからある等価性を断ち切り、「絵画に属する類似を保持しつつ言説に最も近いものである肯定=断言を排除する」と指摘していた。それは「似ているものの際限ない連なりを能うかぎり遠くまで追いながら、それが何に似ているかを言おうとする一切の肯定=断言を取り除いて身軽にしてやるのである」★九。この操作をフーコーはさらに、「相 似シミリチユード」を「類 似ルサンブランス」から切り離して対立させること、と言い換える。

類似には一個の「母型パトロン」というものがある。すなわちオリジナルとなる要素であって、それから取り得る、だんだんに薄められてゆくコピーのすべてを、自己から発して順序づけ、序列化するものだ。類似しているということは、処方し分類する原初の照合基準レフエランスを前提するのである。相似したものは、始まりも終わりもなくどちら向きにも踏破し得るような系列、いかなる序列にも従わず、僅かな差異から僅かな差異へと拡がってゆく系列をなして展開される。類似はそれに君臨する再現=表象ルプレザンタシオンに役立ち、相似はそれを貫いて走る反復に役立つ。類似はそれが連れ戻し再認させることを任とする原型モデルに照らして秩序づけられ、相似は相似したものから相似したものへの無制限かつ可逆的な関係として模像シミユラクルを循環させる★一〇。


つまり、「類 似ルサンブランス」を支配するプラトニズムの転倒としての「相 似シミリチユード」。類推的都市とは、オリジナルなモデルをもたないままに相似しあう無数の模像が循環する都市だと言えるかもしれない。それは反復的に織りなされてゆく、複数的で序列をもたない都市イメージの相似と差異の集積である。
ただ、ここで忘れてはならないのは、ボクダノヴィッチが「原都市」という言い方のうちにおぼろげにとらえていたもの、ベンヤミンがノスタルジアのまなざしによって回想された都市の記憶像のなかに見ていたものは、いずれも何かしら原型的なイメージであったという点である。そこに「起源」としての母型が存在しないならば、この原型性は何に由来するのか。
ベンヤミンについては、ゲーテの形態学における「原現象」の概念を参照することができる。『パサージュ論』では、『ドイツ悲劇の根源』で使われた「根源」という概念をめぐって、それはゲーテにおける「原現象」という概念を「異教的な観点で捉えられた自然の脈絡から、ユダヤ教的に捉えられた歴史のさまざまな脈絡に移し入れたもの」とされている★一一。ベンヤミンによれば、『パサージュ論』の目的もこうした意味での根源の探求であり、パリのパサージュのさまざまな形成過程と変容の根源を経済的諸事実のなかで捉えることにほかならない。それは因果関係の追究ではない。経済的事実が原現象すなわち根源になるのは、それらが「パサージュの具体的な、歴史上の一連の形態を自分自身のなかから出現させる場合に限られる」──「ちょうど植物の葉が、経験的な植物界の豊潤な全容を自らのうちから繰り広げてみせるように」★一二。
ここでは「経済的事実」と言われているが、ベンヤミンにとって歴史的な経験を「前成」しているもの、歴史の「原現象」とはつねに、「弁証法的形象」と呼ばれるような「イメージ」にほかならなかった。根源はイメージとして与えられる。何らかの「かたち」として根源的なるものをとらえるこうした観点は、ゲーテから影響を受けた一九二〇年代末の形態学的な研究(ウラジーミル・プロップの民話分析やアンドレ・ヨレスの『単純形態』など)に通じているが、ベンヤミンの言う「根源」は恐らくそれらよりもはるかに、「原現象」の「かたち」は実際に目に見える現実であると語った、ゲーテその人自身の「原型」把握に近い。三木成夫は人間の容貌を例として、ゲーテの言う「原形(原型)」のとらえがたい、しかし確固とした実在を印象的に解説している。

こうして、長い歳月をかけた不断の接触を通して、そのような色とりどりの顔つきを眺めやりながら、やがてわれわれは、いつとはなく、相手の顔貌のもつひとつの『かたち』というものをしだいに根強く体得することになる。それはいってみれば、われわれの肌を通して肉体の奥深くにまで浸透し、もはや抜き取ることのできぬほどに根をおろした、まさにそのようなものと思われる。したがってそれは、たとえばひとたびその相手から離れた時たちまちひとつの「形象」として色鮮やかに眼前に浮び上がり、もはや振り払うことのできない、そのようなものとなる。このいわば『憶裡』の形象こそ、その人間の根源の形象、すなわちここでいう「原形」そのものとなることは、いうまでもないであろう。ひとびとはこれを『おもかげ』と呼ぶ★一三。


