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八八二〇平米の書店(後編 施工監理から竣工、開業まで) | 松原弘典
The 8820-Square Meter Book Store (Part III) | Matsubara Hironori
掲載『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険, 2004年06月発行) pp.41-44

三回にわたって紹介してきた書店のプロジェクトの紹介も今回で竣工、開業に至る。九〇〇〇平米弱の書店内装の設計施工が、二〇〇三年の一月末に内装コンペの要項が発表されて一一月中旬には開業したわけだが、結局設計者選定まで二か月、設計+見積もり調整で四か月、施工で三か月、開店準備で一か月というスケジュールだったことになる。もし途中にSARS問題がなければ設計期間が二か月縮まって施工とオーヴァーラップしていただろう。このスケジュールが長いのか短いのか僕にはなんとも言えないけれど、自分自身にとってはかなり圧縮していろんな経験ができた仕事だった。

現場

着工後は隔日で週三日は半日ずつ現場に出るようにした。そのうち一回は定例会議である。現場には施主側から誰かしら詰めているほかは、ゼネコン(羅さんの会社)、サブコン各社、それから監理がいる。監理は施工監理であり、主に材料のクオリティチェックや隠蔽部の施工チェックをする。設計内容についてはとやかく言わない。直接彼らが僕と関係してくるのは、コンセントプレートの色はこれでいいかとか、天井板を規格板からどういうサイズで板取りするかとかそういう細かいところを確認しにくるくらいである。彼らをうまく活用すれば施工の安心度が増すことがわかった、それまで別のところで聞いていた中国の施工の第三者監理とは、設計監理ではないので建物をよくするという意識に欠けていて役に立たない、というものだったが、僕に言わせれば逆で、設計者が設計監理をきちんとやりさえすれば、施工監理は無色な存在なのでとても利用しやすい。きちんと理由を説明して味方につければ現場全体をこちらの望む方向に仕向けてくれるし、言いにくい工事のやり直しも、彼らを通すとゼネコンも従わざるを得ないのである。施主を説得するときにも味方につけておくと有効。こういうことがあった、一階床の石材の施工について僕は施工精度を考慮して石のコーナーは面取りし、目地もとるつもりだったのだけれど、監理は中国では眠り目地のほうが高級だしそうしたほうがいいという。どっちが見た目を優先しているかわからない話で通常は逆なのだろうけれども(普通は目地なしのほうが施工が難しいから監理もきらいそうなものだ)、この経験を通して監理も使いようだと思った。
それから今回の工事は、外部の工場で作ってきて最後に現場設置するものが多かった。書店だから基本的には部屋は少なく大空間で、現場は体育館のような大きな空間の床壁天井をしっかり作っておけばいいのである。そこに外から持ってきた書棚が一番最後に並べられる。だから竣工後の空間がどういうものなのかは最後まで完全にはイメージしきれないでいた。外部製作品を見るために今回は多くの工場視察をしたが、これは中国の建築現場をささえるサブコンの生産能力を確認するいい機会になった。数の多い一般書棚は三つの家具に分離して発注され、シャッターや防火戸は金属加工工場で作られた。それぞれを訪ねて製作過程を確認したのである。木工はかなりしっかりしたものが中国でも作れるが、金属工事は(外壁のカーテンウォールなどでもない限り)一般的に粗雑なのと、日本との一番の違いは制作図の作成能力だろうか。日本には小さなメーカーでも製図能力の高いところがあったりして建築家によっては指定業者に近い扱いを受けるところもある。しかし今回のこの仕事ではほとんどのメーカーは僕たちの描いた基本図のみでいきなり制作していた。それでも防火シャッターなどは制作図をメーカーに描かせたけれど、最低限許せるレヴェルまでもっていくのになんども描き直させて結構な手間がかかった。
施工はとにかく大急ぎで進められる。工程上は大面積を塗床で仕上げる設計だったので、床工事が工程上のクリティカル・パスで、床施工前に天井と壁を仕上げ終わっている必要があった、迅速な施工のために施主がとったのは罰金制である。各サブコンの工事が一日遅れるごとに二万元の罰金、というきまりが設けられた。そのほかにも例えば床の構造補強箇所に間違って天井下地インサート穴をあけたら一か所につき五〇〇元などの罰金措置もとられていたが、実際はこういう制度はうまく働かない。工事に遅れが出るのは単一のサブコンだけのせいではなかったりして責任の所在があいまいになるためだ。施主の側が逆に施工させるだけの条件付けをできないことで工事が遅れることも多く、実際はあまり有効ではなかった。
現場施工を見ていくと、それぞれの技術はそれなりにしっかりしていることに気づく。木工も手際がいいし、金属加工は現場外でやってくるが図面の通りほぼ作ってくる。ただ段取りが悪い。特に今回の内装工事外との取り合いがうまくとれない。設備工事が終わらないうちから内装工事にかからなくてはならない、室外機置き場が見つからなくて急遽眺めのよかったテラスをそれに転用する、シャッターを取り付けたあとで設備配管を通すことになって配管の迂回が生じる、などなど。さらに驚かされるのはその段取りの悪さに伴うやり直し工事もあたりまえのものとして受け入れられるという点である。だから一度施工したものをこわしてやり直させることに対して日本ほど抵抗がない。もちろん費用の面で誰かがどこかで泣いているのだろうけれども。人件費が安いからこそなせる技なのだろうか。
法規関係について言えば、いろんな人に設計の段階から図面を見てもらってアドヴァイスをもらっていたが、注意しなくてはいけなかったのは内装制限、防火区画くらいだった。天井ルーバーの素材にMDF板を考えていたのが可燃物で消防上問題だというので浅茶色のセメント板に変更したのと、区画についてはビルの引き渡し時の防火区画を変更しないかたちで防火シャッターと防火戸を再設置することでクリアした。工事中にも法規上で細かいことをいくつかサブコンから指摘されて設計変更したが大きい問題にはならなかった。すなわち巾木コンセントはだめでコンセント高さは床から三〇センチ以上とか、エスカレーター廻りの手すり高さは一二〇センチとか、分電盤の下端高さは一四〇センチ以上とかその程度のことだった。消防署への申請はこの工事に消火設備工事で入っていた業者が代理で行なっていた。こういうところに任せたほうがいつも役所とパイプがあるので話も通りやすいとか。建設委員会への工事許可、工商局への営業許可などは施主が直接当局と交渉していた。つまりわれわれ設計側やゼネコンはこのような申請関係には直接タッチしなかったことになる。
施工や材料のうえで日本と比較して困ったのは、建築金物の充実度くらい。特に防火戸は今回大型だったので特殊なドアクローザーやオートヒンジが欲しかったのだがいいものがなかったし、数量が少なかったのでケースハンドルなども入手できなかった。既製品の金物はまだ層が薄いなと思ったものである。ただ内部機構のない、簡単なレバーハンドルなどなら、絵を描いてこの通り作ってくれと言えばお金のことを気にせず特注が可能だったりする。このへんは中国の現場の楽しいところだ。

