RUN BY LIXIL Publishingheader patron logo deviderLIXIL Corporation LOGO

HOME>BACKNUMBER>『10+1』 No.38>ARTICLE

>
自然の無関心──畠山直哉の鉱物的都市写真 | 田中純
Indifference of Nature: Mineral City Landscape of Naoya Hatakeyama | Tanaka Jun
掲載『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) pp.2-12

1 「都市とその起源」

写真家畠山直哉には、石灰石鉱山を扱った連作《ライム・ヒルズ》(一九八六─九〇)、《ライム・ワークス》(一九九一─九四)、《ブラスト》(一九九七─九九)がある。《ライム・ヒルズ》は採掘場、《ライム・ワークス》は石灰精製工場およびセメント工場を被写体とし、《ブラスト》は石灰岩の山をダイナマイトで爆破する瞬間を撮影している。
 《ライム・ヒルズ》のなかで石灰石鉱山は、黄昏時の赤みがかった光に包まれながら、運搬用ダンプカーの車輪の軌跡とライトの光跡とともに、削り取られて段状になった岩肌を晒している。高みから俯瞰された眺めには、ショベルカーをはじめとする工事用機械以外に、採掘の営みを行なう人影はほとんど認めることができない。規則正しく変形された山や台地、そして、明らかに人工的にできあがった湖の中央を貫く道路は、大地が巨大な規模でひとつの意志をもって変容されつつあることを示している。
写真家が俯瞰をやめて地表に接近するとき、カメラがとらえるのは、爆破され、削り取られ、剥離した石灰石の砕片が散らばる風景である。岩石の白茶気た色合いに黄昏色が重ねられてゆく。カスパー・ダヴィッド・フリードリヒの《氷海》を連想させる岩を撮影した写真に漂うものもまた、自然の崇高さというよりは、黄昏という移ろいゆく時間のあわいで揺れる、大地の震えのような何かだ。
一方、太いダクトがにわかには理解困難な複雑さで縦横に走る様子をとらえた《ライム・ワークス》の工場群もまた、黄昏ないし薄暗闇のなかにある。工場の内部から漏れてくる電光は、設備が稼働中であることを推測させるものの、ここにも人けを感じさせたり、生産活動を明示したりする要素はない。そこでは、石灰石を精製しセメントを製造する巨大なメカニズムが、多くは横長の構図のなかに俯瞰撮影によって収められている。工場群はいずれも古びて見え、ダクトは計画的に配置されているというよりも、むしろその場その場の必要に応じて継ぎ足されていったような印象を与えており、全体が時間をかけて自然に生成したひとつの機械、ないしひとつの都市にも似て見える。そこに感じとれるのは個々の人間の営みではなく、工場自体がダクトという触手を延ばし、今にも動き出そうとしているかのようだ。その内部写真は、だから、あたかも巨大な動物の体内を思わせるのである。石灰の白い粉をかぶった機械や階段、ダクト類は、さながら化石化した太古の巨大生物の骨格である。
畠山は、日本が石灰石の国であることを知ってから、都市の景観の意味が自分にとって少し変化した、と言う。石灰石は日本国内で自給可能な数少ない資源であり、年間約二億トンが全国各地の鉱山から切り出され、半分はセメントに、残りの半分は鉄やガラス、紙、インクなどに姿を変えて日常生活に入り込んでいる。この知識によって、都市の道路や建築の眺めに鉱山や工場の光景の記憶が二重写しになる。石灰石は何億年も昔に海底に降り積もった海中生物の化石が鉱物化したものにほかならないのだから、コンクリートの質感のなかに、「二億年から四億年も前に、赤道のそばの暖かな海で暮らしていたサンゴやフズリナの名残を感じる」★一ことができても不思議はない。フズリナ(紡錘虫)、サンゴ、有孔虫、石灰藻、ウミユリ、二枚貝などの堆積した化石は、プレートの移動によって日本の近くにまで運ばれて隆起し、水に浸蝕されて石灰石の山を形成したのである。
羽田空港から乗ったモノレールの車中で写真家はこんな夢想に耽る。

モノレールの窓に額を押しつけたまま、僕の妄想はふくらむ。遙か地平線まで続くコンクリートのビルや道路が、すべてあの山々から掘り出した石灰石を原料としているなら、このビルや道路をすべて擦りつぶし、その膨大な量の炭酸カルシウムを慎重に元の場所に返してやれば、最後のスプーン一杯で、以前の山の稜線は、ぴったりと復元されることになるだろう。鉱山と都市はまるで写真のネガとポジのようなものだ★二。