個人の「おもかげ」があるように、類の「原形」としての「おもかげ」があり、そこには生命の歴史における系統発生的な記憶が堆積している──そう考える三木は、胎児の相貌に軟骨魚類ラブカの、あるいはムカシトカゲやミツユビナマケモノの顔の「おもかげ」(「古代形象」)を見いだす。「ひとびとはたれしも動物に、そして幼児に、ある限りない力でもってひきよせられる。そこには、われわれの遠い過去の面影いいかえれば、われわれ人間の原形そのものがじつは秘やかに宿されていたのである」★一四。
都市の原型とは、ひとつの都市のさまざまな相貌や、あるいはあれこれの都市の相貌が互いに類似しあう、その重なり合いのなかで定着していった、或る「おもかげ」である。そのかたち、イメージは、それが「自らのうちから繰り広げてみせる」、のちの時代の経験を、あたかも生物の胚のように内包している。腐敗と崩壊過程において自然と歴史が交錯しあうバロック的なベンヤミンの自然史的パースペクティヴのなかで、自然学の「原型」概念が都市経験という歴史的現象に転用される。
ひとつの「原都市」という母型がその再現=表象としての類推的都市を支配するのではない。わずかな差異によって拡がり続ける相似の系列が、ウィトゲンシュタインの言う「家族的類似」★一五をなして重なりあうとき、遺伝学者フランシス・ゴールトンが家系的特徴を確かめるために作った(そしてウィトゲンシュタインも自分の家族で試みた)顔写真の重ね焼き写真のように、その「家族」のつかみどころのない「おもかげ」を感知させる。見る者によって異なるさまざまな都市のかけらを読み取らせる類推的都市とはいわば、そんな重層的なイメージなのだ。だからそれは、共通の基盤をなすタブラ・ラサのうえに各要素が並べられたコラージュと見なされるべきではない。この「おもかげ」には、互いに互いを反射し反映しあう複数の都市のイメージが、幾重にも積層しているのである。ゴールトンの重ね焼き写真を例にした『夢解釈』のフロイトの言葉を使えば、そこでは、夢におけるように、複数のイメージが「圧縮」されているのである。
ベンヤミンは、あるいは都市の遊歩者は、そんな複数のイメージの二重化を具体的に目にする。『パサージュ論』で彼はこう書いている。

ベルヴィルにモロッコ広場がある。この、賃貸アパートに並ぶ荒涼とした石の山に私はある日曜の午後出くわしたのだが、それは私にとってモロッコの砂漠のように感じられたばかりではなく、さらに、同時になお植民地帝国主義のモニュメントとしても感じられたのである。そこではその場の光景とアレゴリー的な意味が交差するのだが、だからといってそれがベルヴィルの中心部であることに変わりはない。こうしたヴィジョンを引き起こすことができるのはたいていの場合、麻薬に限られている。ところが実際には街路名もこうした場合に、私たちの知覚を押し広げ、多層的にしてくれる陶酔を起こすものとなる。街路名が私たちをこうした状態へと誘ってくれる力を喚起力と呼びたい。──だがそういっただけでは言い足りない。なぜなら連想ではなくイメージの相互浸透がここでは決定的だからである。ある種の病理現象を理解するにはこの事実を想起しなければならない。何時間も夜の町を徘徊し、帰るのを忘れてしまうような病気の人は、おそらくそうした力の手に落ちたのである★一六。