1──塗り床工事終了直後。 天井と壁はほぼ仕上っている。床は淡いグレーだが 天井板が映りこむくらい表面が平滑だった。 筆者撮影

1──塗り床工事終了直後。
天井と壁はほぼ仕上っている。床は淡いグレーだが
天井板が映りこむくらい表面が平滑だった。
筆者撮影

2──天井から吊り下げたサインのサンプル。 文字関係もほとんどすべてこちらで設計した。 アルミの5ミリ板に噴き付け塗装して 切り文字を貼ったもの 。 筆者撮影

2──天井から吊り下げたサインのサンプル。
文字関係もほとんどすべてこちらで設計した。
アルミの5ミリ板に噴き付け塗装して
切り文字を貼ったもの 。
筆者撮影

3──開店式典のようす。外部に仮設舞台を作っていた。舞台後方に「智恵の門」が作られて指導者がまずそこをくぐって中に入っていく。 そのあと他の人もそれに続く。 筆者撮影

3──開店式典のようす。外部に仮設舞台を作っていた。舞台後方に「智恵の門」が作られて指導者がまずそこをくぐって中に入っていく。
そのあと他の人もそれに続く。
筆者撮影

4──1階内観 撮影=曹揚

4──1階内観
撮影=曹揚

工事でのコミュニケーション、建設コスト

中国ではすべてはテーブルの下で決まるというが、そういう慣習が残っている部分も多くあるようだ。例えば建材販売業者のなかには露骨に設計者の僕にキックバックをちらつかせて自社製品の採用を迫る人たちもいた。ましてや僕と施主の関係がよいことを彼らが知ったりするとこのアプローチは露骨になる。ここまできて僕もやっとこの工事がかなり大きな仕事なのだということが実感できたくらいである。ただ事情も完全に呑み込めていない自分がこういう事態に巻き込まれるのは不安だったのでマージンははっきり断ることにした。実際のところ建材の選定は性能だけチェックして多くの建材はゼネコンにメーカーの最終決定をゆだねたので彼らのところでそういうやりとりがあったかもしれない。内装工事以外の設備工事(警備システム、音響設備など)をとりたい業者は施主に積極的にアプローチしていた、通常業者側は工事費の数パーセントをマージンとして発注側の責任者に「差し出す」のだという話もあちこちで聞いたが、それが実際あったのかはわからない。現金の授受は見えないがしかし飲み食いは相当なものである。工場に視察にいく度に会食がありお土産をもたされる。少し前の日本の現場もこうだったんでしょうが。しかし外部製作の書棚を郊外の工場に見に行くのはいいのだけれど、平日は渋滞がひどいからという理由で週末にし、三軒の工場をはしごしてその都度食べるというのもなかなか大変な「仕事」に見えた。施主は週末に休むという概念がなく、僕にも土日に何度も電話がかかってきた。
最終的な工事費は基本内装部分で平米一一〇〇元(床壁天井と長城家具含む)、その他のすべての営業設備込みで平米二五〇〇元(基本的内装部分に加えて七〇万冊分の一般書棚、空調、消防設備、サイン、什器などを含む)になった。特に基本部分一一〇〇元というのは商業スペースとしては比較的安い。床に石を使わないで塗料を使ったのが大きかったし、天井もごてごてした装飾がないのでだいぶコストが抑えられたと思われる。書店はこのビルの床を平米一万三〇〇〇(一─四階)から一万一〇〇〇(五階)元で購入しているから、用地取得からすべての工事、備品までで平米あたり一万三〇〇〇から一万五〇〇〇元程度の投資をしていることになる。