石灰石の鉱山は日ごとに削り取られて姿を消してゆく。その消滅と引き替えに、都市にはコンクリートの塊であるビルや道路が増殖する。鉱山の消滅という「ネガ」を反転させたところに、都市風景という「ポジ」が浮かび上がる。写真のネガ・ポジ法を発見したW・H・フォックス・タルボットの博物館で一九九四年に鉱山の連作による個展を開いたとき、畠山はその副題として「都市とその起源」と名づけたという★三。
この写真家が高層ビルから俯瞰撮影した東京の風景を、《ライム・ヒルズ》に対する、そんな「ポジ」と見なすことができるかもしれない。これは一九八九年から続けられている連作で、いくつかある撮影地点(一部は横浜)からの定点観測写真という性格をもつ。ただ、それぞれが撮影された季節や天候、時間などが違うため、写真の色合いや表情はかなり異なっている。展覧会では、同じ大きさの横長の写真が、縦七点、横一〇点ずつ、かなり間隔を狭めて整然と並べられた。同じ地点で撮影された写真同士を比較して、時間の流れにともなう変化を発見することもできないことではない。しかし、写真家がとらえようとしているのはそれよりもむしろ、「過去に執着しない」都市・東京の表層をなして流れるように変化しながら同一にとどまる「都市の肌理」★四である。
これらの写真について畠山は、一〇キロ四方の都市景観をなす細かな直線の集積が、カメラのピントグラスや自分の網膜のうえで、正確にミクロな投影像になっているという事実がもつ不思議さを語っている。巨大な都市のなかに身を置く写真家のカメラないし彼自身の網膜に、その都市の一部が光学的に結像している。ここには入れ子構造の不可思議さがある。そして、七〇枚のパネルによる展示方法もまた、全体で形成する「都市の肌理」の内部にそのミニチュアがあるかのような、入れ子に似た印象を与えている。
生物の皮膚は新陳代謝を繰り返しながら同一性を保つ。東京のような巨大都市もまた、建築物や道路などの破壊と建設を反復しながら、総体としてはほぼ同一のもののままにとどまる。「肌理」という言葉が示唆しているのは、変化しながら同一性を保持する、都市のそんな性格だろう。一〇年以上の時間をかけて撮影されながら肌理をほとんど変えずにいる都市の表情は、発破の瞬間を一気に三六枚の写真に定着したなかから選ばれた《ブラスト》における石灰岩の表情とはきわめて対照的で、両者はその時間性においても、ポジとネガの関係をなしているように思われる。
このように鋭い対照をなしながらそこに共通するものがあるとすれば、それは石灰石鉱山と都市の両者を「自然」としてとらえる写真家のまなざしである。ここで言う「自然」について、畠山は写真集『Underground』(二〇〇〇)のなかでこんな定義を与えている。

きっと「自然」とは、人間の精神に対して徹底的に無関心を装うものたちに、僕たちの先人が、最後にどうしようもない気持ちになって与えた言葉なのだ。空も山も水も光も、そして写真さえも、人間に対して無関心で、僕たちをどうしようもない無力感にいざなおうからこそ「自然」と呼ばれているのだろう★五。


この写真家がこうした無力感を感じたのは、サハラ砂漠の巨大な砂丘のうえに立ったとき、アラスカの雪原をセスナ機から見下ろしたとき、沖縄の深い海を溺れかけながら覗きこんだとき、そして、東京のただなかの暗渠に入り込み、真っ暗闇の世界のなかで光を必要としているのが自分ひとりだけであることに気づいた瞬間だった。暗渠という洞窟の世界は光などなくともずっと「ここにある」。それなのに、自分はこの世界にある以外の何かを必要としているがゆえに、ここでは完全な部外者であるしかない。
闇のなかの生物、事物にとって、光を通して見出され写真に定着された色彩やフォルムなど、実はどうでもいいものだろう。光が去れば、それらは幻のように消失してしまうのだから。この暗闇に光を持ち込むことは、「人間」をそこに投影しようとすることにほかならない。けれど、写真家の無力感はその投影が挫折していることを告げている。「自然」はその挫折の地点に出現する、と畠山は言う。「その瞬間の「自然」の姿が、たとえ畏れや美や崇高や癒しに満ちていたとしても、それは闇の中の事物が一瞬あらわすフォルムや色彩と同じように、「自然」自身にとっては、どうでもいいことだろう」★六。
『Underground』に先立つ《川の連作》(一九九三─九四)で畠山は、コンクリートによって固められた東京都心の川に降り立って、そこから見える風景を撮影している。コンクリート護岸が垂直から斜面になる高さにカメラの眼の位置が合わされ、その水平線を境界にして上下が等しくなるほぼ一対二の縦長の構図であるため、これらの写真は世界がちょうど二分されてしまったかのような印象を与える。川底は地上から五メートル降りただけなのに、「何光年も離れた別の場所」にいるかのようだった、と畠山は書いている。

