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ギブソンを再軍事化する | 榑沼範久
Re-Militarizing Gibson | Kurenuma Norihisa
掲載『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) pp.21-23

「エコロジカル」な視知覚論を組み上げていったジェームズ・J・ギブソン[図1]は、アメリカ合衆国の軍事研究に深く関与していた。この歴史的事実をあらためて思い出すことから、今回は始めてみたい。ギブソンの履歴に関して主に参照するのは、第二次世界大戦時にギブソンが主任(軍の階級では「大尉 Captain」、後に「少佐 Major」)として任務にあたっていた「陸軍航空軍心理学テスト・フィルム班(The Psychological Test Film Unit, Army Air Force)」についてのレポート★一。そして、網膜にマッピングされる刺激ではなく、環境の情報をベースにおいた「エコロジカル」な知覚論『The Senses Considered as Perceptual Systems』(一九六六)を刊行した翌年、ギブソンが『History of Psychology in Autobio-graphy』に寄せた「自伝」である★二。
一九四一年、アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦すると、ギブソンは「実験心理学者」として実務的貢献をはたすべくスミス・カレッジを離れ、四二年に設立された「知覚研究班(The Perceptual Research Unit)」と、翌年にそれを改組した「心理学テスト・フィルム班」を主導していった。陸軍航空軍司令部のある首都ワシントンに数カ月、「知覚研究班」を組織した軍事飛行訓練司令部のあるテキサスのフォートワースに一八カ月、そして「心理学テスト・フィルム班」が編成されたカリフォルニアのサンタ・アナ陸軍航空軍基地に二年半の滞在。当初の主な任務は軍事飛行パイロットになるための適性をテストし、候補者のなかから訓練生を選抜することだった。「一つの国民の生物学的な存在」の「生存」をかけてなされる「人口の生─政治学」時代の戦争、「住民全体が、彼らの生存の必要の名において殺し合うように訓練される」戦争が★三、大地と海洋に加えて空域で展開された第二次世界大戦のこと。軍事飛行に乗り出すのは、もはや長年の経験を積んだパイロットに限られなかった。ギブソンが語るところでも、合衆国の「大学生全員に匹敵するくらいの人口」が何かしら飛行訓練を受けていた時があったという。経験の蓄積ある個人ではなく、集合としての「人口」を軍事飛行パイロットとして訓練しなければならないという条件。ギブソンが従事した適性テスト実施の任務は、この歴史的な条件から要請されていたのである。
「まったく新しいアプローチ」の適性テストが必要とされたとギブソンが語るのもまた、この条件と関係がある。集合としての「人口」を軍事飛行パイロットにするためには、図形・色のパターンを使って個人の認知能力や心理をテストするよりも、「鳥や蜂ができる」動作(performances)──「軍事飛行のプラクティカルな問題はテイクオフとランディング、航空と目標認知、追撃と回避、そして攻撃目標に銃弾・爆弾の照準を合わせること」──を問題なくできる「人口」を選別する必要があるからだ。人間とその他の動物との差異が見出される、個人の認知能力や心理状態・心理傾向が問題の中心なのではない。人間=動物の集合としての「人口」のなかから、航空機に乗って「鳥や蜂ができる」動作を遂行できる集合を選別すればよい。