5──2階内観 撮影=曹揚

5──2階内観
撮影=曹揚

6──3階内観 撮影=曹揚

6──3階内観
撮影=曹揚

7──4階内観 撮影=曹揚

7──4階内観
撮影=曹揚

8──5階内観 筆者撮影

8──5階内観
筆者撮影

竣工と開業

竣工したのは一〇月二〇日、引き渡しの簡単なミーティングがあり鍵を渡したりしたけれども、実際の消防検査はその数日後になった。開業の準備で本をならべるのに一週間かかり、そのあと試験開業に入った。こちらではよくあることらしいが完璧の状態にして一気に開業するのでなく、まず広告も出さないで仮に開業して、営業時間も日中だけに短く設定して客を入れ、レジに問題はないか店員の対応は大丈夫かコンピュータがまわるかを試験的に試すのである。実際の客を使ってシミュレーションするというのはなんとも大らかだなあと思ったものである。この期間に北京市の宣伝部長がやってきて、いろいろ指導工作していった。こまかい修正、ガラスの衝突防止の処置、天井小口のエスカレーター周りにおけるふさぎ、書店内のみで持ち歩ける買い物バッグを準備することなどを言われた。宣伝部長にはだいぶ設計を気に入ってもらえたようで、彼からテレビ局や新聞社に「取材命令」が出て急速に広告準備が広められていった。
一一月六日が正式開業の日となり開店式典が開かれた。北京市や海淀区の指導者が来てテープカットして開業。報道も相次いで徐々に客足も伸び始めた。売上管理はすべてLAN上で販売記録と連動して確認できるようになっているのだが、試験開業中は一日一万元程度の売上が、正式開業して初めての週末では二日で五〇万元の売上、平日平均で一〇万元の売上を記録したという。来年末までに三〇万元まで引き上げるのが目標だとか。
開店直後はビルの供給電力が足りず空調運転ができないなどの問題もあったけれども、それもやがて解決して今では順調に営業している。ちょっとした空スペースを見つけては本棚を置きたいので図面を描いてくれというのが最後の最後まであったのには参ったが、最後まで意見を聞いてくれるのはありがたいとも思えた。正式開業して一か月ほどでほぼわれわれ設計側の手を離れた。
改めて内部を見回すと、やはり本が多いなあと思う。長城家具は最初に設置したときはなかなか目立ったけれども、本を置いてみると本に色があるのでよっぽどのことをしない限り目立たない。長城家具の存在を強調するためにそれにだけ色をつけて他の一般書棚は白くしたんだけれど、それでもやはり本の色がかなり主張するのだなあと実感した。それからこの書店に限らず、中国の大型書店はどれも同じ本が何十冊と一緒に店頭に並べられている。それは極端にバックヤードが少ないということとも関係している。例えば池袋のジュンク堂は自社のウエブサイトで六六〇〇平米の店舗面積に販売冊数一五〇万冊でこれはアジア一であるとうたっている。しかし面積だけ比べればこの本屋は販売床面積で七〇〇〇平米あり、そこには計画時でほぼ七〇万冊(最終的には九〇万冊まで増やす計画らしい)が並べられている。日本の書店のほうが面積に比べて冊数が多いのは、恐らくバックヤードに集密書架を持っていてあらゆる在庫がすぐ出てくるというところにあるのではないかと思う。しかし中国の書店の売り場を見るとわかるのだけれども、同じ本が山積みになって店頭に置かれていて、裏に倉庫はない。逆に言えば倉庫が売り場に露出しているのだ。店舗設計というより倉庫設計という考えのほうが中国の大型書店の内装にはふさわしかったのかもしれないと思ったものである。

今までの連載原稿は
http://members.aol.com/Hmhd2001
でご覧になれます。

>松原弘典(マツバラ・ヒロノリ)

1970年生
北京松原弘典建築設計公司主宰、慶應義塾大学SFC准教授。建築家。

>『10+1』 No.35

特集=建築の技法──19の建築的冒険