見上げると地上のビルたちは遠く、郷愁をたたえながら光っている。宇宙飛行士が地球の夜の半球に、都市の灯りを認める時にも、こんな気持ちになるのだろうか★七。


川底に降り立つだけで、写真家は都市を遠く離脱し、宇宙飛行士が惑星地球を見るようなまなざしを獲得している。写真を二等分する水平線は、「郷愁」を喚起するほどに遠い、この隔たりの刻印なのだ。
そんな連作のなかに、黒々とした暗渠の入り口がぽっかりと開いた一枚がある。川を撮影していたときには恐くて近づかなかったというこの暗渠の写真を見つめ直した畠山は、ブラックホールに誘い込まれるようにして、暗渠に足を踏み入れることを決める★八。灯りも持たずに暗渠を進んでいった先に彼が経験したのは、弾力のある「壁」のような何かだったという。その「壁」とは「暗さ」そのものだった。目を開けているのにつぶったままであるかのような感じ。目に見えないことで、足元の水も両手両足も、そして、自分の存在自体までもがあやふやになる。それゆえ、自分の身体と空間を取り戻すために、写真家はどうしても光を必要とした★九。けれど、それは彼がこの世界にとっては部外者であることの証明にほかならなかった。
暗渠の写真では、トンネルの中心に据えられた、三脚に載った光源そのものが撮影されている。それによって、この世界にとって光源は異物であることがはっきりと示されている。洞窟の壁面、そこに棲息するネズミ、コウモリ、昆虫、小魚といった動物たち、水中・水面で増殖したカビや汚泥や七色の油の膜、そして、正体の定かでない色とりどりの異形のものたちは、そんな光を必要とはしていない。闇を照らす光によって、そこをいわば「人間化」しようとする営みは、彼らの「無関心」の前に挫折する。
それはこの暗渠が「自然」であるということにほかならない。そこに生きる生命体ばかりが「自然」なのではない。コンクリートの暗渠という構造体もまた「自然」である。畠山は秋芳洞で地元の博物館館長にカビの写真を見せてもらったという。そのカビは洞窟に棲むコウモリの糞に生えるものだった。それを見た畠山は、自分が渋谷の暗渠で撮影したドブネズミの糞に生えたカビがまったく同じものであることに気づく★一〇。秋芳洞のうえには石灰石の台地が拡がり、渋谷の地下水路のうえには何十万もの人間が動き回る都市があるという違いはあっても、暗渠のトンネルは秋芳洞と同じカビを生み出す「自然」である。さらに、コンクリートで造られた都市の洞窟はそもそも、秋芳洞同様、石灰石の記憶、つまり、サンゴやフズリナの名残を孕んでいた。写真家は川底から暗渠へと進み入ることで、都市のただなかにありながら、地球を遠望する宇宙飛行士よりもはるかに遠い「自然」──そこはキンメリオイ族の住む暗黒の国、スティクスの流れる冥府である──へと迷い込んでゆく。
こうした「自然」は、美や崇高、あるいは癒しといった「人間」の精神作用とはまったく無関係である。そこにあるのは単に、人間に対する「無関心」だけなのだから。この点で畠山の一種の風景写真は、「ニュー・トポグラフィックス」以降の写真の感性に連なっていると見ることができそうに思われる。「ニュー・トポグラフィックス」は一九七五年にジョージ・イーストマン・ハウス国際写真博物館で開催された写真展であり、「人間が変えた風景の写真」という副題が付けられていた。この展覧会にはロバート・アダムスやルイス・ボルツをはじめとする一〇人の写真家の作品が展示された。
そこに共通するスタイルとしては、ロマンティックに理想化された自然美を強調する伝統的な風景写真に対する批判としての、ある種の科学的な客観性への志向があげられる。「トポグラフィックス」という名称自体がそれを示している。同じ方向性をもった活動としては、地質調査の経験をもつ写真家マーク・クレットを中心として一九七七年に開始された再撮影プロジェクト(RSP)がある。これは、一八六〇年代から八〇年代にかけてのアメリカ西部開拓時代に、合衆国地質調査局の指揮のもと、写真家ティモシー・オサリヴァンらの調査隊によって撮られた膨大な風景写真を、オリジナルと同じ位置、季節、時間で再撮影しようとする試みであった。RSPは三年間で一二〇点におよぶ写真を再撮影している★一一。
この再撮影プロジェクトは大きな困難をともなった。一〇〇年前と同じ撮影位置、同じアングル、同じ視界を作り出すためには、ポラロイド・カメラで何度も確認したうえで、一カ所につき一〇─一五点の撮影が必要だった。さらに、一九世紀に使われたプリント用の鶏卵紙は台紙へのマウントの際に収縮しやすかったため、それによる歪みが正確なレンズの選択を妨げたともいう。再撮影の過程では、一九世紀の写真家たちが二重焼き付けなどによって写真に加工していた可能性も発見された。
厳密に同じ条件下で再撮影を行なおうとするこうした試みが、いまだフロンティアの存在した過去へのノスタルジアを払拭して主観を交えずに、同一の景観における一〇〇年前と現在との差異を浮かび上がらせようとしていることは見てとりやすい。だが、このように手間をかけて風景への視点を正確に一致させようとする欲望には、こうした意図だけにはとどまらない、別の由来が存在するように思われる。
この点に関連して、ロザリンド・クラウスは、オサリヴァンの写真は一九世紀には出版されておらず、一般に流通したのは立体写真という媒体のみによってであった、という興味深い事実に注意を喚起している★一二。立体写真によってもたらされる視空間では、奥行きの遠近がきわめて強調される。ステレオスコープという光学装置を介するために、観る者の視野が周囲から遮断されることによって、この深い奥行きの感じはよりいっそう強められる。さらに立体写真の撮影者たちは、空間の収束する中心を決定するような対象を前景ないし中景に設けることで、奥行きを意図的に誇張することも行なった。
クラウスによれば、一九世紀後半の当時、立体写真によるこのような視覚経験の核心は「眺め(view)」という言葉で表わされていた。「立体写真(ステレオグラフィ)」とは「立体眺望図(ステレオ・ヴュー)」にほかならなかった。オサリヴァンらも自分たちの撮影した写真について、この「眺め」という言葉を多用している。彼ら写真家たちにとって重要だったのは、主観的に把握された「風景」ではなく、自然の客観的現われとしての「眺め」だった。芸術家のような媒介者なしに、自然現象としての景観が、そのまま見る者の前に現われることが必要だった。そして、「眺め」において奥行きと焦点が強調されることにより、中心となる場所は際だたせられ、ある驚くべき特異な対象、ひとつの「名所」と化していったのである★一三。
さらに、こうした眺めの数々は、個々の特異な場が秩序づけられて配置される地理学的体系を要請した。そのような地理学的空間は立体眺望図を保管するキャビネットという家具のかたちで実体化し、公立図書館や中流家庭に備え付けられたという。