ここで街路名の喚起力が語られていることは一見したところ奇妙に思えるかもしれない。ベンヤミンはくり返し街路名がもつ魔力について語っているが、シニフィアンとシニフィエの対応の「恣意性」という観念に囚われているかぎり、単なる「連想」以上の喚起力をそこに見いだすことはできないだろう。
しかし、ベンヤミンが言語のなかに見ているのは、語られたものと志向対象、書かれたものと志向対象、さらには語られたもの(発話)と書かれたもの(文字)との間の「非感性的類似」のアーカイヴなのだ。「同一のものを意味する異なった言語の語を、その意味されたものを中心にしてその回りに並べてみるなら、それらの語はすべて──それぞれのあいだに、多くの場合ほんのわずかな類似さえ認められないとしても──、その中心にある意味される対象には類似している、ということを究明できるだろう」★一七。遠くは占星術における天空というマクロコスモスと個人というミクロコスモスとの類似にさかのぼる「非感性的類似」が、街路名を通して陶酔的なイメージの多重化をもたらす。言語におけるこの模倣的な力は、記号としての意味作用に代わるものではなく、それを担い手としたうえではじめて、「電光石火のように」一瞬ひらめくにすぎない。しかし、言葉が少年ベンヤミンに変身を強いたように、言語に蓄えられた非感性的類似は人間の模倣の能力を奥深くから呼び覚ますのである。
言語におけるこの非感性的類似の観点からすれば、フーコーの分析には若干の修正が必要だろう。マグリットがパイプの絵に並べて書いた「これはパイプではない」という手書き文字は、なるほど確かに描かれたものがパイプであるという肯定=断言を取り除き、類似、と言うよりも相似の増殖を解放する。しかし同時にその書かれた文字は、こうした記号的意味作用を担い手として──その否定的な意味作用を裏切るがゆえに──「パイプ」という文字とパイプの絵との非感性的類似を束の間露呈させているのではないだろうか。《これはパイプではない》が誘う眩惑とは、唐突に現われるこの非感性的類似によるものでもあるのではないか。とするならば、《類推的都市》のパネルの下に「これは都市ではない」という一文が書かれることをタフーリが夢想したとき、そこでは都市のイメージが相似の連鎖へと向けて開かれる一方、都市を「都市」と名付ける行為、この模倣の行為に宿る非感性的類似が垣間見えていたのかもしれない。それは都市の「原型」をこのイメージの裡にとらえることに等しい。
記憶や夢の地層を通過することで、類似に支配された類推的都市のイメージは不可避的に歪んでいる。街の「おもかげ」は現実そのままのかたちでなどありえないのだ。その歪みのなかに都市をめぐる深い願望が隠されながら顕われる。都市構造の類型学によって、そんな歪んだ「原型」にたどり着くことはできない。歴史的に伝承されてきた都市の「イデア」が問題なのでもない。実現されずに終わった夢、失敗した革命、自然によるまたは人的な破壊や破局を含めて、固有名をもったそれぞれの都市の歴史的な相貌を重ね合わせてゆくときにはじめて見えてくるものが、類推的都市の「おもかげ」であろう。パリのようなひとつの都市が固有名の宇宙であるように、類推的都市とは数知れない都市の名の宇宙である。それは都市が無数の他の都市に似たいと願う欲望の産物にほかならない。
われわれ人間が動物や幼児にかぎりなく引き寄せられるように、都市は自らの原型的な「おもかげ」を追い求める。それは、遊歩者の陶酔に似た、類推の魔と記憶のエロスに駆られた眩惑であるかもしれない。動物あるいは幼児、つまり言葉なきインフアンス者としての都市──「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」とは、ベルリンにおけるベンヤミンの幼年時代であるとともに、回想のなかで歪められた、ベルリンという都市の幼年時代でもある。
都市の原型を形態学的に探求する作業は、例えばジョゼフ・リクワートの『〈まち〉のイデア』のように、古代における都市創建儀礼の分析を通じて、コスモロジー的な空間秩序を析出する方法をとることもできよう。だが、近代都市を対象としたベンヤミンは、巨大なコスモロジーの再構成ではなく、一九世紀のパリや一九〇〇年前後のベルリンといった複数の都市の細部の回想=蒐集によって、ひとつの類推的都市のイメージを浮かび上がらせる、まったく別の道を示したのだと言えるだろう。『パサージュ論』に集積された引用は、いわば人類学者が採集した民話や神話にあたる膨大な資料体である。「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」ではさらに、ベンヤミン自身が都市の語り部を務めていた。こうした物語群によって形成される都市神話を、ロサンゼルスについてマイク・ディヴィスがおこなった分析(『要塞都市LA』)をはじめとする、ほかの諸々の都市をめぐる神話と比較対照させながら、或る原型の変容・変形によって生まれるヴァリエーションとしてそれらをとらえる試みが、これからなされるべき作業として残されている。固有名の記憶を残したまま、イメージとしてとらえられねばならない原型とは語義矛盾だろうか。しかし、同じ空間に複数の場所と時間が共存するのを見てしまう病的でさえありうる陶酔や、或る都市に無数の他都市との感性的・非感性的類似を発見してしまう模倣の能力が、類推的都市のこの形態学的探査には恐らく不可欠なのだ。
そしてこのすべてを覆うのはノスタルジアである。実在する故郷へ向けたノスタルジアではなく、どこにも帰るべきところはないことを自覚した根源的/根源へのノスタルジア。亡命者ベンヤミンが「予防接種」として意図的に呼び起こした幼年時代の思い出のように、もっとも強くノスタルジアを呼び醒ますイメージを通じて、われわれは自分自身に亡命を強いなければならないのかもしれない。アンドレイ・タルコフスキー監督の『ノスタルジア』、そのラストシーンをなす、イタリアにあるサンガルガノ修道院教会の廃墟の内部にロシアの草原が拡がり、雪の舞い落ちる光景は、そんな「亡命」を経験させる「根源」に触れていた。しかし、このイメージはいまだあまりに都市という場からは遠い。故郷としての都市を深く喪失すること──都市からの亡命。だが、すでに都市そのものが居場所を喪い、亡命の途上にあるのだとしたら? われわれのノスタルジアが向かうべき先はすでに、そんな亡命都市という、逃れ去る原型のイメージなのかもしれない。