ギブソンはそこで映画を新たに使用することにした。陸軍航空軍映画班(The AAF Motion Picture Unit)がギブソンの指揮下に入った。軍事映画スタジオやハリウッドの設備──『底抜け極楽大騒動(BLOCK-HEADS)』(一九三八)などの作品で知られるハル・ローチ制作/監督のコメディ映画が撮影されたスタジオなど──を使って適性テスト用・軍事飛行訓練用のフィルムが撮影され、現像とプリントは軍事映画スタジオで行なわれた。「動的な視覚環境のなかで向きを保つ能力」を試すテスト、「二つの動くスポット(飛行機)のうち速いほうが遅いほうを追い抜く」相対速度の知覚能力を試すテスト、着陸時の動作に必要とされた「空間の視知覚」・「知覚の安定性」を試すテストなどが、映画を用いて実施されていった★四。ギブソンはこの経験によって映画制作のテクノロジーを熟知したと同時に、映画に媒介された知覚についても学ぶところがあったと語っている。しかし、依然として未解決なのは、「鳥や蜂ができる」動作──そして適性テストの結果、「若い男性のかなりの割合」が遂行可能であるとわかった動作──が、実際のところどのように行なわれているのかという問題だった。対象の運動(motion)の知覚、知覚者自身の運動(movement)の知覚、空間の知覚に関する従来の心理学説は、実験室内の装置をもとに形成されており、ここでは何の役にも立たないことがわかってきた。奥行知覚の問題にしても、従来のように絵画の遠近法による奥行や、一九世紀に流行したステレオスコープ[図2]に生じる奥行をもとに考えていたのでは、軍事飛行のプラクティスとはあまりにもかけ離れている。
かたや軍事飛行訓練用の装置[図3]は第二次世界大戦期に、映画と組み合わされたタイプも開発されていった★五。この装置の映画はどのように訓練生に必要な情報を与えているのだろうか。そして、軍事飛行のプラクティスに本当に必要な情報は何なのだろうか。それを理解しないことには、飛行時の情報を正確にシミュレートする装置を制作するのは難しいのではないか。戦争も終結に向かう頃、ついにギブソンは長らく関心を持っていた以上の問題に取り組むことになった。陸軍航空軍は軍事飛行訓練用の映画のみならず、未曾有のスケールでさまざまな訓練用の映画を制作・使用していたが──ギブソンによれば、兵士たちが米軍慰問協会の許可なく女の子たちをひっかけないように教育する映画もあったという──、軍事飛行訓練用の映画を含め、その効果のほどは誰もよくわかっていなかったのである。そこで「心理学テスト・フィルム班」が調査したところ、やはりテキストではなく映画を使ったほうが、軍事飛行訓練の習熟度は高いことが確認された。理由は明らかだとギブソンは言う。例えば、「動くプラットホーム(爆撃機)から、動く標的(戦闘機)を狙う」とき、「状況が変化するに応じて、行為も変化する」。テキストはこの変化の各段階を図示したり描写したりするにとどまるが、映画ならばこの「連続的な共変動(covariation)」を「見せてくれる」。映画ならば、パイロットの「視点」を仮構した「主観ショット」の映像を見せることもできる。
しかし、具体的にパイロットはどのような情報を用いて、「鳥や蜂ができる」軍事飛行の動作を可能にしているのだろうか。「空間のなかでの人間と動物の動作」は、どのような情報にもとづいて遂行されているのだろうか。この難問はギブソンから生涯離れることがなかった。第二次世界大戦終結後、ギブソンは研究報告書『Motion Picture Testing and Research』(一九四七)および、同じく戦時中の研究を活かした『The Perception of the Visual World』(一九五〇)を執筆。その後は、網膜にマッピングされる刺激という不十分な仮説を捨て、環境情報をベースにおいた知覚論を組み上げていくが、そのあいだ五〇年代から七〇年代半ばまでの長期にわたって、海軍(航空母艦・航空機を保有する)との契約のもとで運動知覚論を書き続けていった★六。また、一九七〇年には同じく海軍から援助を受けて、「エコロジカル」な光学に関する研究会議を開催し★七、そこで議論した「包囲光配列」の概念が最後の著書『生態学的視覚論』(一九七四)のコアになっていく。そしてギブソンは再び当時の経験を振り返りながら、軍事飛行やその訓練をめぐる難問へとアプローチしていったのである。