眺めの空間性とその強烈な深度は、その主題もまた空間である、より抽象的な一個の体系の感覚モデルとして働く。眺めと土地測量は相互規定的であり相互連関したものなのだ★一四。


眺めは地理学との関係のなかで一貫した言説空間を形成していた。その空間は立体写真という媒体、ステレオスコープという装置、眺めの「著作権」をめぐる法的制度(「作者としての資格」は写真家ではなく出版社に帰属させられた)、保存のためのファイル・キャビネットといった要素からなり、総体として地理学的秩序のひとつのイメージを構成していた。RSPは、空間的にも時間的にも特異な一地点として限定された眺めを正確に再現しようとすることによって、ロマンティックに主観化された(「人間」の投影された)風景写真の美学的言説空間とは異なる、この地理学的言説空間のなかにみずからを位置づけようとしたのだと言えるかもしれない。だが、見方を変えれば、オサリヴァンたちの写真が「名所」を強調して特異点化する「眺め」であったからこそ、RSPのように厳密な反復的再演を強力に誘起したと言うべきだろう。まったく同じ地点から同じ条件で撮影することが多大な意味をもったのは、オリジナルの写真によって提示されていた対象が、主観に左右されない特異な「眺め」だったからなのである。
もちろん、この再演は批評性を意図している。一九世紀の地理学的写真が、科学的なプログラムばかりではなく、鉱物資源調査という産業的プログラムからも生み出されており、征服と移民と開拓を推し進めるための資料かつ宣伝手段であったのに対して、RSPの再撮影写真は、まったく同じ眺めであるはずの景観における差異を通して、百年という時間の経過による変化の意味を反省させずにはおかない。つまり、そこでは自然が歴史的な時間のなかへと引きずり込まれているのだ。そのとき、アメリカ西部の大自然もまた、「汚れなき」ものであることを許されずに、否応なく姿を変えて、いわば衰退していることが示される。すでに人間の手が入り、「汚れなき」ものではなくなっている日常の自然景観にカメラを向けた「ニュー・トポグラフィックス」展のアダムスやボルツの写真もまた、そうした風景が日々破壊されてゆくプロセスへの危機感を背後に漂わせていた。一九七〇年代半ば以降のこうした風景写真が、「批評的風景(Critical Landscape)」と呼ばれる所以である。

1──畠山直哉《ライム・ヒルズ》より 出典=『Lime Works』

1──畠山直哉《ライム・ヒルズ》より
出典=『Lime Works』

2──同《ライム・ワークス》より 出典=『Lime Works』

2──同《ライム・ワークス》より
出典=『Lime Works』


3──同《ブラスト》より 出典=写真展カタログ『畠山直哉』

3──同《ブラスト》より
出典=写真展カタログ『畠山直哉』

4──同《タイトルなし  1989─2001》 出典=写真展カタログ『畠山直哉』

4──同《タイトルなし  1989─2001》
出典=写真展カタログ『畠山直哉』

5──畠山直哉『Underground』より 出典=『Underground』

5──畠山直哉『Underground』より
出典=『Underground』

6──同《川の連作》より 出典=『Underground』

6──同《川の連作》より
出典=『Underground』

7──ティモシー・オサリヴァン《岩累層、ピラミッド湖、ネヴァダ州》(1867) 出典=http://www.thirdview.org/3v/home/index.html

7──ティモシー・オサリヴァン《岩累層、ピラミッド湖、ネヴァダ州》(1867)
出典=http://www.thirdview.org/3v/home/index.html

8──マーク・クレット(RSP)《ピラミッド島、ピラミッド湖、ネヴァダ州》(1979) 出典=http://www.thirdview.org/3v/home/index.html

8──マーク・クレット(RSP)《ピラミッド島、ピラミッド湖、ネヴァダ州》(1979)
出典=http://www.thirdview.org/3v/home/index.html