4──三木成夫「人胎児の顔貌変化」より、 受胎後38日の頭部

4──三木成夫「人胎児の顔貌変化」より、
受胎後38日の頭部

5──ミツユビナマケモノ 出典=三木成夫『生命形態学序説── 根原形象とメタモルフォーゼ』(うぶすな書院、1992)

5──ミツユビナマケモノ
出典=三木成夫『生命形態学序説──
根原形象とメタモルフォーゼ』(うぶすな書院、1992)


6──ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタインと その姉たちの肖像の重ね焼き写真 出典=拙著『残像のなかの建築── モダニズムの〈終わり〉に』(未來社、1995)

6──ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタインと
その姉たちの肖像の重ね焼き写真
出典=拙著『残像のなかの建築──
モダニズムの〈終わり〉に』(未來社、1995)

7──アンンドレイ・タルコフスキー 『ノスタルジア』ポスター 出典=http://www.ucalgary.ca/~tstronds/ nostalghia.com/ThePosters/nostalghia/jap_nos.jpg

7──アンンドレイ・タルコフスキー
『ノスタルジア』ポスター
出典=http://www.ucalgary.ca/~tstronds/
nostalghia.com/ThePosters/nostalghia/jap_nos.jpg


★一──Bogdanovic': Die Stadt und die Zukunft. Klagenfurt: Wieser, 1997, S.55.
★二──Ibid., S.55.
★三──Aldo Rossi: Selected Writings and Projects, London:Architectural Design, 1983. pp.59-64参照。
★四──マンフレッド・タフーリ「これは都市ではない」(菊池誠訳『10+1』No.1、INAX出版、一九九四)一九七頁。
★五──ヴァルター・ベンヤミン「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」(『ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅』、浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫、一九九七)五六一頁。
★六──同、五六〇頁。
★七──同、四六九頁。
★八──同、四七〇頁。
★九──ミシェル・フーコー『これはパイプではない』(豊崎光一+清水正訳、哲学書房、一九八六)七一─七二頁。
★一〇──同、七三─七四頁。
★一一──ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論IV』(三島憲一ほか訳、岩波書店、一九九三)一七頁、断片番号N2a, 4。
★一二──同。
★一三──三木成夫『生命形態学序説──根原形象とメタモルフォーゼ』(うぶすな書院、一九九二)二三六─二三七頁。
★一四──同、二四六頁。
★一五──「家族的類似」については、ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン『哲学探究』(藤本隆志訳、大修館書店、一九七六)六八─七一頁、六五─六七節などを参照。カルロ・ギンズブルグは形態学的考察を歴史記述にどのように反映させるかという問題をめぐって、この概念を借用している。カルロ・ギンズブルグ『闇の歴史──サバトの解読』(竹山博英訳、せりか書房、一九九二)三三頁参照。
★一六──ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論III』(三島憲一ほか訳、岩波書店、一九九四)二一七頁、断片番号P1a,2。
★一七──ヴァルター・ベンヤミン「模倣の能力について」(『ベンヤミン・コレクションII エッセイの思想』、浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫、一九九六)七九頁。

*この原稿は加筆訂正を施し、『死者たちの都市へ』として単行本化されています。

>田中純(タナカ・ジュン)

1960年生
東京大学大学院総合文化研究科教授。表象文化論、思想史。

>『10+1』 No.28

特集=現代住宅の条件

>ポストモダン

狭義には、フランスの哲学者ジャン・フランソワ=リオタールによって提唱された時代区...

>マンフレッド・タフーリ

1935年 - 1994年
建築批評家、歴史家。

>ヴァルター・ベンヤミン

1892年 - 1940年
ドイツの文芸評論家。思想家。

>ミシェル・フーコー

1926年 - 1984年
フランスの哲学者。

>菊池誠(キクチ・マコト)

1953年 -
建築家。芝浦工業大学システム理工学部環境システム学科教授。