戦時中、私は青年たちに航空機の操縦を訓練する心理学者として、写真や映画に関心を持つようになった。(…中略…)どのように飛ぶかを言葉で伝えることはできない。試行錯誤で学ばせるわけにもいかない。実機を飛ばして操縦を真似させることはできるが、それは費用がかさむ。ならば、どのように飛ぶかを見せてやればよい。刺激状況をシミュレートすることができるならば、訓練生たちは墜落の危険なしに飛行を覚えることができるだろう★八。


ギブソンが展開しきれなかった映画/フライト・シミュレーターの視知覚論をギブソンの視点から構想しなおす試みは次回に譲るが、ここで最後に想起したいのは、ノーバート・ウィーナーとギブソンとの関係である。よく知られているようにウィーナーは第二次世界大戦期、敵国の航空機を撃墜する誘導ロケットの研究に従事していた★九。かたやギブソンの戦時中の任務は、自国の「大学生全員に匹敵するくらいの人口」を「墜落の危険なしに」飛行させるための研究だった。破壊殺戮とセキュリティ。この二人のアメリカ人の研究目的は、正反対を向いているようにも見える。しかし、「鳥や蜂ができる」動作を身につけて基地を安全に飛び立っていったパイロットたちも、誘導ロケットのごとく敵国の航空機を追撃・狙撃し(あるいは逆に追撃・狙撃され)、敵国の上空から爆弾を投下し、大量の「人口」を殺していったことに変わりはない。ウィーナーのみならずギブソンの研究もまた、「住民全体が、彼らの生存の必要の名において殺し合うように訓練される」「人口の生─政治学」を共有していたのであり、両者はその同じ歴史的な条件から要請された表面/裏面なのである。

1──James J. Gibson(California, 1945) 出典=Reasons for Realism.

1──James J. Gibson(California, 1945)
出典=Reasons for Realism.

2──David Brewsterが開発したステレオスコープ 出典=Nicholas J. Wade ed., Brewster and Wheatstone on Vision,  Experimental Psychology Society, Academic Press, 1983.

2──David Brewsterが開発したステレオスコープ
出典=Nicholas J. Wade ed., Brewster and Wheatstone on Vision,
Experimental Psychology Society, Academic Press, 1983.

3──第2次世界大戦期に大量生産された飛行訓練装置 出典=http://www.link.com/history.html

3──第2次世界大戦期に大量生産された飛行訓練装置
出典=http://www.link.com/history.html


★一──Staff, Psychological Test Film Unit, "History, Organization, and Research Activities of the Psychological Test Film Unit, Army Air Force", Psychological Bulletin, 1944, vol.41, pp.457-468. 
★二──James J. Gibson, "Autobiography", in E.G. Boring and G. Lindzey, eds., History of Psychology in Autobiography vol.5, 1967, reprinted in Edward Reed and Rebecca Jones, eds., Reasons for Realism: Selected Essays of James J. Gibson, Hillsdale, New Jersey: Lawrence Erlbaum Associates, 1982.
★三──ミシェル・フーコー『性の歴史──知への意志』(渡辺守章訳、新潮社、一九八六)一七三─七六頁。
★四──ギブソンへの言及はないものの、映画と飛行機の「視覚様式」の共時性/共犯性を指摘し、航空戦によって「戦争の視覚的現実に運動が内包されはじめた」と記したのは、ポール・ヴィリリオ『戦争と映画──知覚の兵站術』(石井直志+千葉文夫訳、平凡社、一九九九)である。
★五──二〇〇一年九月一一日までのフライト・シミュレーター小史については、拙論「フライト・シミュレーターのヴィジョン」(石塚久郎+鈴木晃仁編『身体医文化論I──感覚と欲望』慶応大学出版会、二〇〇二)四〇七─四三七頁。
★六──J・J・ギブソン『直接知覚論の根拠──ギブソン心理学論集』(エドワード・リード+レベッカ・ジョーンズ編、境敦史+河野哲也訳、勁草書房、二〇〇四)一二七頁。
★七──エレノア・J・ギブソン「原著への序」(J・J・ギブソン、前掲書)六─七頁。
★八──James J. Gibson, The Ecological Approach to Visual Perception, Hillsdale, New Jersey: Lawrence Erlbaum Associates, 1986 (first published 1979), p.273. 邦訳=J・J・ギブソン『生態学的視覚論』(古崎敬ほか訳、サイエンス社、一九八五、二八九頁)。強調は原著者、訳は引用者による。
★九──ノーバート=ウィーナー『サイバネティックス──動物と機械における制御と通信』(第二版池原止戈夫ほか訳、岩波書店、一九六二)六頁。

>榑沼範久(クレヌマ・ノリヒサ)

1968年生
横浜国立大学大学院都市イノベーション学府(建築都市文化専攻)・教育人間科学部(人間文化課程)准教授。表象文化論。

>『10+1』 No.38

特集=建築と書物──読むこと、書くこと、つくること

>ミシェル・フーコー

1926年 - 1984年
フランスの哲学者。

>知への意志

1986年