2 自然史的都市のフラジリティ

さて、ではこうした動向はそもそも何に由来するのだろうか。「ニュー・トポグラフィックス」以後の風景写真を論じた文章で加藤典洋は、まず「風景の起源」について取り上げ、そこには二つの考え方があると述べる。ひとつは近代的な「内面」をもった人間が登場したことにともなって、それと対になる、人間的な要素が取り除かれた場としての「風景」が発見されたとする考え方である。もうひとつは、カメラ・オブスキュラが具現しているような遠近法的な認識の装置、広義の写真装置が「風景」を形成し、さらにそれが「内面」を成立させた、という考え方だ★一五。
加藤は風景・人間・写真からなるこのトライアングルにまつわる二つの考え方のいずれが正しいのかは確証できないとしたうえで、風景写真それ自体から出発した議論に移っている。しかし、われわれはここで、これら対照的な二つの考え方からひとつの共通項を取り出すことができそうに思われる。それはいずれにおいても、風景から人間的な要素が原則的には取り除かれているという点だ。そして、このような風景と人間との排他的対峙の構図を如実に体現しているのが写真装置なのである。
畠山もまた、自然と人間とのあいだに存在する同様の排他的構造について、写真集『Lime Works』所収の文章で語っている。「僕たちは光景の中に人間の痕跡が認められる限り、それを自然と呼ぶことをためらい、その光景から人間に関することを排除したいと願うだろう」★一六。人間は自然のなかにではなく、その自然を外側から眺めている眼として存在している。そして、「写真の近代的な作法」とは、そんな自然との関係と同じく、「対象世界への不参加」★一七に基づいている。では、写真家はそうした不参加の状態のまま、自然を撮影していればよいのか。『Lime Works』の段階で畠山は逡巡しているように見える。「写真という媒体だけが、内と外の境界を時として自由に行き来する」「人間精神と物理世界とが交流する場」★一八であるがゆえに、「あちら側」の自然にゆくことはできなくとも、写真という媒体に参加することはできるだろう、と彼は言う。この、どこか限界を意識したつぶやきが、逡巡の表われのように思われるのだ。
ここで「ニュー・トポグラフィックス」展に参加した写真家ルイス・ボルツの活動をたどった加藤の分析を参照しておきたい。加藤はボルツの写真に「能動的な中立性の創出」★一九を見る。それは写真から情緒・芸術・モラルを消去することだ。その結果、意味を抜き去られ、中立化されたものとして、ボルツの「風景」が生み出される。
加藤がボルツの写真に見出したこの「能動的な中立性の創出」とは、カントが趣味判断のための条件とした、「無関心」において観照するという態度にほかならない。ただし、そこでは真か偽かをめぐる認識的な関心や、善か悪かという道徳的な関心のほかに、芸術性をめぐる美的関心も括弧に入れられてしまう。加藤の分析を受けて言えば、ボルツの「風景」を成り立たせていたのは、こうした意識的な括弧入れによって、多様な関心が積極的に放棄される「能動性」の強度であったに違いない。そのような放棄が困難であればあるほど、主観の能動性自体が「快」とされるわけである。これはカントの『判断力批判』における趣味判断や崇高性をめぐる議論と同じく、あくまで主観を中心にした美学であったと言わなければならない。
しかし、一九九〇年代に入ると、脱意味化や中立化による「風景」化への衝迫がボルツから消える。都市化と開発によって荒廃した風景へと駆り立てられていたこの写真家は、「犯行現場」を克明に記録する「科学捜査官の態度」から、「非犯行現場」を記録する「科学捜査官であることを知られまいとする態度」★二〇に近づいていった、と加藤は巧みに指摘する。個々の作品から個性を剥奪するための集合写真の試み(『パーク・シティ』一九八〇)や作品の断片化(『キャンドル・スティック・ポイント』一九八八)がその過程を示しているが、とりわけ『サン・クエンティン・ポイント』(一九八六)におけるピンナップ雑誌のありふれた写真をそのまま撮した一枚に、加藤は「ほんらい肉迫できないものをよりにもよって選んでそこに不可能な肉迫を試みざるをえない」★二一ボルツの方法が陥るジレンマの端的な表われを見出している。
ボルツの写真の変質がどこからもたらされたのかについて、アメリカのフロンティアがもはや現実にも幻想としても消え失せたという事態によるのか、ボルツが先のジレンマに窮したという理由によるのか、加藤はそのいずれとも確言しない。しかし、ひとつの事実として注目すべきは、もはや「能動的な中立性」(加藤はそれを「中間的なもの」と呼ぶ)が終わっている、ということである。それによってボルツにとっての「風景」も消えた。
一九九三年の段階で加藤が同時代の風景写真に認めていたものもまた、もはや中立化すべきものが存在しないがゆえに、中立化は起こりえないという事態だった。それは「風景」の終わりを意味する。ホテルの一階と二階の同型の部屋にそれぞれ互いを観察するカメラを設置するという、ボルツの実現しなかった企画に言及して、加藤は次のように述べている。

簡単にいえば彼はこう言っている。「風景は終わった」。風景は見る者と見られる者の関係の固定化を前提としているが、自分は見る者としての特権性を棄てる、と。写真は見ることの特権性に安住してきたのが、その特権性こそが、いま「風景の終り」で問われているのだと★二二。


そこに加藤はボルツにおける「態度の変更」を見る。今までボルツは写真によって世界を見て、そこでつかまれたのが彼の「風景」だった。その「風景」が終わるとき、「彼は世界のほうから、世界によって写真を見ている」★二三。ただし加藤は、見る(監視)と見られる(スペクタクル)の関係をめぐる弁証法へと向かうこの方向性をボルツと共有しようとはしない。それは「写真が写真の場所で見つける答え」★二四ではないからだ。ベケットの「想像力は死んだ、想像せよ」という言葉に倣い、「風景の終わり」にあたって、なお撮影することにしか、「写真の場所」はない、と加藤は結論づける。
ボルツのジレンマとは、畠山が言う「写真の近代的作法」のそれであると言ってよい。一言で言って、それはモダニズムの純粋化の論理である(したがって、その点だけを取り上げれば、とくに目新しいものではないし、この論理の徹底化がボルツの場合のように破綻を来たすのも何ら特別な事例ではない)。ボルツはこの作法を徹底させた、風景の中立化の果てに、見る者としての特権性を棄てるにいたった。ボルツのこうした「態度の変更」に関する加藤の評価が正しかったかどうかについての判断は措く。写真家ではない加藤自身が「写真が写真の場所で見つける答え」を積極的に提示していない点もことさら問うべき問題ではあるまい。
しかし、ひとつだけ確実に言えることとして、畠山の『Underground』を眼にしたわれわれにとっては、ボルツが「風景の終わり」ののちにいたった「世界」とは、依然としてひどく「人間的」なものに見えてしまう。その「世界」からは、人間に見られることになどまったく無関心な「自然」が抜け落ちているのだ。『Lime Works』における畠山もまた、「見る者と見られる者の関係の固定化」という問題に突き当たっていた。だが、『Underground』でこの写真家は、「自然」の「無関心」を前にした挫折と無力感を通して、自然が人間などまったく見ていないこと、人間によって見られようが見られまいがどうでもよいこと、つまり、「見る者と見られる者の関係」などという問題それ自体がきわめて人間的な関心事でしかないことを示しえたように思われる。自然の「無関心」の前では、人間自身が括弧に入れられてしまうのである。
畠山が「自然のほうから、自然によって写真を見ている」とは言わない。そんなことは不可能だ。自然は「あちら側」にとどまる。けれど、「人間が変えた風景」といった前提のもとに、実は「汚れなき自然」をいまだどこかフロンティアのように幻想している写真家たちではなく、都市の人工的な景観をかたちづくるコンクリートそれ自体に「自然」の肌触りを感知する写真家のほうが、写真自体が組み込まれている自然史的なプロセスについて自覚的であったことは確かだろう。そして、その「自然」の無関心は、「見る者と見られる者の関係」をめぐる逡巡など、宙吊りにしてしまう。
畠山の写真では都市もまた自然史的な産物としてとらえられている。鉱山と都市とが写真のネガとポジであるとすれば、石灰石鉱山の連作もまた一種の都市写真であり、それは東京の俯瞰撮影写真や暗渠の写真と対になって、都市という生命体の生成と新陳代謝の過程を自然史として記録しているのである。一九世紀の地理学的「眺め」を特徴づけていた「特異性(singularity)」の観念について、バーバラ・スタッフォードは「地質学的現象──鉱物界のもろもろの標本を含めたもっとも広い意味で──が風景形態を構成し、そこで自然史が美的表現を見出すということ」、および、「真の歴史は自然史であるという発想は、自然物を人間の支配から解放する」という点を指摘している。そうした発想はついには、こんな見解をも生むようになる。

自然の歴史化の最終段階においては、歴史の所産が自然化されるだろう。一七八九年にドイツの《識者サヴアン》ザームエル・ヴィッテは(…中略…)エジプトのピラミッドを玄武岩の噴火によるものだと断定して、自然の一部と見倣し、そしてまたペルセポリス、バールベック、パルミラの遺跡も、アグリジェントのジュピター神殿やペルーのインカ帝国の宮殿同様、リチウムの露出と同定した★二五。


それは、ベンヤミンがドイツ・バロックの演劇に見出していた、自然と歴史とが交錯する過程としての自然史的な認識である。自然の歴史性を顕在化させる試みとしては、RSPによるアメリカ西部の「眺め」の再現が思い浮かぶ。一方、都市という歴史的な産物を自然物として観照するまなざしが、歴史をあたかも自然の腐朽過程であるかのようにとらえるといった事態については、たとえば一九八〇年代の東京における路上観察を実例としてあげることができる★二六。
「自然という廃墟」や「腐朽してゆく都市」について語ることはもはやありふれた振る舞いかもしれない。だが、ここでいま一度、都市への自然史的なまなざしに注目してみたいのは、それがもはや人間をはじめとする有機的な生命のスケールで測られるような時間によってではなく、鉱物の生成と変成からなる地質学的な時間に根ざしているからである。畠山による石灰石鉱山の連作や暗渠写真は、都市に流れる時間を一挙に何億年も昔の海中生物たちの世界にまで遡行させる。石灰石鉱山というネガと都市というポジが対になったところに浮かび上がるものとは、そんなあらたな都市神話、いや一種の都市の地質学である。
圧倒的な「自然の無関心」に直面している点で、畠山の写真は「ニュー・トポグラフィックス」やRSPよりも、西部開拓時代の地理学的「眺め」の写真におそらく近い。それは都市の「起源」を石灰石鉱山に探り、都市における未開拓の自然を暗渠の暗闇のなかに見出そうとしている。この写真家の身ぶりは、カメラを通じてフロンティアを記録する調査隊のそれである。石灰石鉱山に都市の俯瞰、あるいは川の連作や暗渠写真といったように、一見したところ多岐にわたるその営みは、芸術よりも、むしろ科学技術や産業と深く結びついた言説空間のなかに位置づけられるべきであり、一九世紀の風景写真に似て、全体として現代都市の地理学的ないし地質学的秩序のイメージを構成するものではないだろうか。ただし、オサリヴァンらの写真と大きく異なるのは、そこでは都市こそが深く探検すべきあらたな自然と見なされている点と、さらには写真さえもが、そんな無関心な自然の一部と自覚されている点である。
東京を流れる川に降り立つだけで、何光年も離れた宇宙空間にいるかのような別世界が出現する。未知の宇宙は都会の脚下に拡がっている。ドブネズミの糞に生えた、溶かしたガラスを空中に何度も引き延ばしたような細い糸状のカビ、「光を当てるとガラスのようにキラキラと光るこのカビは、自分がそんな美しい姿をしているということを、知らないままだ」★二七。自然は自分自身の美しさに徹底して無関心だ。ここには人間を途方に暮れさせてしまうような何かがある。
この「どうしようもない無力感」をなんと名づけよう。それは「能動的な中立性」の対極にあるような、かぎりない弱さの自覚にほかならない。無関心な自然に人間が美を見出すことがあったとしても、それは闇のなかで一瞬写真に定着された色彩やフォルムのように、つかの間の、はかないものでしかない。か細く白い綿毛のようなカビの美しさは、自然を前にした人間の挫折、弱さ、何らかの欠如と対になっている。何が欠けているのか。何よりもまず、われわれには「自然」とのつながりが欠けている。なぜならそれはそもそも、われわれに対して無関心な存在と定義されていたのだから。
無関心な自然をたまさか記録した写真に把捉された何か、それをフラジリティと呼んでしまってよいかもしれない。自然そのものがはかなく、もろいのではない。自然の無関心との遭遇という出来事こそがフラジャイルなのだ。稲垣足穂はこう語ったという。

結局は、そもそも天体がな、フラギリテートなんですね。それはね、無関心というものの広大な原郷やということです★二八。


東京の暗渠に発見された「自然」とは、そんな「原郷」としての異なる天体ではなかったか。川底から見上げたビルの灯りに認められたものは、地球上にありながら地上の都市からは何光年も遠いこの天体にいて覚える、足穂の言う「宇宙的郷愁」だろうか。
畠山は写真という「人間精神と物理世界とが交流する場」を通して、地上の天体で生成消滅する、はかなくももろく、かすかな出来事をとらえるための、きわめて繊細な科学実験を行なっているのだ。それは、写真が「内と外の境界を時として自由に行き来する」ことのできる境界性に敏感な媒体だからこそ、はじめて可能になることだろう。
 《ライム・ヒルズ》や《ライム・ワークス》でこの写真家が好んで黄昏時を選ぶように見えるのも、昼と夜との境界に位置する逢魔が時の光の弱々しさのなかで無関心な自然がつかの間見せる表情をとらえるためだろうか。
そうした自然との遭遇のために、写真家は人間と、人間に対して徹底的に無関心なものたちとの境界線上に身を置く。カメラはこの境界を跨ごうとする者が使う魔法の杖のような道具である。われわれは、そんなシャーマンじみた存在の眼がとらえた「眺め」を見る。その「眺め」はわれわれを同じ場所、同じトワイライトの時間へと誘う。畠山はこう書いている。

次に何をすればいいのかを、自分の撮った写真が教えてくれる時ほど心踊ることはない。幸い僕はそうやって写真に教えられながら、一つの石を蹴るようにして、いろいろな場所を回ってきた。石灰石の鉱山から始まった僕の石蹴りが、東京の地下の川まで来ることなど、昔の僕は全然予想していなかった。
たぶんこの石蹴りはこれからも続くだろうが、小学校の帰り途の石蹴りとは違い、これは「家まで」などと目標を決めて蹴って行くことはできない性質のものだ。僕は自分で蹴った石に導かれて進んでいるにすぎない。その途中、多くの予期しない光景に出くわす度に、このただの石ころは、僕にとって大切なものになってゆく★二九。


写真とは石ころである。蹴られた石ころがどこに転ぶか、撮影者である写真家にもわからない。それは行く先を占う護符なのだ。片足立ちで石蹴り遊びをしながら、よろめくように歩く写真家は、跛行の神々に似て、さまざまな異界を遍歴巡行してゆく。その石ころが転がった先に、都市の「自然」がほんのかすかに出現する。一九世紀アメリカ西部の風景写真が地理学的・地質学的体系のイメージを提供するものであったのに対して、この写真家の写真は、およそそんな体系からはぐれて、あてどなく迷い込んだ場所に、都市の起源と行く末が物質化した「かたち」を見つけ出しているように思われる。
彼にとってカメラが美学的なイメージ創造の装置ではなく、鉱山技師が鉱石を掘り出す技術と同じ、実験と探索の科学的手段であるからには、それによって発掘された写真という堅い「石ころ」を、われわれは自分で「蹴る」ようにして見ることを求められている。それは、都市の物質的な「眺め」を通して、自然の無関心を前に、自分自身が括弧に入れられてしまうという経験にほかならない。
そのとき、自分が美しいことを決して知ることはない、もろいガラス細工めいたカビの写真は、一瞬で消え去った光のなか、危ういフラジリティを弱々しく発散させて僕らをどうしようもない気持ちにさせながら、生まれたばかりの極微の星雲のように、冷たく震えている。

9──ルイス・ボルツ《パーク・シティ、インテリア9》 出典=『発言する風景──クリティカル・ランドスケープ』

9──ルイス・ボルツ《パーク・シティ、インテリア9》
出典=『発言する風景──クリティカル・ランドスケープ』

10──畠山直哉『Underground』より 出典=『Underground』

10──畠山直哉『Underground』より
出典=『Underground』


★一──畠山直哉「ライム・ワークス」(畠山直哉『Lime Works』、アムズ・アーツ・プレス、二〇〇二、五四頁)。なお、『Lime Works』は《ライム・ヒルズ》と《ライム・ワークス》の両者を収めた写真集である。
★二──同。
★三──島敦彦「畠山直哉──もののなりゆき、ことのなりゆき」(写真展カタログ『畠山直哉』、淡交社、二〇〇二、一一三─一一四頁)参照。
★四──写真展カタログ『畠山直哉』、四一頁。
★五──畠山直哉「アンダーグラウンド」(畠山直哉『Under-ground: Cimmerian Darkness and Stygian Gloom』、メディアファクトリー、二〇〇〇、五頁)。なお、副題にあるCimmerian Darknessとは文字通りには「キンメリオイ族の暗闇」(転じて「真っ暗闇」)、Stygian Gloomは「スティクスの暗黒」の意。キンメリオイ族とはホメロスの「オデュッセイア」に歌われた、世界の涯、暗黒の国に住むという種族、スティクスはギリシア神話で冥府を流れる川の名である。
★六──同。
★七──同、七頁。
★八──島、前掲論文、一〇五─一〇六頁参照。
★九──畠山「アンダーグラウンド」、三─四頁参照。
★一〇──同、五—七頁参照。
★一一──「ニュー・トポグラフィックス」およびRSPの活動については、笠原美智子「発言する風景──クリティカル・ランドスケープ」(展覧会カタログ『発言する風景──クリティカル・ランドスケープ』、東京都写真美術館、一九九三、三〇─三四頁)参照。なお、RSPの活動はさらに、一九九七─二〇〇〇年に同じ地点の再撮影を行なった「The Third View」プロジェクトに引き継がれている。詳しくは次のサイトおよび書籍を参照。
Third View: A Rephotographic Survey of the American West. URL=http://www.thirdview.org/3v/home/index.html
Mark Klett et al.: Third Views, Second Sights: A Rephoto-graphic Survey of the American West. Santa Fe: Museum of New Mexico Press, 2004.
★一二──ロザリンド・クラウス「写真のディスクール空間」(ロザリンド・クラウス『オリジナリティと反復』、小西信之訳、リブロポート、一九九四、一一二頁)参照。
★一三──同、一一四頁参照。
★一四──同。
★一五──加藤典洋「風景の終わり──『ニュー・トポグラフィックス』とその後」(展覧会カタログ『発言する風景』、八─九頁)参照。この議論はほぼ柄谷行人の考察に依拠している。
★一六──畠山「ライム・ワークス」、五四頁。
★一七──同、五九頁。
★一八──同。
★一九──加藤、前掲論文、一四頁。
★二〇──同、一五頁。
★二一──同。
★二二──同、一九頁。
★二三──同。
★二四──同。
★二五──Barbara Maria Stafford, "Toward Romantic Landscape Perception: Illustrated Travel Accounts and the Rise of 'Singularity' as an Aesthetic Category." Art Quarterly, 1, .N. S. (Autumn 1977), pp.108-109.訳文は、クラウス前掲書、二四六─二四七頁による。
★二六──拙著『都市表象分析I』(INAX出版、二〇〇〇)所収、「腐敗する湿原都市──昭和の死と東京」参照。
★二七──畠山「アンダーグラウンド」、七頁。
★二八──松岡正剛『フラジャイル──弱さからの出発』(筑摩書房、一九九五)七八頁。なお、「フラジリティ」という微妙な概念については、この書物から大きな示唆を受けている。また、畠山の《光のマケット》(一九九五─九七)や《スロー・グラス》(二〇〇一)といった作品には、二〇世紀初頭の都市の夜景に稲垣足穂が予感した未来への「郷愁」に通じるものがある。足穂は書いていた。「なるほど、例の妙な奴は、山本通りのプラタナスの下に、ルビーのような尾灯をうるませて停ってるリムジーンの、しかしその紅い灯ではなく、前面から照射した二条の光速の中を光りながら落ちてる雨滴の中に、確かにいた」(「美のはかなさ」、稲垣足穂『一千一秒物語』、新潮文庫、一九八七、二六八頁)。
★二九──畠山『Underground』六六頁、「あとがき」。

*この原稿は加筆訂正を施し、『都市の詩学──場所の記憶と徴候』として単行本化されています。

>田中純(タナカ・ジュン)

1960年生
東京大学大学院総合文化研究科教授。表象文化論、思想史。

>『10+1』 No.38

特集=建築と書物──読むこと、書くこと、つくること